第11話 果実酒なら負けない

 表には刻印されることも公表されることもないリアン印魔法道具。その主戦場は異国サンライニの地となりそうではあるのだが。

 現時点ではバリバリと魔法道具を開発するということにはならないようだ。


 「今のところ技術的権利や、販売権に関しては法に対する働きかけが必要になるからね。ヴィクト王国でもサンライニ公国でももう少し時間はかかる。リアンにはまずサンライニの文化や気候にも慣れてほしいし、安価な魔法道具は不具合も多いからね、まずは定期的な調整を最初の仕事としてやってもらうよ」


 こうしてハンブル商工会で最初の仕事は、サンライニ各所で必要とされている魔法道具の手入れや修理といったことになった。


 「ファリエさんはこう仰っていますが、公国の決まりで転移扉の使用が制限されてるのが大きな理由ですよ」

 「会長はごまかすの上手だからね、騙されちゃだめだよ」

 「えっ…!」


 間を開けずに聖女と悪女が会長の真意を語る。

 底辺魔法技師は簡単に騙されてしまったようだが、聞き捨てならないこともあった。


 「転移扉の制限ってあるんですか…?」

 「便利な反面、悪用の危険もありますから公国の特殊規則があります。ファリエさんは特定の権利をお持ちなので比較的自由に行き来できますが、リアンさんもニアちゃんもそういった権利は付与されていません。「合鍵」と呼ばれる転移扉を使用するための魔法道具の貸出もしますが、原則30日間に一度の往復が限度ですね」

 「30日間に一度…」

 「今回は初回ですし、急だったこともあってもう少しかかるでしょう。リアンさん代わってお詫びいたします」

 「出来心ってやつさ、許してくれたまえ!」


 頭を下げつつ話すルーさんの説明によるとノースモアに帰ることはできないらしい。

 いや、まったく説明なかったのですが…。

 説明してなかった方の謝罪がちょっと適当なのは気にしないことにする。

 ルーヴが心配ではあるが、前のように放置ではなく、定期的に使う用事があればさほど問題にはならないだろう。


 「ファリエさん、これは公国に報告しておきますからね」


 可愛らしい笑顔とは裏腹に、さっと棘棘しい雰囲気をまとった兎族に面食らってしまう。これにはさしもの商工会長も目が泳いでいる。


 「いやね、その…つい興奮してまずはサンライニを見せたくなったんだよね?契約もしたしさ、悪いことはしてないと思うなあ…って」


 言い訳が苦しいことを理解しているのか、汗を流しルーさんの視線から逃れようとする貴族がそこにはいた。

 サンライニの風は暖かく、やや湿気があるような気がする。魔素の流れで季節が変わることは同じらしいので、ヴィクトに比べ全体的に温暖な気候なのではないだろうか。

 とはいえ、それは汗の理由にしては大変心許ない。

 もっと言えばルーさんの視線の温度は底冷えするほどなので、今ここはヴィクトより寒いのではなかろうか。


 「あ、あのね、別に悪気があったわけじゃないんだよ。リアンにもいい機会じゃない、たとえ旅行ができても一ヶ月も他国に滞在できるなんて貴族でもなかなかできないしさ…!ね?」


 話せば話すほどルーさんの視線は鋭くなっていく。策士ファリエをもってしてもこの戦況を覆すことはできなそうである。


 「ファリエさん、これは公国に報告しておきますからね」


 ルーさんは一言一句繰り返す。こわい。


 「すいませんでした」


 この日、俺は海だけではなく、貴族が頭を下げる光景を初めてみた。

 公国の兎耳管理官は貴族にも物怖じしないらしい。すごい。


 「まあ…ちゃんと同意とらなきゃ、誘拐だよね」

 「ああ…確かにそうか」

 「…リアンって意外と大物なの?」


 ニアが苦笑いで零した言葉を聞いて、俺は自分が思ったより雑に転移させられたことをようやく理解した。

 さりとて意外とは心外である。小物だからこそ、そういう言葉に敏感なのだ。小物だから言えないけど。



 「それじゃ、いこっか」


 海を望む快晴のもと、ニアに先導されこちらで滞在することになる宿に向かう。


 ルーさんとファリエ会長は、偉い人の所へ事情を説明する必要があるらしく連行…もとい連れ立って出かけていった。ルーさんの説明だけでは駄目だったらしい。


 サンライニに拠点を移すことにはなったが、商工会にいつまでも寝泊まりとはいかないだろう、ということで、まずはニアが庶民向けの宿を紹介してくれることになったのだ。


 サンライニ公国はヴィクト王国に比べれば小規模だ。公国の中心はサンライニ半島と呼ばれる半島部分である。その半島部分と海を挟んだ向かいにはトラジア島と呼ばれる孤島が浮かんでいる。

 トラジア島には住民は住んでおらず、島のほとんどが森で覆われていて公国の魔素が濃いのもここが理由だとされているようだ。


 サンライニ半島は、区と呼ばれる地域に分かれておりそれぞれ管轄が別れている。ちなみにハンブル商工会があるのはティーラ区で、公国の中では商業の中心地であり活気のある地区だ。

 

 「ノースモアとは全然違うなあ…あっすいません!」


 行き過ぎる子猫族と軽くぶつかりつつもつい周りをキョロキョロしてしまう。

 学園に通い始めた頃もこんな気分だったな、と少し懐かしく感じる。


 「ふふっ…ちゃんと前見て歩いてね、気持ちはわかるけど」


 前を行くニアに笑われながら注意される。子猫族や兎族の皆さんは全体的に身長が低めなので、普通に歩いていてもぶつかりそうになることもある。

 兎族の皆さんにはクスクスと笑われつつ、子猫族の皆さんにはじゃれられつつ先を進む。子猫族の皆さんが人懐っこいのは本当のようだ。特に子供達には服の裾を引っ張られたり、尻尾が急に巻き付いてきたり色々である。

 その楽しそうな表情には、ついつい笑顔になってしまう。


 そんなサンライニの町並みは王都ノースモアとは全く違うものだ。高低差のある半島全体は、海側から見ることができれば小高い丘のように見えるのではないだろうか。

 ハンブル商工会があるティーラ区はその頂上付近と言える場所に位置し、高い位置から町並みを見下ろすような形になっている。海がよく見えるのもそのためだ。街はそんな地形に張り付くように広がっている。


 そんな町並みを構成するのは特徴ある家屋たちである。

 おそらく土か何かで作られた四角形状の建物に、木製の窓や扉が据えられている。色合いは非常に鮮やかな白が多いが、中には橙色や桃色のものも見える。窓や扉も同じく鮮やかな緑や青に塗られている。


 貴族の馬車を想定し、直線的に整理されたノースモアの街道とは違い、建物の間を縫うようにつながった路地がこの街の街道である。慣れないと迷子になってしまいそうだが、高低差のある町並みならではの坂道や、鮮やかな建物の間を抜ける小道はこの国の大きな魅力だと感じる。


 「気に入った?」


 前を行っていたはずのニアが気づくと隣にいた。嬉しそうな顔でこちらを見る。

 

 「良いところだと思う。暖かいし、すごく鮮やかな街だね。海も思ったよりずっと綺麗だ」

 「ふふ…生まれたところを褒められると嬉しいね」


 ちょっと言わせた感じもあるけど、と彼女は言いつつも嬉しそうに笑った。


 うちの受付嬢はこういう顔をすると本当に美人だと思う。

 玉の輿が運ばれる先の主人は、この笑顔を目にする機会が多くなるのだろう。稼ぎというのはなかなかに残酷だ。世の中は不公平である。



 「まあその…あんまりがっかりしないでね…?」


 いつもと様子が違い、少し申し訳なさそうにするニアの言葉に足を止める。


 そこには一軒の宿があった。


 路地が交差し、広場のようになっている場所に面して建てられたその宿は、まるで通りの角地にあるかのようである。

 建物はある程度の年月を経ているのだろう、おそらく白色であったはずの壁はやや茶色がかっている。木製の扉や、窓枠もうみかぜの影響だろうか、ところどころに痛みが見られる。

 広場周辺の他の建物からすればやや見劣りするかもしれないが、不思議とどこか暖かみのある雰囲気をまとっている。古さは否定できないが、なかなかいい宿ではなかろうか。


 「ここ、私の家なんだよね」


 あはは、とばつが悪そうに笑うニア。

 話を聞くと、どうやらここが彼女の実家らしい。今もここの一室を自室として、商工会へ通勤しているそうだ。


 「俺はここの感じ結構好きだな。王都で泊まっていたとこよりいい感じ」


 単純にそう思っていたので口にしたのだが、不自然に聞こえたのだろうか。ニアは少し苦笑して、ありがと、と短く答えた。



 「美味しい!」


 思わず声に出すと、ニアの母親であるトレラさんは誇らしげであった。


 「果実酒だけなら、公国の高級料理屋にも負けないつもり!我が家の秘伝なのよ」

 

 路地裏の宿でも毎朝飲んではいたのだが、ニアの実家であるこの宿「レストロ」の果実酒は絶品だった。多くの種類を飲み比べたことがあるわけではないが、それでもわかりやすく美味しい。

 この果実酒は宿の目玉でもあり、トレラさんのお手製のものだそうだ。


 宿に訪れた俺をニアが紹介すると、彼女はその店構えと通じる暖かさをもって迎えてくれた。

 茶色の髪は頭の後ろで一つにくくられており、快活な印象の彼女にはとても似合っている。活発な印象を受けるのは、この宿を切り盛りしていることも関係しているのかもしれない。

 身長はニアと同じくらいで、母親というには若々しい印象だ。歳の離れた姉妹と言われても、そんなものかなと思われそうだ。

 どこか人懐っこさを感じるのはサンライニ気質といえるだろう。顔立ちも合わせて、そのあたりは娘のニアもしっかりと受け継いでいるように思う。


 「うちの売りはこれくらいだからね…リアンが気に入ってくれたならよかったかな」


 どこか安心したような表情で、隣に座るニアは言う。

 

 路地裏の宿と同じく、ここティーラ区の宿も一階は食事処、二階は宿泊部屋となっている。一階の調理場の奥がニア家族の暮らす場所となっていて、全体的に奥に長い建物だ。


 かなり遅めのお昼をいただきつつ、店内を見回すと宿泊客は出払っているのか店内は静かだ。

 店の外から聞こえる通りの喧騒はやや遠く、開けた窓から吹き込む気持ちのいい風と、暖かな日差しが宿の中を彩っている。


 「この趣ある店構えも売りの一つよ!もっと言えば私の美貌もね!」

 「趣って言い方変えただけでしょ!周りの店からしたら茶色じゃない!」

 「美貌ってとこに反応してくれないと、母さん悲しいわ!」

 「せっかく流してあげたのにまだ言うの!?」


 穏やかな気持ちになっている俺を差し置いて、トレラさんとニアは宿に対する感性を巡って言い合いを始めてしまった。

 どこかほのぼのとした内容の言い合いからは、険悪さより二人の仲の良さが伝わってくる。


 「とにかくリアンくん、サンライニにいる間はここを家だと思っていいからね。新しくて立派な宿ではないけど、ゆっくりしていって!」


 トレラさんはそう言うと、娘そっくりの笑顔を見せた。


 「宿代は頂きますけどね!」


 そして、娘は母親顔負けの笑顔で言い放つ。似ているようだがどこか違う気がするのはなぜなのか。


 「ゆっくり、まったり、のーんびりしていってね!」


 トレラさんはそこへかぶせるように、妙にゆっくりはっきりとした口調で続ける。

 


 訂正しよう、やはりこの二人は親子である。

 その笑顔はそっくりであった。



 彼女たちの言う「ゆっくり」に、この宿に使われている魔法道具の修理が含まれていることがわかったのは、この少し後のことである。

 給料から宿代が天引きされているところも含め、大変ちゃっかりしている親子だとは思ったが、宿代は王都と比べとても安かった。

 「そう思うなら長く泊まっていってくれていいんだよ?」


 後にやや照れくさそうに告げるニアは、親孝行な優しい娘に見えた。

 

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