第5章 熱血サムライ女

第1話 一番乗りっ!

 翌日、日曜日。


 登校してきた胡桃は、ガラガラの自転車小屋に自転車を停めて鍵をかけた。


 自習室の利用時間は9時からとなっているが、実際は8時半ごろには既に開いているので、いつも10分ほど早く入るようにしていた。自分しかいない、しんとした自習室の雰囲気が好きだった。


 昇降口で上履きに履き替え、階段をのぼり2階の自習室へと向かう。


 朝日が差し込む静かな廊下。自分の他には誰もいないので足音がよく響く。平日は生徒で賑わっているこの場所も、これほど静かだと別の世界にいるような感じがする。まるで自分のためだけにあるような気がして、なんとなく嬉しい。


 朝の澄んだ空気を堪能しながら胡桃は廊下を歩き、自習室の引き戸を開けた。


 がらんとした教室。空気清浄機の排気音以外に何も聞こえない。


 今日もいい朝だ、と思った。


 両手を上げて、


「自習室、いっち番乗り――!!」

「1番ちゃうで」


 飛び上がるほど驚いた。


 先客がいた。すぐ横の席だった。


 机の仕切りの死角にいたその人物は、長い髪をポニーテールにした狐のようなつり目の女生徒だった。制服のブレザーのボタンをすべて外し、スカートはスケバンのように長い。首元のリボンは胡桃と同じ赤色。同学年のようだったが、胡桃はこれまでその人物を見たことがなかった。


 その人物は入り口で突っ立っている胡桃を興味深そうに見ていたが、やがて「ふ~ん」とつぶやくと、何を思ったのかニヤニヤと笑いだした。


 胡桃は恥ずかしさのあまりうつむいて、


「――あの、ごめんなさい。自習室で大声出しちゃって。勉強の邪魔でしたよね」

「ん? ああ、ええのええの、うち勉強してへんから」


 見ると、彼女の机の上には何もない。


「いやあ、朝ここにおったら会えるって聞いてたんやけど、ほんまやったんやなあ。いっつもこの時間にくるの?」


 てっきり謝罪しておしまいだと思っていたので、会話が始まって胡桃は戸惑う。まるで自分を待っていたような口ぶりだ。


「えっと、……はい。基本的にはだいたいこの時間ですけど」


 なるほどねえ、と相手は呟き、舐め回すような視線で胡桃の全身を見る。


 ――なんだ、この人。


 胡桃が気味悪がっていると、相手は両手をパッと広げて、


「ああ、ごめん、ビックリするやんな。うち、この春に越してきた国谷文嘉っていうねん。C組。よろしく。文嘉って呼んで」

「あ、どうも。私は、」

「A組の佐倉胡桃さんやろ?」


 にかっと白い歯を出して国谷文嘉が笑った。


「噂に聞いてるで。この間の試験、1位やったんやろ? 米園が悔しそうに言うとったよ」

「――米園さんが?」

「そうそう。次の中間で勝負するーとか言うとったからどんな人なんやろって思って」


 そこで胡桃はようやく、英梨華の友達が自分を見に来たのだ、ということに気づいた。


「毎日自習室にきてるんやろ? すごいよな。大変ちゃう?」

「大変……、確かに大変だけど、でも米園さんに勝つにはもっと頑張らなきゃいけないし」

「またまた」文嘉が胡桃の肩をたたいた。「謙遜すんなって。ほんまはつぎも楽勝なんやろ?」

「無理だよ」胡桃は両手を振った。「本当に、私は全然で。米園さんに声をかけてもらっただけでもすごいことだし」


 文嘉が虚を突かれたような顔をした。


「あ、そんな感じなん?」

「――? どういうこと?」

「いや、聞いてたのとイメージちゃうなって思って。もっと変な人なんかって思ってた」

「……え? なんで?」

「米園がそう言うてたねん。てっきり、『米園には負けへんで!』みたいな人なんやと思ってたわ」

「いやいや、そんなこと言えないよ」

「なんで?」文嘉がキョトンとした。


 なんでって、


「だって、米園さん生徒会長だし。お嬢様だし。頭も良いし。そんな人に向かって私なんかがそんなこと言うなんて、恐れ多いっていうか」

「でもこのあいだ一番やったんやろ?」

「一番だったけど……、でも私は本当に、たまたまこの間の試験で点が取れただけで、普段はそんなに良い点を取ってるわけでもなくて」

「そんなもんかなぁ」


 文嘉が背もたれに体重をかける。


「米園やったら、喜ぶと思うけど。胡桃にそんなふうに言われたら」

「そんなふうにって?」

「やから、『アタシは米園には負けへんでー!』って」

「いや、そんなことないでしょ」


 にやり、と文嘉は笑った。


「ほんまやって。だって米園、ああ見えて結構、胡桃のこと――」


 がらり、とドアが開いて、自習室に生徒が入ってきた。

 文嘉は入り口をちらりとみて、小声で、


「あかん、人来たからもう行くわ」

「え? ――あ、うん」


 もう少し話していたかったけど残念だ、という表情を文嘉はした。


「話つきあってくれてありがと。勉強がんばってな」


 胡桃の肩をぽんとたたき、文嘉は颯爽と自習室を出て行った。


 文嘉の背中を見送った胡桃は、姉のお気に入りだった一番奥の列の端の席についた。カバンから勉強道具を出しながら、さっきの文嘉の言葉を思い出す。


 ――1位やったんやろ? 米園が悔しそうに言うとったよ。


 胡桃の顔に自然と笑みが浮かんでくる。みんなが憧れるあのお嬢様、米園英梨華が自分のことを他人に噂している。それが嬉しかった。


 ぼそりと、


「……さて、頑張るか」


 日本史の参考書を開き、胡桃は赤シートを片手に暗記を始めた。

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