第39話 春と恋と金と炎7

 あの『魔女』がわたしたちのことを調べている――突然突きつけられたその事実に、はなは愕然するしかなかった。


 もう駄目だ。あの『魔女』がかかわってきた――それが意味するのは――

 いままでの学園生活で耳にした『魔女』とかかわって破滅した娘たちの話を思い出す。


 自分たちは死刑宣告をされたのと同じだ。


 まだなんとかなるかもしれない――その希望は無残にも崩れ去った。『魔女』に目をつけられて、無事だった者なんていないのだ。卑怯に逃げ続けた結果がこれなのか? 嫌だ、そんなの認めたくない。


 はなは気がつくと、『魔女』と姫乃に背を向けて走り出していた。


 自分に突きつけられた絶望から――

 その絶望を呼ぶ『魔女』から――

 逃げ出したのだ。

 自分でも、なんて無様なのだろうと思う。


 でも、それがなんだ?

 勝手に言ってろ。


 あの『魔女』がどんなことをやったのか知らないからそんなことが言えるのだ。実際に目の前にしてそれを理解した。あの『魔女』は人をなんとも思っていない。あいつは、人間なんて動く血と肉の塊としか思っていないのだ。でなければ、あんなこと――人間を壊すなんてできるわけがない。


 化物め――


 走って走って走り続けて、息が切れて足が動かなくなって胃の中にものをすべて戻しそうになって、格好悪く転んでやっと止まれた。


 もう視界のどこにも『魔女』の姿は見えないのに、この身にまとわりついた恐怖は消えてくれない。


 逃げなければ――ろくに足が動かなくなっているのに、はなの心はまだ逃走しなければという恐慌に襲われている。


 なんて無様――はなはまだ逃げようとする自分を嘲った。


 どこまで愚かで卑怯で弱ければ気が済むのだろう。逃げればなんとかなると思っているのか? 走って逃げて現実を否定すればなにか変わってくれると思っているのか?


 なるはずがない。

 自分たちに報復しようと蘇ったゆいが逃げて変わったか?

 なにも変わっていない。


 彼女は強い恨みを持って、かつて自分たちがやったように、今度ははなたちを追い詰めている。

 はなたちは毎日彼女が生み出す憎悪の炎に襲われ続けている。

 憎悪に満ちた声で、毎晩――


 燃やせ。

 燃やせ。

 燃やせ。


 と、狂わしい声とともに自分たちが消えるまで青い炎を燃やし続けている。


 でも――

 ゆいにされるのならいい。


 はなたちは、それだけのことをやってしまったから。

 自分たちの保身のために、彼女を追い詰めて自殺させたのだから。


 だけど――

 あの『魔女』に破滅させられるのは嫌だ。


 そもそも、ゆいのことは私たちの問題であって、あいつは関係ないはずじゃないか。はなたちの『顧客』には二年もいたが――その中に『魔女』はいなかったのは間違いない。なんであいつが――『魔女』がゆいのことを調べている? あんな、人を人と思っていない奴が……どうして。


 どうしよう。


 はなは、なにをしたらいいのかまったくわからなくなっていた。

 これも――罰なのだろうか?


 人を死に追いやった罰。

 自分のやったことを理解していながらも、それから逃げ続けてきた罰。


 それらが、『魔女』の出現という形で現れたのだろうか?


 そうなのかも、しれない。

 きっと、私たちは過去『魔女』にかかわった娘と同じように■■になって――


 そこで――はなはあることに気づいた。


 自分の保身を考えるのであれば――あの場で『魔女』にすべて話してしまったほうがよかったのではないかということに。


『魔女』がどういう目的を持って、はなたちのことについて――自殺したゆいのことについて調べていたのかはわからない。


 しかし――

 あの場には新しくできた友人の姫乃がいた。彼女がいたのだから、『魔女』は自分に対してはなにもしなかったのではないかと思える。


 あの場ですべて話して、あいつらを『魔女』に■■にしてもらえば――


 自分だけは、嫌な思いをせず――円満に問題を解決できたのではないか?

 当然のことのように、そう考えている自分を自覚してしまって――

 はなは、さらなる自己嫌悪に襲われた。


 なんて邪悪で卑怯で愚かなのだろう。

 ここまできて、自分だけ助かりたいだなんて。

 もう逃げられないなんて――わかりきったことなのに。


「ねえ、こんなところでなにやってるの?」


 背後からそんな声が聞こえて、はなは状態だけ起こして背後を振り向いた。はなのことを見下ろしているのは初等部からの友人で同じグループの一員である竹内だった。


「……別に、ただ転んだだけ」

「ふうん。それにしてはずいぶんと息が切れてるようだけど」


 はなを見下ろす竹内には明らかな嘲弄が見て取れる。それがたまらなく不愉快で苛立たしい。


「最近、顔出してこないじゃない。どうしたの?」

「…………」

「なにもその顔? もしかしてあんたもよからぬこと考えてるわけ?」


 竹内は――グループの中でもっともゆいを追い詰めることに積極的だった。それはいま思うと、彼女をイジメ抜くことを楽しんでいたようにすら感じられる。


 きっとこいつは――はなが抜けるといったら、かつてゆいにやったのと同じように自分を追い詰めていくに違いない。


 こいつも、同じようにゆいの幽霊によって追い詰められているから、きっとゆいに行ったときよりもひどくやるはずだ。


 自分に許された当然の権利であるかのように、はなのことを追い詰めていくのだろう。


 ――死んでしまえばいいのに。


「ま、弱虫のあんたにはそんなことできないでしょうけど」


 未だ起き上がれないはなに対して竹内は露骨にあざ笑ってくる。こいつは、はながグループを抜けたいと言うのを待ち望んでいるに違いない。そうすれば、はなのことをイジメ抜くことができるから。ゆいの一件で、竹内の本性は充分すぎるほどに理解している。


 だから――


「なにか言いたいことでもあるわけ? さっさと言えば? あたしたち友達じゃない。遠慮なく言ったら?」


 竹内がはなに対して向けた言葉は、どう考えても友達に対するものとは思えなかった。なにが友達だ。都合のいいときだけ友達とか抜かしやがって。


「あんたに言うことなんてなにもないわ竹内。

 まあ、でも友達だし、いいこと教えてあげる。あの『魔女』がわたしたちのことを嗅ぎ回っているみたいよ」

「……は?」


 竹内は一瞬だけ呆気に取られた顔になって――


「どういうことよ、それ」


 欲望によってゆがめられたその顔を苛立ちによってさらにゆがませて、忌々しさを一切隠そうともせずに言った。


「そのままの意味よ。あんた言葉もわからないわけ? 相変わらず頭が空っぽなのね。まあいいけど。さっき、ゆいの自殺のことについて訊かれたの。なにが目的なのか見当もつかないけれどさ」


 後ろ暗いところがある自分たちのことを――不幸と破滅を呼ぶあの『魔女』が探っている。その事実は竹内にも衝撃だったらしい。顔を見ればわかる。それを見て、はなは少しだけ気が晴れた。


「……ふん。それで逃げてきたあんたそんなところでみっともなく倒れてたわけ。臆病者のあんたにはお似合いじゃない」


 竹内の口調には先ほどまでなかった動揺が見て取れる。口ではそんなことを言ってても、内心はビクついているのがわかった。


「ええ。その通りね。この学園に長くいれば、あいつのことを恐ろしく思うなんて当然でしょう。特にわたしたちみたいに後ろ暗いことがある連中にはさ」

「……だからなんだってのよ」


 竹内は重々しく、自分を奮い立たせるかのように言葉を発した。


「なにが『魔女』よ! 『魔女』だかなんだか知らないけど、あたしたちの邪魔するんじゃない! ふざけやがって。所詮あんなもの噂じゃない! どうせ、どっかの馬鹿が誇張してるだけでしょうよ! あたしらの邪魔するならこっちだってやってやるわ……あたしたちには他の奴らにはない『力』があるんだから」


 怒りと嗜虐に満ちた醜い笑い声を竹内はあげる。それを見て、はなは――昔はこんな奴じゃなかったのに、と悲しくなった。


「あたしたちの『顧客』には二年だっているんだからさ。そいつらを使って――追い込んでやればいいだけでしょうよ! ふふふ。『魔女』だって人間でしょうよ! 排除するのなんて簡単だわ! なによあんた。なにその顔。なんか文句でもあるの?」

「違う……後ろ……」

「は?」


 竹内の後ろには――かつて自分たちが死に追い込み、変わり果てた姿になった友人の姿があって――


 竹内が背後を振り向くと同時に――その姿は消えて――


 消えると同時に、竹内の全身から、夢で何度も体験したものよりも遥かに激しい青い炎が燃え上がった。


「――――」


 竹内は声ならない絶叫を上げて地面に倒れ込んで、彼女にまとわりつく炎を消そうとする。


 しかし、いくら転がっても竹内にまとわりつく青い炎は消えることはない。


 生きているかのように竹内の身体にまとわりついて、彼女の身体をその熱で蹂躙していく。


 燃えろ。

 燃えろ。

 燃えろ。


 夢の中で何度も聞いた声が現実でも木霊する。

 青い炎によって燃やされる竹内の絶叫は三十秒と経たずに聞こえてなくなって、次第に動かなくなった。


 残されたのは――人脂が燃えたときに発する耐えがたい悪臭と、未だに燃え続ける竹内だったものと、なにもできない自分だけ。


 あたりに立ち込める悪臭に耐えきれなくなって、はなは胃の中にあったものをすべて戻した。中身を出し尽くして、胃液しか出てこなくなっても、まだ自分の身体は戻そうとする。次第に目がちかちかしてきて――


 どこかから自分を呼ぶ声が聞こえたのを最後に、はなは自ら吐いた反吐の中に倒れて意識を失った。

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