第32話 無間の牢獄9

 不測の事態ではあったが、得られた収穫はなかなか大きい。あれを使えぬものと断じたのは早計であったか――と哲学者は思った。進化というものは唐突で、こちらの予想を超えるものであることは重々承知していたつもりだが――それでも考えが甘かったようだ。認識をあらためなければならない。


 里見夏穂を取り込んだ怪異――『人食い』は自分がこの学園に仕掛けたものである。最初の段階では『人食い』という名前のわりにはたいした力は持っていなかった。食われたものにすら異常であると思えないほど――気のせいだったと思ってしまう弱小なことこのうえない怪異――それが、哲学者が知っている『人食い』である。現に、半年前に実験したときはろくな結果を出さなかった。


 だが――


 なにを間違ったのか、放置されていた『人食い』は変貌を遂げていた。一切の音を消すという異常な世界を創り出し――


 そして――中に取り込んだ者の過去を映し出すという力まで獲得するにいたった。本来なら実験を再開するところであったが――食った相手があまりにも悪すぎた。


 ――里見夏穂。


 よりにもよって、一番初めに『人食い』が食ったのが彼女とは。なんと不幸なのか。あらゆる怪異を食らう怪異を内包した少女である。彼女を取り込むのには、はっきりいって準備が足りな過ぎた。


 進化を起こした『人食い』の調整ができていたのなら、なんとかなったかもしれない。一切対策を行っていない状態で、里見夏穂を食らうというのは無謀が過ぎる。なにしろ彼女の中の怪異には際限がない。


『人食い』が壊れるだけなら――それは少し惜しいところではあるが――まだいい。彼女の中にあるものは下手をすれば現実まで侵食する恐れがある。そんなことが起こっては、十五年かけてここで行ってきた準備が水の泡だ。


 欲を出して、いままでの積み重ねを無に帰してしまうのは愚かである。


 不充分とはいえ、進化した『人食い』も手に入れることができたし、妥協案としてはそれほど悪くないだろう。これを利用した次のプランを考えるほうが有益だ。うまくやれば、中に人間を長時間取り込めるようにできるだろう。それができるのなら、色々と使えるに違いない。


 これで――

 これでやっと、哲学者の計画の準備が整った。


 里見夏穂と白井命。

『選別現象』に飲まれてもなお生き残った不運な二人の少女によって。

 二十五年前――なにをもってしても成し遂げると決心した復讐を――始められるのだ。


 しかし――


 それは間違いなく追い求めていたはずなのに、心には猛るものが感じられないのは何故だろう。


 自分も若くないのか。

 それとも――


 いや、そんなこと考えるべきではない。心が猛らなかったとしても、これは絶対に成し遂げなければいけないことなのだ。


 若き自分の思いを踏みにじった奴らに復讐による喝采を与えるために。哲学者は、自身すらも犠牲にして、いままでの人生を賭けていたのだから。


 それが――自分よりもふた回り近く年下の、被害者でしかない少女たちを糧にする鬼畜の所業であったとしても。


 これだけは、絶対になんとしても成し遂げなければいけない。

 それでは――彼女の死が無意味になってしまうから――


 少しばかり感傷的になってしまった。

 いつまでもそんなことをしているわけにはいかない。

 思いがけない収穫があったのだ。

 目的達成のために必要なプランを考えよう。

 感傷に浸るのは、それからでいい。

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