第20話 井伊直政の野望

論功行賞もひと段落し、お梶と久々に伏見城の庭に出ていたらおふうが、吹き矢を持った怪しい老人の死骸を次郎三郎に見せた。


「影より狙っておりました、吹き矢は武田忍びの得手と心得ます恐らく下手人は・・・」


といった所で次郎三郎が


「直政か」


と答え、おふうも御聡明と答えた


「死骸は懇(ねんご)ろに弔ってやれ」


井伊直政からしたら娘婿の忠吉を徳川の世子にしたいはずだが、邪魔とは言え秀忠は主筋。


「次郎三郎を殺害すれば大きな後ろ盾のいない秀忠は即座に世子から降ろされるだろう」


との読みであったのだろう。


しかし鉄砲傷がなかなか癒えない直政を焦らせたのだじっくり待っていればもっと良い機会はあったかもしれない。


しかし己の残り時間は己が一番知っていた。


それから幾日かして次郎三郎は吹き矢を以て井伊邸を訪れた。


表向きは中々癒えない直政の鉄砲傷の薬を渡しに行くというものであった。


「寝てなくて良いのかね?」


口火を切ったのは次郎三郎であった。


「・・・なんのこれしきの鉄砲傷で・・・」


直政は汗ばんで次郎三郎に応える。


「井伊殿も歳をとられ短絡的になったものだ・・・昔はもっと思慮深い人物であったというに。」


次郎三郎は心の中でそう思い直政に伝える。


「二人で話をしたいな、人払いだ」


側用人、小姓も居なくなり次郎三郎は核心の話をした。


「過日、わしを殺害に及ばんとした者がおる。この者吹き矢を使った。」


淡々と言ったが、目は鋭く直政を見ていた。


「吹き矢は武田の忍びがよく使うそうだな?」


直政は武田信玄の武田四天王と謳われた山県昌景の赤備えを受け入れた時いくばくかの武田忍びも子飼いにしていたのだ。


直政は腕を滑らせ一瞬次郎三郎から目をそらしてしまった。


次郎三郎は続ける


「気の毒にその者は暗殺をしくじり、命を落としたが・・・。」


次郎三郎は他人事のように云う。


此処でようやく直政が口を開く


「そ、その様な忍びを徳川に放つ不埒者、草の根分けても探し出し、厳罰に処さねばありませんな・・・。」


あんまり力みすぎていてあえて不自然さが目立ちもっとうまく芝居が出来んもんかね?と次郎三郎も心の中で毒づく。


「調べは取りやめさせたよ」


直政が驚いた顔をし


「な、何故にございます!?」


「下らん事でけが人を出したくないのでね。」


次郎三郎は疲れ切った顔をして直政に言う


「わしを殺害しても徳川の天下が危うくなるだけでね、ま、それでも殺したければ殺せばよいのさ。その後の天下がどうなるかというのも一興じゃないか?だがどうせ殺すなら中納言殿を殺せば簡単なのにな。」


と直政に牽制の言葉投げかけた。


秀忠は殺せないけど家康の替え玉なら殺害出来るという事は今の家康が影武者であると知っている人間に絞られる。


正信は暗殺などという手段は使わないだろうし、忠勝は替え玉作戦の発案者である。


康政は秀忠付だとなると動機があり実行できるのは直政だけなのだ。


「あ、そうそう中納言様は恐ろしい御方だ、忠吉殿の身辺くれぐれもご用心めされよ」


そう言うと次郎三郎は井伊邸を後にした。


この会話を裏で聞いていたものが居た。


甲斐の六郎である。


井伊邸を後にしたのち直政は奥で


「くそッ!!影武者風情が!!今に見ておれよ!!」


六郎の直感が直政は危険だと告げ、左近に今回の事の顛末を報告した。


その報告を受け左近の顔は戦慄の色を帯びた。


「井伊直政はまた暗殺をする。それも大坂で秀頼公を暗殺するつもりだ!家康公を暗殺するつもりならそれしかあるまい。直政の筋書きは恐らくこうだ。大坂城で秀頼公を暗殺した家康公を淀の方が逆上して殺害、親孝行で知られる秀忠殿が淀の方に兵を向けようとするが忠吉殿が必死に止める。しかし秀忠殿は言う事を聞かず仕方がなく舅である直政と赤備えの力を借り秀忠を討伐する」


馬鹿げた筋書きだが直政の目にはもはや忠吉しか映っていないのだ。


左近は六郎に言い付ける。


「忠吉殿の髷に石田家の家紋の入った小柄をさせるか?」


六郎は無言でうなずき小柄を受け取る。


翌朝忠吉が目を覚ますと髷に小柄が刺さっている事に気付き驚愕し、直ぐに直政の所にもその報告が来た。


石田家の旧臣が忠吉を狙う筈はないのだが小柄の出所を隠すために左近は石田家のものを使ったのだ。


翌晩警備は倍増されたのだが、やはり忠吉が目を覚ますと小柄は刺さっていた。


この事は次郎三郎の耳にも入っていたが、この行動で直政の目が覚めるのならと静観していた。


直政は直政で暗に次郎三郎が


「いつでも忠吉殿を亡き者に出来るのだよ?」


と圧力をかけて来たと思い込み、暗殺行為を諦めざるをえなかった。


次郎三郎は何気なしにこの度の下手人を探させたが影も形も見えなかった。


直政は武田忍びを解雇し、次郎三郎がこれを雇った。


側室達はおふうのくノ一衆で固め、自分の守りを武田忍びを使う事により盤石にしようとしたのだ。


左近はこれを良い機会だと感じ、六郎に次郎三郎に自分を売り込んで来いと命じた。


都合よく六郎も「甲斐の六郎」なだけあり元・武田忍びの一員だったのだ。


六郎は偶然を装い、親類の甲斐の飛助(とびすけ)に会うことにする。


飛助率いる忍び衆はもはや高齢の忍びばかりであり、今まで次郎三郎がおふうに助けられていたかが即座に予想できた。


飛助が酒屋で呑みに出かけようとしたとき六郎はわざと肩をぶつける。


飛助がぶつかってきた若者に睨みを利かせた。


しかしその相手は思案顔で、即座に笑顔になり、飛助は睨みから怪訝な顔色に変わった。


「もしかして、飛助叔父ではないですか??」


若者が嬉しそうに飛助に語り掛ける。


「俺ですよ!六郎です!!」


名乗られて、少し思案した後「甲斐の六郎」という忍びの事を思い出す。


「六郎か!!お前生きておったんだなァ!!最後に分かれたのは天目山中だったか!?」


飛助も六郎との再会をとても喜び、酒屋に連れて行った。


飛助は酒が入ると上機嫌に今の仕事を話し始めた。


「なんと今や内府公を密かにお守りする役目に付いていてな」


自慢げに語る飛助に六郎はとても羨ましそうに


「叔父上は内府公にお仕えしたのですか・・・」


その雰囲気を察するやいなや飛助は


「今、若けぇ者が足りねぇンだ。六郎、お前何処にも仕官しとらんかったら、俺から内府公に口利きしてやろうか?」


と六郎に持ちかけた。


六郎は叔父の提案にありがたいそぶりを見せ


「良いんですか!?俺みたいな若輩が・・・」


と一度謙遜をする。


飛助は


「構わねぇよ!お前は昔から腕の立つ男だったから内府公もお喜びになるだろう!」


こうしてうまく六郎は次郎三郎に謁見する機会を得るのである。


飛助は吉日を選び、次郎三郎に申し出る。


「殿、実は先日、私の甥っ子が仕官先を求めているという事で・・・腕は確かなんですが・・・。」


次郎三郎は


「腕が確かならば召し抱えても構わん、少しでも今は人手が欲しいのだ。お主の事だその庭先辺りにおるのだろう?」


と二つ返事で六郎との面会を差し許した。


飛助は「流石、大殿!」


と次郎三郎の許可を得て六郎を紹介する。


「甲斐の六郎と申します。以後内府様の身辺警護に身命を尽くす所存にて・・・」


次郎三郎はこの男、どこかで見た覚えがあると一瞬脳裏に悟らせるが、直ぐには思い出せず。


「大義、六郎とやら、働きに期待しておるぞ」


と甲斐の六郎を受け入れた。


六郎はこうして次郎三郎の懐に入った。


それから次郎三郎は甲斐の六郎の事ばかり考えていた。


「やはりどこかで会っている、又は見かけている。」


閨の間もその事ばかり考えていた。


4日に一度のお梶との閨の日も六郎の事ばかり考えており、欲求不満のお梶の方は次郎三郎に


「殿は妾以外の何をお考えなのですか?」


と股間をぎゅっと握られ、焦った刹那思い出した。


「あの男、関ヶ原で本陣にいた旗本でもない男ではないか!?」


実は次郎三郎、家康の家臣の顔も見知っており、関ヶ原が初陣であった野々村四郎右衛門(ののむらしろうえもん)も見知っていた。


しかし、辺りを見回した時見知らぬ顔が一つあった。


その者は殿の御命を狙う刺客だと感づきそちらに気をそらしてしまったが為に野々村の家康暗殺を許してしまったのだ。


そして、家康暗殺の後石田勢から「内府討ち死に」の声が聞こえ始め、前線が少し崩れたのは言うまでもない。


「家康公暗殺を知っている石田方の者であれば、あの者は次はわしを狙いに来たのか?」


次郎三郎ははたまたお梶を放って思案してしまい、お梶はいよいよやきもちを焼くのである。


次の晩、閨は不要と次郎三郎は申し付け、飛助を呼び出す。


飛助に誰が天井裏に居れば安心なので現在で言う当番表を提出させた。


飛助はこれを内府公が自分たちを贔屓にしていると勘違いし、六郎に自慢げに語る。


六郎は即座に次郎三郎の考えを読み解き


「これは贔屓ではない、誰かを疑っている証拠!もしや俺の事を怪しんでいるのか?」


と冷や汗をかき、飛助に話を合わせた。


六郎の次の当番はお梶との閨の時であった。


「お梶、今日の閨は無しだ。」


拗ねそうになるお梶の方に続ける


「今度宿直に入った優秀な若者を紹介したくてな?」


お梶は不思議そうな顔をする。


それはそうだ、今更天井裏を守る者を紹介されても仕方がないと思ったのだ。


「六郎!降りてまいれ!」


次郎三郎は六郎を呼び出す。


六郎は


「参ったなァ、しかし行かねば余計に話がこじれる。」


決心して次郎三郎の前に姿を現す。


お梶は興味なさげに六郎を一瞥する。


「この者がなんだというのですか?」


お梶は冷淡な口調に変わっていた。


「答えを急ぐな。この者はな、関ヶ原の戦の最中、徳川旗本3万騎の中にたった一人で大殿に近づいた石田方の忍びよ」


そう聞いてお梶の方は驚き六郎を見る。


「わしもこの男に気を取られた故、大殿の暗殺などという影武者の仕事を全うできなかった訳だ。」


六郎はこの男はあの緊張の中で俺を見つけていたのかと次郎三郎の評価を改めざるをえなかった。


そして六郎は刀に手をかけ、次郎三郎の目の前に差し出す。


これは次郎三郎に敵意がない事を示す証でもあった。


「敵意が無いことくらい気付いておる、それより早く刀を身につけよ、今この刹那、襲撃が来たらお主しかわし等を守る者はおらぬのだぞ?」


次郎三郎は六郎に幾つかの質問をする。


「お主、あの時大殿を殺害に及ばんとしていたな?」


六郎は頷く


「飛助に近づいたのはわしに近づく為か。」


六郎はまたもや頷く。


「井伊家と忠吉殿の騒動、そなたの仕業か?」


六郎はそこまで読んでいるのか?と心で驚嘆しながら頷く


「あれはそち一人の考えではあるまい、そなたに雇い主がいるとみた。しかも石田方に与していた者だな?」


六郎は頷く。


「その雇い主に会わせては貰えぬか?是が非でもわしの腹心になって欲しい。」


六郎は少し考え始めて首を横に振る。


「そなた一人では決められぬか、では雇い主殿に伺いを立てておいてくれ、あと・・・」


次郎三郎は黄金を取り出し六郎に渡す。


六郎が辞退しようとすると


「そなただけの為ではない。そなたの信頼できる者。闇の中で生きる強者たちを味方に付けるのだ。その為の黄金よ。飛助たちはよく頑張ってくれてはおるがなにせもう歳が歳だからなァ。」


そう聞き六郎は頷き黄金を懐に入れる。


六郎は次郎三郎に最後に伺う。


「何故、徳川家最大の秘事を私めに?」


次郎三郎は笑いながら答えた。


「そなたは初めから知っているではないか?」


と。


六郎はこのやり取りだけで次郎三郎に心を掴まれてしまった。


「しかし困ったなァ」


六郎はありのままの全てを左近に報告した。


「徳川家は豊臣家を何としても滅ぼしたい、しかし当の旗頭が秀頼君を殺害したくない。面白くなって来たなァ!しかし影武者一人で徳川家を動かせまい、誰か繰り人が居るな?井伊直政は先の事件から推測するに違うであろう、榊原康政はそもそも関ヶ原に間に合っておらぬ。本多忠勝はそういった謀略に長けては居らぬであろうし・・・そうか!本多正信が影の繰り人か!」


左近は楽しそうに思案して六郎に伝える。


「六郎!わしも次郎三郎殿に会いたくなってきたぞ!なんとかいたせ!」


六郎はため息をついていた。


「全く皆、簡単に言うもんだなァ」


この時の六郎はこれからの自分の重要性にまだ気づいていなかった。

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