異世界転送業と⁂-アステリズム-

萩原萩助

Chapter0 夜明け

0-1 プロローグ

  


【SIDE:冬田貴博】



「早く帰らなくてはっ……」


 冬田貴博ふゆたたかひろはバイトを終え、少し早足で帰り道を歩いていた。


 今は午後十一時時四十二分。重要な用事がある訳ではなく、ただお気に入りの深夜アニメがもうすぐ始まってしまうから急いでいるというだけだ。冬田はアニメはリアルタイムで見るものだと思っている。その時間を外せばアニメの価値は六十パーセント減だ。録画など以ての外だと思う。


 冬田は今年三十二歳のフリーターだ。高校を中退し、親の金と不定期に入るバイト代で生活をしていた。


 両親はもう早くに他界しており、身寄りがないからひとり暮らしだ。幸い、親が金持ちだったので遺した遺産を有効に使い生活には不便しない。友人も一人もおらず、心の支えはアニメだった。


 この世の誰もがもう冬田のことを気に留めないが、アニメだけは違うような気がしていた。


 最近のオススメは「もうじゅうフレンズ」だ。大分端折って説明すると擬人化され女の子になった猛獣達ががっしゃんどっしゃん大騒ぎするという中々に個性的なアニメだ。

 あのアニメは忘れかけていた人間の真理とも言うべき感情を思い出させてくれる……ような気がする。この後帰ってから見るアニメもそれだ。


 ぶフフ……ぎゅふフフフ…………


 これからあのアニメが見れると思うと思わず笑みが溢れる。


 冬田は運動が苦手で頭も良くない。顔もあまり良くはなくそのぽっちゃり体型を中学生の頃からネタにされていた。最近、メガネをかけ始めたし、ますます容姿をイジられそうなので一層に人に会わなくなった。


「うわぁ、もう五十分だぁ!」


 街灯の下で携帯を見て時間を確認し重い体をゆさゆさと揺らしながらさらに歩くペースを上げる。走った訳でもないのに息切れしかけている。


 そんなとき、横目に街灯が照らしきれていない細く暗い道がふと目に入る。

 ここを通ると家に帰るには大幅に時短できる。ただかなり暗く、人通りもない。民家から漏れる灯りさえも微々たるものだ。道幅は車道はトラック一台分くらいと、申し訳程度の歩道。ほとんど路地と言って良く、幽霊などといった類いが苦手な冬田は昼でも不気味な雰囲気のこの道を避けており、その内道の存在を忘れていた。


 それでも冬田にとってはこれはラッキーな気付きだった。運命の……いや、アニメの女神が僕の味方をしたんだ!


 冬田は恐る恐る、しかし早足に道に足を踏み入れ歩き出した。この道を進み、十字路を曲がれば間もなく家に着く。

 道を進み、十字路の辺りで携帯の時計を確認した。画面が眩しくて薄目になる。まずい、オープニングは諦めなければならなそうだぞ……。


 その時、冬田は強い光に包まれた。ああ、トラックだ。曲がり角から出てきたので気付かなかった。

 迫り来るトラック、体が動かない自分。


 冬田は絶望した。のんなにも泣きそうなのに涙すら流せなかった。


 ――あぁ、僕は死ぬのか。こんな所で。


 トラックは文字通り、目の前だった。ブレーキの音はしないしクラクションも鳴らされない。

 女神は……僕を見放した。冬田はそう思った。そうして運転手よりも自らの運命を呪ったのだった。


 ――死にたくないっ!!


「……あ」


 そして――――暗転。



【SIDE:咲波春馬】



 俺、咲波春馬さくなみはるまは朝の安物コーヒーを飲みながらため息をついた。皿の上のトーストも安物だ。ついでにその上の卵も。


 趣味……趣味は強いて言うなら読書、だろうか。それでも比較的には読書をする事が多い程度の事だ。

 読書は一年、二十四時間いつでも暇人の俺にはピッタリだ。本を取り出して、開いて、読む。これだけでいい。面倒な作業もないし、いつでも止めれるし、余程の本好きでない限り趣味に縛られる事もない。


 つまり、本や本を読む事が好きなのではなくてただ読書には面倒がないのがいいという話だ。

 他にも、ゲームをそれなりにはする程度。運動は嫌いではないのだが、いかんせんやる機会がないのだ。友達に誘われることもないし、自らジョギングでもしようとする気にもならないし、ジムはお金がかかる。


 ルックスは中の上……いや、中の中くらいだと思う。


 性格は「普通」だとよく言われる。草食系でも肉食系でもなく明るくもなく暗くもない普通の男なんだそうだ。酷評されるよりはいい。

 だが、中学生時代の同級生に偶然十数年ぶりに顔を合わせた時は百八十度、いや三百六十度違うとまで言われたがそこまで来るともうよくわからない。

 そもそも、三百六十度だと一周してしまうのだからそれはおかしいではないか。


 俺の親は早くに他界した。


 そして俺のいる町である此処、田瀬介町たせかいちょうは東京都郊外にひっそりと佇む特徴に乏しい町だ。

 昔は一面に田園風景が広がっていたらしいが今では町のシンボルと言える建物もなく、大量の住宅が軒を連ねている。


 そんな町の端に建つ俺の家も入居しているこの独特のセンスの名前のアパート、「レジデンス白鳥レイク」は駅から徒歩二十五分で築二十七年のオンボロだ。

 塗装は剥がれて、手すりは錆付き外れかかっている。


 そんなレジデンスにも白鳥レイクにも程遠い物件だ。

 誰がこの名前を付けたのかは知らないが、ソイツは一度でいいから「レジデンス」の意味を調べるべきだし、「白鳥の湖」も観るべきだと思う。


 そんなアパートの内装は八畳間、申し訳程度のキッチン、風呂、トイレ付。

 一応、トイレ等の一通りが揃う部屋を抑えているが、その分内装があまり清潔ではない。壁紙は所々が剥けていて天井に謎のシミがある。

 俺の部屋のあのシミは「アホ」の形に見えて何故か腹が立つ。……どうでもいいか。


 俺はベットに寝転がり「アホ」のシミを眺めながら自分の仕事を今更ながらに振り返ってみた。

 随分経つが、未だに現実味がない。


 事の始まりは大分前に遡る。今年俺は二十四歳になるが、高校時代まで遡るか。


 あれは確か高校三年生の頃だ。俺は訳あってとある新興宗教に入信していた。とにかく俺はかなり熱心な信者だったと思う。

 このおかげでかなり金もむしり取られた。


 今考えると心底馬鹿馬鹿しいとは思うし、この基本的に安物に囲まれる今の生活も、進学も就職も諦めのもそのせいだろう。


 結局俺はその後数年間の間ずっとその宗教の信者だった。


 その宗教は「平行世界パラレル・ワールド」を司る女神を崇拝していた。

 納得のいかないこの世の中や現実から抜け出して、「もしも」の世界である平行世界へ行き、それぞれが理想とする世界へと旅立とう! という思想である。

 その為に平行世界の女神に毎日祈りを捧げ、貢げ! とにかく貢げ!! という最早清々しい程の思想を掲げていた。

 それはそれで女神に失礼だと思う。


 そして飛んで今から一年程前に俺に転機が訪れる。


 その日、俺は宗教の集会へ向かっていた。もちろん、その間にも祈りを捧げていたのだ。

 しかし道路を渡る時、俺は女神を模したという小さな立像を手を滑らせて落としてしまった。


 それに気を取られ、迫り来るトラックに気付けなかった。そう。轢かれたのだ。そして死ぬか、重症を負う……筈だったのだが、俺は何事もなく目を覚ました。


 *******


「う……なんだ?」


 辺りを見回すと、益々訳がわからなくなった。

 何だろうか、このサイケデリックな空間は。黄色や赤、紫といった様々な色が不思議に渦まき、グラデーションを作っている。なんとも頭の痛くなる光景だ。目がちかちかする。


 壁や床の区別もつかない。今、俺はどこに座っているのだろう。遠近感が狂いそうだ。

 なんとなく、四次元的な空間なのだろうと思った。


「あ、起きたかなー?」


 後ろから女の声がした。女というよりは女の子、いや女児のような高い声だ。


 振り返るとその声の主はいた。パッと見たところ、十か、十一歳くらいだろうか。

 幼い顔つきは声相応の見た目だ。

 どことなく快活そうな印象を受ける。


 肩の下程まで伸ばした金色の髪は艷やかだ。汚れ一つない真っ白な一枚布の服を着ている。確かトガという服だった筈だ。

 そして一際目立つのがその背中から生えた服以上に白い純白の翼……。


 ……翼?


「えと、うまく行ったかな? どう、私のお話、通じる?」

「あの……あなたは誰?」

「通じるみたいだね。いやー、君がここに来たときはもう半狂乱だったからね。洗脳を受けてたみたいだから解除したんだけどショックが強過ぎたのかなー、気絶しちゃって。心配してたの」

「洗……脳? そうだ、俺は確か……」


 そう。女神に祈りを捧げながら歩いていたのだ。そしてトラックに轢かれた。ならば、ここはどこだろう。


「待って待って。ちゃんと説明するからね」


 色々質問をぶつけようとした所で俺の言葉を先回りされ止められた。


「まずは自己紹介します! 私は新米女神のマンダーレ。平行世界の管理をしてまーす。こう見えて百歳。人間だと、凄い歳なんでしょ? 因みにここは私のお部屋ね」

「平行世界の女神!?」


 俺は洗脳が解かれている。それは解る。

 だが、俺の目の前にいる少女は言った。俺の信仰する平行世界の女神であると。そこが解らない。


 ――もしそうなら本当に平行世界の女神はいたのか?


「アンタは俺を……俺の望む夢の世界に連れて行ってくれる、と言うのか……?」


 殆ど独り言の様な呟きだ。

 そして洗脳を解かれたはずの今も、その夢の世界に期待を寄せる自分に気付き苦笑した。


「えっと、夢の世界? ……うーん、イマイチよくわからいけど君をどこかに連れ去ろうってうもりじゃあないよ」

「ならなんなんだ」

「えっと、まず、私は今誰かの助けが必要だったの。でも、私、女神だから勝手に人を連れて来たりっていうのは禁止されてるからとっても困ってたんだけどね、丁度君が私に語りかけてたでしょ? 女神様女神様……って。それと君が車に轢かれてこの世ならざる者となろうとした。その時が重なることで君の語りかけが偶然私に届いたから、急いで君をここに呼び寄せた……ってこと」

「へー」


 まぁ何となーく解ったような気がする。


 それからマンダーレから絶望的に分かりづらい絵とともに一通りの説明を受けた。

 正直サッパリ解らないが、多分要点は抑えられた気がする。


 つまり、まずこの世界には幾つもの平行世界が木のように枝分かれしながら存在すること。俺達がいた世界はその木で例えると幹に当たる中心の世界線。これを「本線」と呼ぶ。


 そしてその本線からの些細なこと――例えば今、俺が右手を挙げるか左手を挙げるか――で分岐する「無限の『もしも』の世界」これらをまとめて「異線」と呼ぶ。


 その異線の中でも分岐に分岐を繰り返すなどで本線と比べ、世界観レベルの変化を持った、数ある枝の中でも太く目立つ枝。それを異線の中から特別に「異世界」と呼ぶ……らしい。


 ここから先の詳しい話は秘密だと言われた。


「そして私が君のような本線の人間に頼りたい理由なんだけど、実は今、神様達と『世界の意思』は対立してるの。『世界の意思』はあまりに正史とは違った世界は本線へ収束させて消すために、異世界に破滅へのレールを敷く。でも私達神様は多様性を尊重するの。だから異世界の破滅に抗いたい」


 何だかとんでもない規模の話になってきたような気がする。


「なら、そうすればいいんじゃないか? 俺達を頼る必要あるか?」

「そう、私達神様は世界の運命に直接の干渉をすることはご法度なの……そして、他に異線の運命に干渉できるのは本線の人間に限られる。異線の人が異世界でどんなに頑張っても結局運命は変えられない。でも、本線の人は特別だから、例外で異線に行って頑張れば運命も変えられる!」


 やけにややこしい話に俺の頭はパンクしそうになる。異線の運命を変える事ができるのは俺がいた本線の人間だけって事か?


「だから本線の人を異世界に送り込む為の仕事を私の代わりにあなたにやって欲しいの! お願いー!」


 要は数撃ちゃ当たる戦法で異世界に人を送りまくり運命を変えようとしているのだ。


「えーと、で、どうやって送り込むの?」

「んー? それはね、トラックで轢くんだよ」


 マンダーレはあっけらかんと言う。俺は思わず「へぇ?」と素っ頓狂な声を出してしまった。


「これがマンダーレちゃん特製の異世界転送専用トラックです!」


 そう言うとマンダーレはドヤ顔で手をパンと叩いた。すると彼女の隣に一台のトラックが煙と共に現れた。まるでマジックのようだがいよいよ本当に神様らしかった。


 自慢気で瞳をキラキラさせながら俺にトラックを主張するマンダーレ。


「これで私が指定した人を君がどか~んと轢いて、一旦私の元にワープさせたら私が転移させて仕事完了! どう? 簡単だよ」


 いや、簡単だよ? じゃないでしょう。


「どうする? 今、君はお仕事無いみたいだけど。私、この世界にまだ詳しくないけど、っていうのもあるよ」


 マンダーレはにっこりとしている。なんて自然で、無垢な笑顔だ。

 だが今の俺にはそれが恐ろしく見える。そう、俺は無職だ。まぁ、直前まであの有様だったので当然と言えば当然だが。


「あぁ……分かった。やるよ。それ」


 もうヤケだ。この際、やるしかない。それに神様の仕事をしたがどんなものかも気になった。もしかすると……もしかするかもしれない。


「よーし。じゃあ決まりね! ……そうそう、お名前、聞いてなかったね」

「俺は咲波春馬。よろしく」

「うんうんー。それじゃ、春馬君に異世界転送業者のを与えます! よろしくね」


 *******


 こうして俺はこんなとんでもない職に就くことになった。

 だがこの仕事が災いし、世界中、いや全世界線の運命をも賭けた物語に巻き込まれることになるとはこの時は考えもしなかった。

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