第5話 黒歴史
一度自分の部屋に戻って身支度を整える。
装飾の凝ったベストをYシャツの上に着こみ、ベルトに仕事用の筆記具が入ったポーチを携える。
ベストのポケットに懐中時計を入れ、ボタンはきっちり第一まで留めてネクタイを締めれば出来上がり。
後はボサボサのくせ毛を梳かして鏡の前でスマイルトレーニング。
普段は死んだ魚の目とかひどい例えをされている俺の目も、このトレーニングを終えれば輝きを放つのだ。
準備ができたらさあ出勤。時間は出勤時間ぴったりだ。勤務先と自宅が近いという最大のメリットはこれである。
階段を降りて壁掛け時計を確認。
開店時間のベルが鳴ったと同時にクローズド板を取り外し、ギルドの扉を開く。
「おはようございますジュリアスさん。朝早くからご苦労様です。さあ外は冷えるでしょう? 中に入ってお待ちください」
「さ、サトー……その変わり身の早さは素直にすごいと思うぞ」
「勤務中ですので」
さわやかな笑顔でそう答える。
さて、本日の朝番は俺とルーンの二人体制。おまけにギルドと言うのは朝方は非常にヒマな施設である。
冒険者なんて荒くれ物は、基本的に夜が長く朝が短い生き物だ。仕事を受けに来るのは早くとも昼頃が定番であって、朝はいつも閑古鳥が鳴いている。
昼に仕事を受けて、その日はパーティーを組んだり準備をして終了。
翌日の昼頃から仕事を始めて、夕方頃に結果報告と言うようなサイクルだ。
なので、今は余裕をもってジュリアスの相手をできるのである。
そしてその余裕があるうちに諸々の用事を済ませておきたい。
「ルーン、ジュリアスさんにお茶をお出しして」
「サトー、それは嫌がらせなのか素なのかわからないが、とにかく早くやるべきことをやってほしい。もう限界なんて当の昔に越えてるんだ……だから早くっ!!」
短パンの裾を引っ張りながらもじもじするジュリアスを横目に、ルーンが律儀にお茶を出してくれた。
ルーンには状況を説明していないので、ちょっと変態チックに見えているのかもしれない。
頬を赤らめ、涙を浮かべながらもじもじする美女と、さわやかな笑顔で迎える男が向かい合っているのだ…………いかんな、後で誤解を解いておこう。
「言われた通り一晩我慢したんだが、さすがにもう尿意の限界だ。寝れはしないし、起きている間ずっとエクスカリバーの言葉攻めにあって…………ぐすん」
「えーっと……」
おや? 同僚の視線がものすごく冷たいものになっているのは気のせいか?
いや、気のせいではないだろう。ジュリアスは全く嘘は言っていないにもかかわらず、俺の評判がどんどん下がってしまっているようだ。
『昨晩はお楽しみでしたな姫! あれほど熱心に拙者の話を聞いてくれた方は初めてにござった!』
「起きてるしかない状況で一方的にわけのわからない話を一晩中聞かされたんだ。尿意より先にストレスでおかしくなってしまうかと思ったぞ」
ベットでオタクの剣が一晩中囁いてくる状況を想像してみた。
――――うっ、吐き気が。
『おお? そこにおられるのはこれまた別嬪! 拙者エクスカリバーと申すでござる! お嬢さん、以後お見知りおきを』
「は、はあ……ルーン・ストーリストと申します。よろしくお願いしま……す?」
『おっほぉ! カナリアがさえずるがごとく透き通った声! まさしく容姿にふさわしい…………ん? 何か違和感が……む! 拙者のスキル『
「はい少しお静かにお願いしますエクスカリバーさん。今から重要な話し合いがありますので」
これ以上ルーンにこの剣を近づけてはいけない。せっかく綺麗なものがけがされてしまってはたまった物じゃない。ルーンの純情は俺が守って見せる!
「さてジュリアスさん。昨晩言った通り、解呪の準備は整っています。後はご本人の意思確認のみとなりますが、解呪を始めてもよろしいですか?」
「ああもちろんだ! 早くこの悪夢を終わらせてほしい!」
ぶんぶんと首を縦に振るジュリアスに同意書を手渡すと、恐るべき速さでサインが書き込まれた。
一応諸々の契約内容などが羅列してあって、最後に「以上同意の上サインをしてください」と書いてあるのだが、もちろんジュリアスはそんなもの読んではいないだろう。こんなことをしているから、変な魔剣を掴まされるのだ。全く成長していないじゃないか。
「サトーさん、私はどうすれば?」
「ルーンには手続きの手伝いをしてもらいたいんだ。確か詠唱文が箱に入ってたはず――ああこれかな? これを魔力を込めながら読み上げてほしい」
「はいわかり…………えっ!? こ、これを読み上げるんですか!? わ、わかりました――頑張ってみます!」
二つ折りにしてあった詠唱文を手渡すと、なぜか顔を真っ赤に染め上げたルーンがうなづいた。
頑張る? そんなに難しい詠唱だったかな?
研修の時に見た詠唱はそれほど長文でなかったし、簡単だったと思うのだが……まあその研修もサラッと短くやっただけだし、もしかしたら難解な詠唱だったのかもしれないな。
箱の中の残りは2枚の書類と判子があった。
1枚は俺が読み上げる分の詠唱文。もう1枚はジュリアスが書いた同意書を確認したとする確認書類だ。
こっちには俺のサインを書き込んで、ようやく準備は完了だ。
「これですべての準備は整いました。最後に口頭での確認を行います。証人はわたくしサトーとルーン・ストーリストです。ジュリアス・フロイラインさん、今回の手続きの内容をすべて理解したうえで解呪に同意されますか? 同意する場合はそのように宣言をお願いします」
「ああ! 我が名、ジュリアス・フロイラインの名のもとにすべて了承する!」
ジュリアスの宣言が行われると、書類と判子を中心に緑色の光を帯びた魔法陣が展開される。室内は魔力に満ち、その密度からかすかに風が巻き起こるほどだった。
今から執り行う解呪手続き。
名を【
地球出身の人間からすればどこかしらで聞いたことのある名前であり、こちらの異世界出身者からすればまるで聞いたことの無い単語だろう。その昔、こちらに召喚された人間が作った魔道具の量産型であり、ギルドに存在する解呪手段の一つ。
判子と書類自体に魔力が備わっているため、俺のような魔力が少ない人間でも使うことができる便利アイテム。
ただし使用の際には条件がいくつか存在する。一つはギルド所属の事務員2名以上による承認が必要であること。
もう一つは契約内容がまとめられた契約書が必ず必要であるということだ。
昨晩ジュリアスを一度帰らせた理由がこれだ。
昨晩の酒場にはギルドの事務員は俺しかいなかったし、そもそも勤務外にギルドの特権を使用することは固く禁じられている。
もしそんなことをすれば減給や停職では済まない処罰が待っていることだろう。
ここまでくればあとは簡単。
ルーンと俺が順番に詠唱して判子を書類に押せば出来上がり。
晴れてジュリアスは自由の身になるのである。
視線をルーンに向けて詠唱を促す。ルーンはこくりと頷き、息を大きく吸い込んで次のように詠唱した。
「リリカル、ミミカル、ルルカル、ルンッ♪ おかしな契約許さない! 女神に代わってやっちゃうゾ! 不当契約破棄魔法!
……
…………
………………
「「え?」」
異常すぎる光景に俺とジュリアスから漏れた声が一致した。
何かとんでもないセリフをルーンが口走ったのだ。
しかも可愛らしい振りつけ付きで。
「る、ルーン? いったい何を……」
「ち、違うんです! 書いてあるんですこの書類に! 振りつけもちゃんとやらないとダメだって、書いてあるんです!!」
顔を真っ赤にして弁解するルーン。いやおかしい、研修の時にはこんなファンシーな詠唱じゃなかったはずだ。
確認のためルーンの持つ書類に目を通すと……マジで書いてあった。
『ふおぉーー!! 素晴らしい振り付けでござるルーン殿!! あの腰使いと言い可愛らしい詠唱と言い! 拙者感服いたしました! わっふるわっふる!!』
「うぅ……」
恥ずかしさのあまり部屋の隅でうずくまったルーンの後ろ姿を哀れむと同時に、俺にはとある焦燥感があった。
もしかして、俺も似たような詠唱をしないとダメなのか? いや、ダメなんだろう。
話の流れからすると間違いなく。
二つ折りにされた詠唱文と思しき書類を前に、人生でこれほど緊張する時間があっただろうかと冷や汗を流す。
くそ、嫌だけどやるぞ! 俺はやるぞ! 早く手続きを終わらせてこのおかしな空気を払拭してやる!
意を決して書類を開いた。
「なっ!? そんな馬鹿な! なんでこんな――なんでこんなことに!?」
「な、なんだ? どうしたんだサトー! やっぱり、ルーンみたいなおかしな詠唱文が……?」
クソッ! 頭がおかしくなってしまいそうだ! この詠唱文は先ほどルーンがやったような部類ではない。ないが!
この呪文を詠唱してしまうと俺もただでは済まないだろう。
しかし、無関係なルーンがあれほどの頑張りを見せたのだ。
一応上司の俺がそれを無に帰すような行動をとってしまっては立つ瀬がない。
俺だって男だ! やってやるさ!
「炎の情熱香ばしい、クーリングレッド! 甘く香る花吹雪、クーリングピンク! 高く天に手を伸ばす、クーリングブルー! 深く息吸いさわやかに、クーリンググリーン! カレー大好き、クーリングイエロー! 五色揃って、クーリングオフ!!」
「「………………」」
『いや拙者、戦隊モノはあんまり……』
「うるせー!! とにかく! これで手続き完了だ!!」
ジュリアスの契約書に判子を押し込むと、展開された魔法陣がかき消され、突風が三人の体を襲った。
数秒続いたその風に契約書は巻き上げられ、空中で炎に包まれて燃え尽きる。
その光景を見たジュリアスは、片手に持ったエクスカリバーを机の上に手放した。
「ふう……お疲れさまでした、ジュリアスさん。これにて手続きは完了です」
「お、終わったのか……終わったんだ! やった! ありがとうサトー! ありがとうルーン! ああ、こんなに清々しい気分は久しぶりだ!」
天井を見上げて大きく息を吐いたジュリアスの表情は、それはそれはすっきり爽快、気持ちの良さそうな良い笑顔をしていた。
「ところで、すぐトイレに行かなくても良いんですか?」
「え? トイレ?」
「ん?」
首をかしげるジュリアスは、次の瞬間青ざめた。
手を短パンに当てると、すぐさま視線をそらしてうなだれる。その理由は俺にはわかる。鼻にツンと来るアンモニア臭。つまり……
「…………ここであったことは全部忘れよう」
「「はい」」
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