月の宝石という名の都 

 そして。

 ガラが去った後。

 ヘルマンに起こされたカイエンは、エルネストと一緒に、シイナドラド皇王家の人々との顔合わせの晩餐へ向けて飾り立てられていた。

「ねえ、その耳飾りと指輪。それって紫翡翠?」

 着替えているカイエンを見ながら、ふと気がついたようにエルネストが聞いてきた。

 彼自身は彼のお気に入りらしい、黒っぽいが華やかな印象の服装に着替え終わっている。黒にところどころ銀色の混じる服は、上着がふわっとした黒っぽい銀色の固い絹地の長衣で、それから透けて下に着た衣服が見えるような仕様だった。それがシイナドラドでの公式の衣装の形式らしい。

 真っ黒な肩より少し長い髪は、整えられて額に回した銀色の髪留めで止められていた。

「珍しいね。そんな深い色合いの翡翠は見たことがないよ。ずっとそう思っていたんだけれど、今まで言うのを忘れてた」

 カイエンは、表情が変わらないように気をつけながら、答えてやった。

「そうだよ。これはつけたままでいいだろう? この服の色にも合っている」

 そう言えば、エルネストは普通にうなずいた。

「いいんじゃない。こっちで選んだ紫水晶よりもずっといいし」

 おお。

 では、エルネストは知らないのだ。

 カイエンの紫翡翠は、ヴァイロンの「鬼納めの石」であるということを。

 カイエンはその事実をそっと胸にしまった。これだけは取り上げられるわけにはいかなかった。

 今、着せられている最中の衣装は、これがシイナドラドの皇王家の女性の正式な衣装なのだろうか。

 カイエンの長い髪の毛は今、首の後ろで青金の装飾された髪留めで一つに束ねられている。ハウヤ帝国の貴族の女性の正装では、カイエンの歳にもなれば髪は巻き上げて結い上げるべきものだが、このシイナドラド皇王宮では違うらしかった。

 やや短い前髪はそのまま顔の左右に分けて垂らされている。これは左の頬にある傷に貼られた布を少しでも隠そうという苦肉の策かもしれない。

 額には、ハウヤ帝国ではとうに流行遅れになっている、黄金の額飾りが回されていた。

 カイエンに用意された衣装は、幾重もの多彩な紫色の糊の効いた絹地が重ねられたもので、傍から後ろだけが長く裾を引くようになっている。

 全体としては青みがかった紫の絹地の模様は、大小様々な星の文様であった。星の形も、計算されているようで、背中から見ると銀河が横たわっているように見えた。

 その下に着させられたのは、いつぞやあのノルマ・コントが作った紫の地に白い百合の花を散らした螺旋帝国の布地を思い出させるような柔らかい絹地のほっそりしたドレス。こちらには詰まった襟元と袖口に入った青金の細かい文様以外の装飾はない。前で結ぶらしい煌びやかな長い帯だけがアクセントになるのだろう。

「苦しくありませんか」

 ヘルマンがカイエンの前にひざまずいて、前に垂らすようになっている腰帯を結びながら聞くのへ、カイエンは鷹揚にうなずいた。

「問題ない」

 カイエンが答えると、ヘルマンは最後に衣装と同じ紫色の絹地の縦に長い帽子を取り出して、カイエンの頭に載せた。

 それで、カイエンの支度は終わった。


 


 そして。

 シイナドラド皇宮の本殿へ、馬車に乗せられてカイエンは連れて行かれた。

 そこで大扉が開かれ、カイエンはエルネストに連れられて、「彼ら」の前に出て行った。

 待ち構えていたのは二十人余りの老若男女。ほとんどが中年以上の年頃で、子供の姿はまったくない。

 一見して、カイエンにもわかったのは、彼らが彼女の遠い血族に違いないという不気味な事実だった。

 神殿の像のように整ってはいるが、面白みのない顔。

 黒っぽい髪に、灰色の目。

 それは、皇帝サウルや父のアルウィン、伯母のミルドラに共通する、あの「顔」だった。

「おお。あのお姿」

「まさしく、エストレヤの君じゃ」

「お名前にもエストレヤの名が冠せられておりますのですなあ」

「まさに、あのお方のおっしゃっておられた通りの君でございます」

 集まった人々の口から、口々に驚きの声が上がる。

 だが、カイエンにはその驚きの理由はわからない。皆が皆、同じような顔をしている中で、どうして、彼らはカイエンだけを指して「エストレヤの君」などと言って感心した顔で見るのだろう。

 そもそも、「エストレヤの君」とはなんだ?

 カイエンには理解ができなかった。


 そこは、だだっ広い、まるで神殿の礼拝堂のような大広間だった。

 何本もの柱が高いところにある天井まで続き、アーチを描いている。

 正面の高い高い壁には、カイエンがちらっと見ただけでわかる、アストロナータ神の巨大な彫像が、星々を背景にして刻まれていた。

 そこに集った中年以上の男女、おそらくはシイナドラド皇家の血族の中でも主だった人々は、長大な大テーブルの左右に居並んでいる。皆が皆、男はエルネストのような服装を、女はカイエンのような服装をしていた。

 恐らく、この形式の衣装が親族たちの集まるような正式の席のための衣装なのだろう。

 だが、エルネストの黒、カイエンの紫と同じ色調の衣装のものはいない。

 よく見なくても、カイエンが今、被らされている筒型の長い帽子を頭に載せているものもいなかった。金や銀の額飾りだけが共通していた。

 カイエンは見た。

 正面に座っている五十絡みの男が、間違いなく皇王バウティスタだろう。カイエンの祖母、ファナの弟だ。その顔は、カイエンが見たことがある、ファナ皇后の肖像画にうりふたつだ。

 その横に立っている、二人だけ若い男と女。

 それが今回、カイエンがこのシイナドラドまでくる理由になった、婚礼を迎える男女なのだろう。

 二人ともに、カイエンやエルネストと同様な顔立ちをしている。二人がともに似ている分、カイエンにはかなり不気味に映った。

 よく似た顔の、もうすぐ夫婦になるであろう男女。

 黒い髪に灰色の目。端正な顔立ち。その顔立ちのほとんどの部分が合致するような顔と顔。

 カイエンはまだ気付いていなかったが、彼女と、彼女に並んでいたエルネストとて、同じだったのではあったのだが。

「ようこそ。友邦ハウヤ帝国の大公殿下。この度は私たちの婚礼のために遠い道をいらしていただき、ありがたく……」

 カイエンは自分に話しかけてきた、おそらくはエルネストの兄、皇太子セレスティノの言葉を乱暴に遮ってやった。騙しうちで部下と引き離して引っ張って来た相手に、ありがたいもないもんだ、とカイエンは地団駄踏みたい気持ちだった。

 声までもがなんだか聞いたことがあるようで、カイエンには不快極まりなかったこともあった。

「ちっともありがたくなんかないよ。こっちは大迷惑だ。……どうしてくれる? この落とし前?」

 カイエンの乱暴極まる言葉が、大広間に響き渡った。地声が太くて大きいのでその声は遠慮会釈なく、その場の高貴な人々の頭の上へ落ちかかって行った。

 一瞬の沈黙。

 だが。

 返ってきた言葉は、カイエンの予想していたものとはやや、違っていた。

 主としてかなりの年配の者たちが発した言葉。

 それは。

「なんと!」

「ああ、お声までが歴代の星の君たちの伝承と同じでいらっしゃいます! 大きく澄んだ、低いが艶のあるお声!」

「ありがたい。ありがたい。これで皇国は救われました!」

 はあ?

 カイエンは自分がこの事態を理解出来ないことを、理解した。

 ここにはまだまだ、彼女の知らなければならない謎が詰まっているということを、彼女は本当にはこの時になって、やっと理解し始めたのかもしれなかった。






 その頃、ハウヤ帝国、首都ハーマポスタールの皇帝宮の奥宮ではちょっとした騒ぎが巻き起こっていた。

 カイエンたち一行がネファール、シイナドラド国境の街リベルタで陥れられた事件が、早くも伝わってきたからである。

 宰相サヴォナローラがネファール国境まで敷き詰めた連絡網を伝って、情報が届くのは早かった。

 実に、一週間とかからずに最初の一報が届き、その後から早馬で続々ともたらされた情報で、宰相サヴォナローラはすでにカイエンとパコ・ギジェンがジェネロたちフィエロアルマと引き離されてシイナドラド国内へ連れ去られたこと、そしてフィエロアルマはネファール側で布陣しているはず、との情報を得ていたのである。

 これは、事前にサヴォナローラとザラ大将軍との間で、緊急事態を想定した情報伝達の符丁が決められており、人間の口から口へ、または文書を介さずとも、狼煙その他の遠距離間でも伝えられる合図でもって事態を伝達できるように、準備がされていたからである。

 だが、この事態はまだハウヤ帝国中枢以外の貴族や国民へは極秘になっていた。

 当然である。

 もし、ハーマポスタール市内の読売りなどに嗅ぎつけられたら、一晩にして話は上から下まで市内全域に伝わるだろう。市民の間で「すわ、開戦!」という論調になりかねない。

 何せ、大公が護衛と引き離されてシイナドラド国内へ拉致され、ネファールとの国境ではすでに両軍が睨み合っているのだから。

 パナメリゴ街道沿いに、商人などの口伝えで情報が届くには、まだ時間があった。だから、その間に策を練らなければならなかった。

 それで、皇帝サウルと宰相サヴォナローラは非公式ながら秘密会議を開くことを決めた。

 そこに、集まったのは、たった八人の男女。

 それも、その中には今日初めて皇帝サウルにお目通りする、という身分違いの陪臣もいた。

 今度の事態の中心人物が大公のカイエンであるために、特別に大公宮の現在の責任者が呼びつけられたのだが、それがなんとも怪しげ、かつ不思議な面々になってしまったのは、現在の大公宮の状態からすれば致し方なかった。

 カイエン不在の現在の大公宮。

 その一番上は、なんと大公軍団長のイリヤボルト・ディアマンテスなのである。大公軍団は大公の私兵で、形態としては傭兵部隊なので貴族出身の幹部などいない。

 だから、身分など度外視するしかなく、イリヤは問答無用で呼びつけられた。

 そこまではいい。

 おかしいのは、そこから先で、他に呼ばれた二名は、大公軍団最高顧問となぜか新設の帝都防衛部隊の長だった。

 つまりは、これまた庶民のマテオ・ソーサと、なんとあのヴァイロンである。

「えー、マジで? マジでこの三人で皇帝の秘密会議に出させられるのぅ?」

 これが決まった時のイリヤの、いつもの素っ頓狂な声に、マテオ・ソーサは苦々しい顔で答えたものだ。

「君はもう、非公式だが皇帝陛下にお目通りしてるんだろう。ヴァイロンは元は将軍閣下だ。意外なのは私だよ、わ・た・し!」

 そんな三人が、凸凹した列をなして、海神宮の中でも特に奥まったところにある、指定された部屋に入っていくと、中にはもう貴人たちが待っていた。宰相のサヴォナローラの姿だけがない。

 イリヤとマテオ・ソーサは知らなかったが、その部屋は前にカイエンが皇帝に呼びつけられた部屋だった。後宮で星辰が起こした事件の後に、ミルドラやフランコ公爵夫人のデボラ、そしてカイエンが事情聴取された場所でもある。内密の事柄を話し合う場合の部屋のようだから、庭に面した窓などはない。

 正面に皇帝サウルが、一人がけの大きなソファにすでに厳しく座っており、横には皇太女のオドザヤ。

 オドザヤの隣には高位貴族らしい三十絡みの男が落ち着かなげに座っている。これはイリヤたちには馴染みがなかったが、元老院院長のフランコ公爵である。反対側の席は一つ空いており、二番目にはザラ大将軍が座っていた。

 大将軍は、イリヤの顔を見ると、ぐっとうなずいてみせた。

「皇帝陛下。あやつらが大公軍団の責任者たちです。先頭が軍団長のイリヤボルト・ディアマンテス、次が先年まで国立士官学校の教授であったマテオ・ソーサ最高顧問。残りのは……ご存知でいらっしゃいますな。帝都防衛部隊長のヴァイロンです」

 ザラ大将軍が自分たちの代わりに紹介してくれたので、イリヤ以下三人は、黙って深々と黙礼するだけで済んだ。ソファの並んだ、くだけた雰囲気の部屋の様子から見ても、謁見の間のように跪いて挨拶する必要はないらしかったから。

 ザラ大将軍が目で「そこに座れ」と促したので、三人は一番末席に並んで座った。

 先日は陪臣としてカイエンの後ろに立たされていたヴァイロンも、今日は座っていいらしい。

 そんな身分が云々とは言っていられない事態が起きたのだろう。さすがのイリヤも緊張した顔になった。

 その時。 

「お揃いですね」

 そう言って、宰相のサヴォナローラが入ってきた。

 イリヤが密かに驚いていたのは、そこに皇太女のオドザヤと、それにテオドロ・フランコ公爵元老院議長までもが座っていたことだった。

 オドザヤは用向きを考えたのだろう、地味なドレスをきちっと着こなし、化粧も控えめだ。それでもその場にそこだけ大輪の黄金色の花が咲いたように華やかで、周りの空気までもがぼうっと光って見えるようだ。もっとも、イリヤは一度、大公宮でお忍びの彼女を見ているので、そのことに驚きはしない。彼女がここにいるのは、もちろん皇太女として、未来のこの国の支配者としての立場を認められているからだろう。

 フランコ公爵は明らかに緊張して、がちがちになっている。

 オドザヤの立太子式で彼女を補佐する者として名指しされてから、彼は一応の覚悟はしていたが、こんないかにもな秘密会議に引っ張り出されるとまでは思っていなかったのであろう。

 今までの皇帝サウルは元老院など眼中になかった。だから、フランコ公爵も政治に介入することは全くなかったのだ。

「お集まりいただいたのは、大公殿下がシイナドラド側に捕らえれた件でのご報告と、ご相談のためです」

 そう言うと、サヴォナローラはネファール、シイナドラド国境から伝えられた情報を、淡々と説明した。

「えっ? 今日ってそんなに大変なお話だったの?」

 イリヤがやや遠慮がちではあったが、いつもと同じ調子でサヴォナローラに聞くと、横のマテオ・ソーサは呆れたように彼の方を見た。しかし、宰相の方は嫌がらずに応じてくれた。

「ええ。まだ事態は国家間の戦争が勃発するようなところまでは進んでおりませんが。もっとも、もしもの場合の対応はコロンボ将軍あてにもう、出してございます」

 そこまで聞くと、イリヤにはもうわかったらしい。

「あー、そうですねえ。そうじゃなきゃ、俺たちなんかが呼ばれて来ないよね」

 大公軍団はハーマポスタール市内が仕事の場だ。外国での作戦に関係などあるはずがないのである。

「じゃあ、なんのお話?」

 皇帝の前だというのに、ちっとも臆した風のないイリヤは、サヴォナローラに向かってにこにこと微笑んで見せた。

 それへ答えることなく、サヴォナローラは皇帝の方へ向き直って話し始める。イリヤは無視された形だが、彼はちょっと肩をすくめただけだった。さすがの彼もここで構ってもらえるとは思っていない。

 だが、それからサヴォナローラが始めた話は、そこに集まった何人かには、初めて聞く不思議極まる話であった。

「陛下、大公殿下が旅に出られる前に陛下とお話になられた時、皇帝家の歴代皇帝へ輿入れしてきたシイナドラドの皇后のお話が出ましたね」

 皇帝には、もう今回の集まりの理由がわかっているのだろう。彼は静かにうなずいて見せた。

「ああ。十八人の皇帝のうち、シイナドラド皇女の皇后を持った皇帝は十一人だったな」

「その時、これはただ先祖を同じくする『友邦』だから、ということでは説明できないこと、実際に歴代のハウヤ帝国皇帝陛下のお顔は、度重なるシイナドラド皇女との婚姻により、明らかに同じ系統のお顔が維持されて来ていることも話に出ました」

 目を白黒させているのは、オドザヤやフランコ公爵、それにイリヤ以下の三人だ。

「そうだったな。皆も気がついておろう。海神宮に並ぶ歴代皇帝の肖像画、それに我の兄弟姉妹、アルウィンとミルドラ、それにカイエンの顔を見ただけでもわかることだ。まあ、例外として我の娘どものような者もがあるがな」

 そう言って、皇帝が末席のイリヤたちまでを見回した。

 こんな話が始まった意図はよくわからないながら、話の内容にはうなずけたので、彼ら全員がとりあえず首肯した。皇帝とその妹弟、それにカイエンはなるほど、同じ系統の顔立ちである。髪や目の色も似通っている。

「あのお話の後、私、気になったので歴代皇帝とシイナドラドからいらした皇后のお姿の詳細を、肖像画と当時の記録から調べてみたのです」

「ひえ」

 イリヤがその膨大な仕事量を思ったのか、変な声をあげると、サヴォナローラはにこやかにイリヤの方へ微笑んで見せた。

「もちろん、部下の神官も使いました。事が事ですから、官僚や侍従は使っておりませんが」

「で、どうだったのだ」

 せかすように言ったのは皇帝。

「事前に予想しておりました事が、かなり、裏付けられたように思っております」

「そうか」

「まず、歴代の皇帝のお目はすべて、灰色でございます。まあ、灰色というのは範囲が広うございますからね。青に近い方も、部分的には緑などのお色の入った方もいらしたでしょう。しかし、記録にはすべて灰色とありました。ですが、お髪の色となると、『黒っぽい』事は共通しておりますが、光が当たった時などの色の見え方はいろいろであったようです」

 皆は目の前の皇帝サウルの髪の色を見た。この頃、白髪が目立ってきたようだがそれでも彼の髪の色は漆黒だ。

 そして、皆がここに集まった理由である、大公のカイエンの髪の色は明らかに紫がかっていた。

「まずは初代皇帝のサルヴァドール陛下ですが。この方の肖像画はもちろんいくつも残っております。海神宮にもございますね。この方の髪のお色は紫がかった黒であったようです。これは当時の宮廷の記録などにも記載があります」

 ここで、人々はちょっとざわついた。カイエンの髪の色が、皇帝家の先祖由来のものだと気がつかされたからだろう。

 そして、現在それを持っているのは、このハウヤ帝国ではカイエン一人だと言うことも。

「しかし、初代のサルヴァドール陛下の後の、二代目皇帝から十七人の歴代の皇帝陛下の中には紫がかかった髪の方はおられません。どういう加減かはわかりませんが、皇帝家の男子の方々の髪のお色は漆黒か、または紺色がかった黒いお色だったようでございます。お目の色や、お顔の造作は初代からずっと似ておられるのですが」

「え? そうなの? そういえばそうねえ。確かに皇帝陛下は黒だし、先代の大公殿下は紺色っぽく見えましたねえ」

 そう言ったのはイリヤ。

 不遜極まりないイリヤは皇帝サウルの前でも、言葉遣いを正すつもりもないらしい。

「そうなのです。それから、シイナドラドから輿入れされた皇后陛下の方ですが、こちらの十一名はなんと、お一人を除いてはすべて、灰色の眼はもちろん、紫がかった黒い髪のお方ばかりだったのです。ですから、この『お髪の色』を重要視しないわけには参りません」

 サヴォナローラがそういうと、すぐに皇帝サウルが引き継いだ。

「その例外の一人は、我の母だな。母のファナ皇后は緑がかった髪の色であった。……妹のミルドラの髪の色は、母と同じだ」

 サヴォナローラはにこりと笑った。

「つまり、このハウヤ帝国初代皇帝サルヴァドール陛下の実家である、シイナドラド皇家由来のお髪の色は紫がかった黒い色で、あちらの国はそのお色を持って生まれてくる皇帝家の子孫を期待して、ハウヤ帝国へ皇女を送り込み続けたという事実が浮かび上がって参ります。……それでも、歴代ハウヤ帝国皇帝にそれを受け継いで生まれてきた方はおられなかったのですが」

「それは、シイナドラド皇家が、それほどまでして紫色の髪を持った皇王家の直系の血を、本国から離れたこのハウヤ帝国皇帝家の子孫にも伝えようとしていたということだ。そして、その意味とは何か、ということだな」

 皇帝は落ち着いている。

「さようでございます。ですが、ここで例外である皇帝陛下の母君、ファナ皇后のことが問題となって参ります」

 サヴォナローラは一息ついた。

「今までの流れであれば、シイナドラドは紫がかった髪を持った皇女を送り込んでくるはずだったが……」

 その間に、皇帝サウルが言う。

 それへ、サヴォナローラはもう、結論を得ている者の性急さで答えた。

「それは送り込みたくとも、その条件に当てはまる皇女がもう、おられなかったからでございましょう」

 一瞬、その場の皆がしん、となった。

「そういえば、父の前の祖父や曽祖父の皇后は、シイナドラド皇女ではないな? 我へもシイナドラドからの縁談話は、なかった」

 皇帝サウルが、やや気の抜けたような声で言う。

 それでも、その灰色の目はぎらぎらと輝いており、その目の奥で頭脳が凄まじい速さで回転していることが見て取れた。

「さようでございます」

「この事実から導き出される推測は?」

 サヴォナローラは一拍置いてから、厳かな声で答えた。

「すでに数代前から、シイナドラド皇王家でも、紫色がかったお髪の皇女が生まれなくなっていた、と言うことではないかと推測致します」

 そこに集まった皆はしん、として声も出ない。

「ああ。条件に合う皇女がおられぬので、こちらへの嫁入りもさせられなくなった、と言うことでしょうか」

 小さな声で呟くように行ったのは、フランコ公爵テオドロ。

「それで二代が過ぎてしまい、仕方なく条件に合わないファナ皇后を嫁入りさせてきた、ってことでしょうな」

 これはザラ大将軍。

「向こうでも、血が薄まってしまったのだろうな。我の時には縁談話そのものが持ち込まれることもなかったのだから」

 話をまとめるように、皇帝サウルが呟くように言うと、サヴォナローラが引き取った。

「恐らくはシイナドラド建国の頃から続く、シイナドラド皇王家一族特有の容姿を、これまでして守ろうとしたとなれば、近親結婚が多うございましたでしょう。それは障碍を持った子孫を生み出します。それゆえ、外の血も入れなければならず、それによって徐々に血が薄まったということでしょう。これは何もシイナドラド皇王家だけのことではございませんが」

 そこで、それまで末席で黙って聞いていた、マテオ・ソーサが口を出した。彼も、皇帝の御前であるという事実を忘れたのかもしれない。

「それでは、それではですよ。では、そうまでしてシイナドラド皇王家が守ってきた、その、紫がかった色の髪と灰色の目をお持ちの大公殿下、カイエン様は……どうなるのです?」

「それです」

 サヴォナローラは得たり、という顔をした。

「カイエン様のお母君は……ここにおられる方は皆、ご存知ですね。……アイーシャ様です。ですから、カイエン様はシイナドラド由来の血は半分しか受け継いでおられないのです。それなのに、カイエン様はシイナドラド皇王家が守り続けてきたお姿を持って生まれてこられた」

「ええ?」

 そこで、それまで黙って皇帝のそばに座っていたオドザヤが声を発した。

「それではまさか。……この度、お姉様がシイナドラドへ招かれて行かれたのは?」

 サヴォナローラは、ちょっと痛ましそうな目をしてオドザヤを見た。同じ母を持つのに、全く似ていないカイエンの妹を。

「今回のシイナドラドのやり口を見るに、そういうことになりましょう。……彼らはなんと申しましょうか、『先祖返り』とでもいうべき偶然で彼らの求める皇王家の容姿を持って生まれてきた大公殿下のことはすでに知っていたに違いありません。ですが、友邦とはいえ他国の皇女、今は大公である方を呼び寄せる適当な手段も名目もなかった」

「そこへこの度の皇太子の婚礼というまたとない『口実』が出来たというわけですね」

 オドザヤは、きっと顔を厳しくした。彼女にも話の進む方向がつかめてきたようだ。

「前に前々大公のグラシアノ殿下が、今のシイナドラド皇王の婚礼に出たという先例が役に立ったというわけです。……この度、大公殿下をシイナドラドまで呼び寄せるのには」

 サヴォナローラがそう、締めくくると、そこには沈黙が降りてきた。

 ここにいる皆は、カイエンが実は、皇帝サウルの弟で、前の大公であるアルウィンの娘だということを知っている。アイーシャの事件がなければ、カイエンはアルウィンの娘の大公女であったのだから、皇帝の兄弟が就任する大公になる可能性などなく、シイナドラドへ行く可能性などゼロに等しかったのだ。

 しばらくして、口を開いたのは皇帝サウルの沈んだ声だった。


「そもそも、シイナドラドの奴らはどうして同じような姿形の子孫ばかりを求めたのだ? それも顔立ちや姿だけでなく、髪の色目の色まで!?」

「ここからは想像の話になりますが」

 サヴォナローラは一言、言添えてから話し出した。

「シイナドラドの星教皇、という存在をご存知でしょうか?」

 これには、その場のすべての人間はうなずかなかった。

 はっきりとうなずいたのは、皇帝サウル、ザラ将軍、そしてマテオ・ソーサの三人だった。

「星教皇は、私の所属しますアストロナータ教団の至高の存在です。アストロナータ神は、シイナドラド皇王家の始祖であると言われており、古の時代にはシイナドラド皇王こそがアストロナータ神を体現するものとして国を支配していたのだと言われております。ですから、政教分離の歴史の後、制定された星教皇はいわば、アストロナータ神の化身ともいうべき存在なのです。ですから、代々の星教皇はシイナドラド皇王家の皇子皇女から選ばれています」

 サヴォナローラは息をついた。

「アストロナータ神の基本的なお姿というのは、このハウヤ帝国などへも伝わっております。私が今、かぶっておりますこの筒型の帽子や褐色の服の形は、アストロナータ神のお姿として伝わっている中の一つから神官の服装となったものです。他にも線の細い、端正なお顔をなさっておられること、長い髪をしておられたことなどは伝わってきております。ですが、髪の色や目の色などの細かいところは伝わってきておりません。これは当たり前といえば当たり前のことです。何せ、千年単位の時間が横たわっているのですから。それに、今となってみますと、シイナドラドのアストロナータ神教教団が星教皇選別のための秘密として巧妙に隠してきたのやもしれません」

 サヴォナローラは続ける。

「ですが、アストロナータ神が最初に降臨なさったとされる、シイナドラドの、それも皇王家となれば違うのではないでしょうか」

 これを聞いた皇帝はただした。その顔はやや固く、青白く見えた。

「もっと詳しい容姿の特徴が今に至るまで伝わっており、かの国で星教皇を選ぶ際にはそれに倣った選別がされておるというのか」

「はい。そう考えれば、シイナドラド皇王家が、特定の容姿を持った子孫が生まれ続けることに固執し、それを先祖を同じくするこのハウヤ帝国の皇帝家にまで求めてきたことの説明ができると思うのです。少なくとも、ハウヤ帝国建国の皇帝、サルヴァドール皇帝はその特定の容姿に当てはまる方でいらしたのでしょう。そして、……恐らくは、アストロナータ神のお姿は血が薄まれば、もう現れないような特徴が多いのではないでしょうか」 

「では。カイエン様はシイナドラドの星教皇として迎えるために呼び寄せられたと?」

 落ち着いた声はザラ大将軍のものだった。

「そんな……。それではお姉様は帰って来られますの?」

 続けて叫ぶような声で言ったのはオドザヤ。

「そこでございます」

 サヴォナローラはゆっくりと、その場に集った自分以外の七人の顔を順繰りに見た。

「私はカイエン様は戻されていらっしゃると思っております。それは、今度の話にはシイナドラド第二皇子の婿入り話が付録として付いているからでございます」

「なるほど。奴らの考え方では、星教皇はシイナドラド国内におらんでもいいのだな。だが、代わりにシイナドラドとの間の連絡をつける皇子をよこすということか」

 皇帝が聞くと、サヴォナローラはちょっと考えるように間を置いた。

「そのあたりのあちら側の考えは、私にもまだ完全には理解できないのです。……カイエン様が完全な星教皇でありえるならば、もっと早くに手を打ってきたはずです。カイエン様はもう十九におなりなのですから。その間、何もせずに放っておいたというのがうなずけません。この十九年を待っても、シイナドラド側には星教皇になれそうな皇子皇女の誕生がなかったために、今度の策略を巡らせてきたのでありましょう……。このハウヤ帝国へ二代の間、皇女を送って来ることができず、先代皇帝陛下へ輿入れされたのが、条件に合わないファナ皇后であったことを考えますと、シイナドラドの星教皇自体が、長い間、空位だった可能性さえあるのではないでしょうか」

 なるほど。

 星教皇とやらの重要性を聞けば、皆、シイナドラド皇王家の追い込まれた状況も理解は、出来た。

 だがもちろん、サヴォナローラの疑問に答えられるものは、ここにはいないようだった。

「これは、カイエンの解放は、シイナドラドの皇子との婚姻を条件に、と言うことになるのだろうな」

 皇帝がため息とともに言うと、サヴォナローラは陰鬱な顔をしてうなずいた。

「コロンボ将軍と、ザラ子爵へはこちらから指示しますが、現地では、そういう約定の後に大公殿下の解放、と言うことに落ち着くのかと思われます。忌々しいことですが、事態をこじれさせるのは危険です」  

「ともかく、お前の考えではカイエンは戻されてくる、と言うのだな?」

 皇帝が聞くと、宰相も答えた。

「恐らく。そうでなければ、即時にシイナドラドと我が国との間で戦端が開かれることになりましょうから」

 皇帝サウルは一応はうなずいた。

「カイエンが戻ってくるならば、今回は事を荒立てずに済むかもしれん。だが、押し付けられる第二皇子とやらは厄介だな。まさかカイエンとともについてくるつもりではなかろうな?」

「それはないと思います。道中で『不慮の事故』に遭われる危険性がありますから」

 ジェネロやザラ子爵自体はそこまでしようとしなくても、サヴォナローラが命令すれば、それも可能だ。

 口の端に笑いを張り付かせたサヴォナローラの顔を、オドザヤやフランコ公爵が引きつった顔で見ていた。

「それなら、とりあえずはしょうがないな。……厄介者をこの国へ入れることになるが、大公宮へ迎えるならば、皇宮へ皇后を迎えるよりはマシなのかもしれぬ」

 皇帝の言葉に答える者はいなかったが、イリヤとマテオ・ソーサは、それまで大きな体を沈黙で鎧っていたヴァイロンの、かすかな動揺を感じ取っていた。

 フィエロアルマという護衛を失って、星教皇候補としてシイナドラド国内へ連れ去られたカイエン。

 そこには恐らくは彼女の配偶者として選ばれた第二皇子とやらが待っているのであろう。

 内閣大学士のパコ・ギジェンたちも一緒だとは言うが、すでに引き離されている可能性もある。

 カイエンを「おのれの唯一」と定めているヴァイロンの苦悩は二人にも理解できた。

 マテオ・ソーサは、そっとヴァイロンの手を握った。

「ヴァイロン・レオン・フィエロ」

 小声で言う。

「先だって話したことを覚えているね。……ガラ君は、彼だけは間違いなく大公殿下のお側にいるはずだ。彼は……あの薬を持って行ったんだよ」

 ヴァイロンは瞬時に我に帰り、教授の明るくて白っぽい灰色の目を見た。

「まさか……」

「その、まさかだよ。私は彼から聞いたんだ。フェロスの毒を、彼は持って行ったんだよ!」

 ヴァイロンは声も出なかった。

 確かに、ガラはフェロスの毒使いである。

 だが、フェロスの毒を体内へ入れれば、獣人の血を引くガラは獣化する。心に己の半身を持っていなければ、もう、人へは戻れない。一匹の野獣になるだけだ。

 ヴァイロンには今はカイエンが身に付けている「鬼納めの石」があった。

 だが、ガラにはない。あるのは解毒剤だろうが、獣化した体ではおのれ自身が持ち歩くことは出来ないだろう。それはガラ自身が最もよく知っているはずだ。

「彼はおのれを失わない自信があったのだろう。だが、元に戻る術に付いては、ね」

 マテオ・ソーサは静かに言った。

「だから我々も、出来うることはしなくてはなるまいよ。大公殿下がお帰りになると決まったらね。……そうだろう?」

 聞いていたらしい、イリヤの小声も、ヴァイロンには聞こえた。

「……俺たちが呼ばれたのって、そういうことでしょ」


 ああ。

 この二人は。

 ヴァイロンは泣きたいような気持ちになった。

 大公宮の人々はまるでカイエンの家族のようで。そして、頼もしかった。

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