第十話 トンネルの出口

「俺の事だと?」

「ああ。今この瞬間、もう一つの客車は証明された。では、貴方が何故それを目撃していなかったのか。」

「そ、それは……。そうだ! きっとこの男が連結を離した! そうに違いねえ!」

今は布が被せられている仏様に失礼にも人差し指を突き付ける男。確かにその推理だと客車が連結を離された後この蛮カラ姿の男はデッキに出た事になる。

「だが、この御仁はもう一つの客車内で殺された。それはこの青年が証言している。」

「その兄ちゃんを信じるってえのか?」

「少なくとも貴方よりはね。ところで火夫の方々、その金を渡してきた男の顔は見たのだろうか?」

もうお縄にかかる準備は出来ているのか、絶望と決意に満ちた男たちが首を横に振る。

「覆面をしていた。」

「背丈は?これぐらいでは?」

老人が蛮カラ姿の男に視線を向ける。

「俺たちはこんな金で火夫を脅したりしねえぜ。」

フンと鼻を鳴らした蛮カラ姿の男が鼻息と共に三つ目の証拠を落とした事を老人は聞き逃さなかった。そして火夫達は背丈も覚えていないのかまた首を横に振る。

「ふむ。では、彼らから犯人を特定するのは困難という事か。やはり貴方の嘘を暴くしかなさそうだ。貴方の意見はデッキでこの御仁が連結を離した。それで間違いないだろうか?」

「ああ。そしてそれを目撃した兄ちゃんと殺し合いになった。秘密裏に連結された客車なんて犯罪の匂いしかしねえ。」

「しかし、見てもらったら分かる通り、デッキに血痕の類はほとんど残っていない。」

駅員が確認しに行く。そしてそれらしき物がない事を告げる。

「デッキで犯行が行われたと考えるのは些か無理がある。それにそもそもこの青年はどこから刀を取り出したのだ。」

「そんなもん、所持してたんだろうよ。」

「この廃刀令が浸透したご時世にかい?」

今から十四年前――一八七六年に発布された廃刀令により、特別な身分の者以外は帯刀を禁止されている。

「なら、逆だ!この男が刀を持っていた!」

「何故だ。」

「この男は警察官だ! 帯刀していてもおかしくねえ!! この男から刀を奪い、この兄ちゃんが刺したんだ!! 血は走行中の客車だぜ? 風で飛び散ったんだろうよ!」

息を荒げる蛮カラ姿の男の推理はもっともだ。

しかし、

「ふっ。」

老人は笑っている。

「何がおかしいんだよ。」

「素晴らしい推理だったよ。ついでに自身の黒まで証明してくれるとはね!」

老人は腕を組み、上がった口角を震わせる。

「さあ、終幕と洒落こもうではないか。」

ガラス玉のような瞳を鋭く光らせ真っ直ぐに蛮カラ姿の男を射抜く。自分が何をしてしまったのか未だに気が付かない男は口を魚の様に動かす事しかできていない。

「先ほど忠告した通り、貴方は少しお喋りが過ぎるようだ。」

「何だと?! 俺は見た事を言っただけだ! この警察官が「そうまさにそれだ!」」

老人が声を被せる。

「先ほどから気になっていたのだよ――この御仁は警察官なのかい?」

客車内がざわつきだす。

「貴方はデッキで腰が抜けた旨を話した時にも、この御仁を警察官だと言った。その時から何か引っかかっていたのだ。面識がないと言っていたにも関わらず、何故職業を知っているのか。」

「?!」

「それだけではない。青年が客車での記憶を思い出すのを貴方が横やりで妨害した時、もう一つ落としていった。青年を殴ったのが———男だと。」

「そ、それは……。」

「そして、私のあまり喋らない方が良いという忠告も聞かずについ先ほど貴方は最後の証拠を落とした。火夫を脅したりはしない———俺たちは、と。」

後ずさった蛮カラ姿の男が座席にぶつかる。もう後ろに逃げ道はない。

「つまり!貴方がたは男性で結成された複数犯、そしてこの殺害された警察官の男性と何らかの関係がある。今この場で最も怪しいのは貴方だ!」

刃ように突き付けられたその人差し指を、食いちぎるような表情で睨み付ける蛮カラ姿の男。滴る汗は蛮カラにいくつもの染みを浮き上がらせ、濃くなった布はこの推理が黒か白かを教えてくれているようだ。

「くそ……。」

「いかがかな?貴方がデッキに出たのは連結を離す作業をする為だった。しかしその時、連結された客車にあらかじめ乗車していた仲間から死体と青年を渡された。そして必死に偽装工作をするも残念ながら爪が甘かったようだ。その気性の荒さは冷静さを欠き、推理の穴を広げる事となった貴方の欠点だ!」

事件の全容を明かされただけでなく、自身の欠点までも指摘された男の理性はすぐさま低い沸点に到達した。

「くそおぉぉぉぉ!!!!」

もう言い訳のしようがなくなり、怒り任せに天井に叫び、その地の底から湧き上がる怒声に客車が震える。

そして、充血した瞳を老人に向けたかと思ば、胸元から短刀を取り出した。護身用に持っていたそれを老人に振りかざす。

「うおおおお!!!!」

老人が刺される、誰もがそう思った瞬間、二人の間にくすんだ刃が煌めく。

「やめろおお!!」

自分を犯人に仕立て上げた刀を、敢志は反射的に握り下から上に振り上げた。

カキンと金属音を鳴らし、宙を舞う短刀。

だがまだ諦めていなかった。

「ちくしょおお!」

短刀を握っていた拳が老人の顔面を直撃するその刹那、素早い敢志の突きが入る。

「うおおおお!」

刀が刺さり痛みにもがいた腕は、老人にあたる一歩手前で進路を変えた。むやみやたらに振り回した事で、刀の刃が腕の皮膚を横に裂いていく。

「ぐうう!!!」

「あああああああ!!」

敢志はハッとなり刀を引っ込めた。何故なら最後の叫び声は老人が上げたからだ。

「すみません!」

刀を投げ捨て、その場に蹲りシルクハットが脱げて黒髪が露わになった頭を抱える老人に近寄る。

蛮カラ姿の男はというと、痛みで床を転げまわり、もはや声になっていない潰れた様な音を漏らしている。

しかし今は老人が一番心配だった。

「大丈夫ですか?!」

「はあ、はあ、はあ。」

今まで冷静だった老人からは全く想像もつかない乱れぶりに敢志はどうする事もできない。ゆっくり顔を覗き込めば老人の頬に血痕が付着している。あの至近距離での交戦により蛮カラ姿の男の血痕が飛び散り付着したのだ。

「せっかく助けていただいたのに……。」

ようやく敢志の声が届いたのか老人が顔を上げた。顔面は蒼白で、汗が玉の様に噴出している。

「いや、はあ、ありがとう。青年が、はあ、いなければやられていただろう。」

まだ整っていない呼吸の隙間から言葉を漏らす老人。

「少し驚いただけだ。目の前で生と死が交差しているようだったよ。」

力なく笑う老人の瞳が、何かを見つめる。

「警察だ。」

敢志も顔を上げるとようやく到着した警察が客車内に入ってきた。

様子を見れば悪者は一目瞭然。

血を流した蛮カラ姿の男は引っ張られるように連行さていく。

「貴様らも来い!」

偉そうに叫ぶ警察官が敢志の肩を掴む。周りからヤジが飛ぶ。

しかし未だに士族という高い階級だった身分が多い警察官の口調は変わらない。

敢志は老人を支えながら立ち上がり、警察官の後に続いて客車を降りた。

 そして老人に感謝の意を伝える。

「ありがとうございました。」

「君は無実だった、それだけだ。」

まだ覇気のない老人が無理に微笑む。

「でも、完璧に疑われていたのは俺でした。なのにどうして助けてくれたんですか?貴方も最初は疑っていましたよね。」

老人が敢志をあの透き通る瞳で見つめる。

「ああ、それは……。」

「何を話している!早く来い!」

警察官が二人を急かす。前から引っ張られ、後ろから押され、荷物の様に馬車に押し込まれた。


結局、何故老人が敢志を助けたのかは聞くことが出来なかった。


 その後、数年前に建てられたばかりの警視庁で長時間にも渡り調書を取られた。

終わった頃には朝陽が昇り始め、老人の姿もどこにもなく、敢志は長い悪夢から覚めた気持ちで日本橋の自宅へと戻った。



第一章 陸蒸気殺人事件・終

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