身の回りの理不尽について

風来猫 七昼

姉という不要物と人の欲

 タイトルにある通り、私には姉がいます。

 あ、これ只の愚痴です。


 私は親の愛等を受けてはいるのでしょうが、正直、一番居心地が良いのは自室でしょう。

 それはなぜか、姉の存在でしょう。


 それでは私主観の姉はどんな人物か、自分主観でしか物を語ることのできない愚者。自己中。様々でしょうね。

 姉もどうあろうと人間。ストレスには逆らえないのでしょうね。

 事あるごとに自分の事を棚に上げ、私の事を罵倒してきます。


 何故?と考えるのならば答えはとっても単純な話、承認欲求でしょう。

 欲を満たすために努力し、比べさせる。

 そして私の事を観察し自分より劣ることを見つけて罵倒する。

 回りにこれを聞いてもらう。

 そして優越感に浸る。

 正直私はこの事を理解できませんし、吐き気を催す程気持ち悪いと思っています。


 しかし人間とはそういうもの、最終的に自分の利益になればいいと動いている。

 偶にいる世のため人のためを心の底から信じ、行動している人は極少数でしょう。というか居ないと言っても過言ではないでしょう。


 集団であるなら人間である限り、その全員が裏切り者。そこが人間の怖いところでしょう。


 しかしどうでしょうか?

 罵倒する事に利益はあるでしょうか?

 確かに滅多に損することはないでしょう。

 しかし利益もないのでは?

 人を罵倒する事によって金が入るわけでもないでしょう?


 ならば何故?

 私は先日集団心理について書きましたが、それは一旦忘れましょう。

 私なりの持論を述べるのであれば、それはやはり承認欲求、自己顕示欲。様々あるでしょう。

 元々分かりきった事ではありますが、人間は自分の欲のためにしか動かない。

 例えば傭兵、報酬が無ければ動かない。つまり物欲。


 ボランティア、これは報酬はないだけどどうか?やっている人の意見を聞くとだいたいこう答える。


「人に感謝されるのが気持ちがいいから」


 しかしどうか?裏を返してしまえばそれは承認欲求。


 話を戻しますと、人を罵倒することにはストレス解消と自己顕示欲が混じっているわけです。

 そして周りもそれに便乗してその人を罵倒する。

 しかし人は弱い生き物。自分で作り出した流れにさえ逆らうことができない。

 そして、いつの間にか罵倒が虐めになる。

 虐められた人は自殺する。


 この一連の流れ通り、欲は人を殺す。

 これはどこに行っても通じることでしょう。


 罵倒する事によって利益はあるのか。

 結論は現代社会で考えるなら、利益は0に近い。時と場合によっては信用を得ることもできるが、損をする場合の方が多い。やっぱり自分の欲は満たされる。

 人間こわい

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