第125話 新しい生活

「風さ」

「はい」

「式場の予約は3ヶ月前までだってよ」

「あー、書いてあったね」

 啓が大袈裟にため息をつく。要するに、「怒ってる」のポーズ。


「なんでそんな大切なこと言わなかったの? お姉さんがくれた雑誌に、『結婚式まで使えるピンクのカレンダー』ついてたじゃん」

 わたしはぷぷぷ、と笑ってしまった。そして、啓は赤い顔をして怒ったふりをしていた。

「啓……読んだんだ?」

 笑わずにはいられない。

「読んだよ」


「わたしたちのペースでいいんじゃん、と思ってたけどジューンブライドがいいとか、日がいいとか、そういうの気にする?」

 啓は露骨に顔を背けた。何がそんなにやましいのかしら、と思う。

「……ジューンブライドにしてあげたかった」


「知らなかった、わたし、啓のお嫁さんになれるなら仏滅にお式でもなんでもいいよ?」

「風はそういうとこ、なんつーか、ロマン足りない」

 また「ロマン」が出てきてしまった。第一、「ジューンブライド」なんて海外のもので、日本では梅雨になるから招かれるのも迷惑ってよく読者欄にも……わたしもそれなりに調べてるけどね。


 わたしがもし願って叶うなら、サムシングフォーだな。4つのもの。新しいものと、古いもの、借りたものと、青いもの。花嫁はそれで幸せになれるってやつ。わたしだってお嫁に行く時の憧れくらいあるのになぁ。


 啓はまた難しい顔をして、なんだか始めた。本当ならわたしもそうするべきだったのかもと思うと、気が引ける。


 ご飯の支度でも、と思って立ち上がる。

「風」

「はーい。大丈夫、指はまだ切ってないよ」

 今日のお味噌汁はわかめとお豆腐。お豆腐は手が小さいわたしには、鬼門だったんだけど、無理しないでまな板で切ればいいと啓に教わった。


「あのさ」

「うん、今、後ろから抱きつかれたら危ないから」

「……あのさ」

 啓は明らかに不服そうな顔をして、冷蔵庫にもたれた。


「ごめんね、ワカメ切ってたから。ワカメって滑る……」

 チュ、と振り向きざまにキスされる。

「あのさー、もうすぐ2年だよ」

「あー。……覚えてたけど……啓、その時期、きっと忙しいよ」

「……風と結婚するために入社するんだからさ、風が優先だよ」

 コンロを啓がオフにする。


「仕事、忙しくなるよ……」

「風がいちばんだよ。……もうすぐ、本当に全部オレのものになっちゃうね」

 啓は意地悪そうに笑った。

「結婚式も決まってないのに?」

「そう、計画性もないのに」

 ふたりでくすくす笑う。まるでなんの計画性もないのに、結婚を中心に生活設計しているわたしたちは滑稽だ。

「ドレスのために働かないと」


「お姫様に指輪もまだ献上してないんだよなー。あー、オレ、ほんと計画性ないわ」

「わたしは待てるから平気」

「オレはそんな島時間な彼女がいてしあわせ」

 後ろからハグされて、耳元にキスされる。




 短いようで長かったような同棲生活もとうとう終わり。心の中に、ぽっかりと穴が開くような、胸に痛みが走る。

「啓くん、これは?」

「あ、はいそれ、2階にお願いします」

「啓ちゃーん、これはここでいいのよね」

「お母さん、オッケーです」


 後ろから、お姉ちゃんが忍び寄ってくるのは気づいてきた。

「風」

「はーい」

「あんたまた、こんなとこでぐずぐずしてんの?

 いいじゃない、家賃タダだし。啓ちゃんだってさ、あんたと結婚するためにそういうの考えてくれてるんじゃん。うちに同居するのに抵抗もいくらかはあるでしょうよ 」

 スカートの膝に顔を埋めて、わたしはひとり泣いていた。別に家が嫌なわけではないけど、何かが変わってしまう瞬間は苦手だ。悲しくなる。


 啓は朝から大忙しで、何しろ入社式までにやってしまおうということになったからあちこち忙しい。


 わたしは、実家の縁台で膝を抱えてそれを見ていた。サボっていたというより、わたしがいるとお荷物になる。

 わたしたちは当面、わたしの実家に住むことになって、協議した結果、ちょっと狭いけどわたしの部屋を寝室に、隣の元お姉ちゃんの部屋を小さなリビングもしくは啓の書斎的な感じで使うことにした。


 この引っ越しに伴って出た被害は大きく、今まで寝ていた啓の狭いシングルベッドは消え、わたしがずっと実家で使ってたベッドも処分され……。馴染みのいいものたちが消えていった。

 新しいものはお父さんも少しお金を出してくれて、楽しく買い物したけれど……。


「風」

 今度は啓が顔を見せてくれた。抱きつく。

「ほら、みんなに見られちゃうよ」

「……自分はいつも気にしないくせに……」

「ちっとも気にしない」

 わたしが抱きついた時の姿勢のまま、わたしを抱きしめて小さくキスしてくれる。

「新しい生活だよね。風がいないと2階のレイアウト勝手に決めちゃうぞ。ぬいぐるみさんの住処とかさ」


「だめー」

「おいで、手を繋いであげるから」

 こんな風にいつでもこれからも、わたしをリードしてくれるんだろう。こんな風に、わたしたちは続いていく。





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