第117話 彼女をもらう「責任」
その日、わたしは啓と初めてのデートで着た紺色のワンピースと白のカーディガンで出かけた。
もちろんものすごく悩んだ上での選択だった。
思い出のワンピースに啓は一瞬黙って、それから、
「似合うよ」
と言って、キスをくれた。
今回は啓のご実家へのご挨拶に伺うので、日を選んで、フォーマルに近い装いを選んだ。啓も今日は軽い麻のジャケットを着ている。
電車が揺れている間も、緊張が止まらなくて下を向いて黙っていた。隣に座っていた啓はじっと前を見据えていたけど、わたしの様子に気がつくと声をかけてくれた。
「どうしたの? 酔っちゃった?」
わたしは首を横に振った。
「風、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。母さんは間違いなく風を気に入ってたし、この間帰ったときも風の話、聞かれたしさ。父さんはいろいろ喋るけど、結局は母さんの意見が通るんだし」
「……お母さんと仲いいんじゃん?」
「そりゃ、まぁ」
啓が子供の頃は、さぞかしかわいかったんだろうなぁと思う。小さくてふわふわしてぴょんぴょんした啓を初めて見たときの、お母さんの気持ちを思う。……わたしも啓の子供が……初めて思ってしまって、自分の中でその考えがあまりに現実的すぎて、暴走してしまう。
そーっと、啓の顔を見る。
「どうしたの? 具合悪いんじゃない? 顔が赤いよ」
手のひらで、熱を計られる。
「風、本当に熱があるんじゃない?」
「え? そんなことないと思うけど……」
「あーもー。なんで気がつかなかったかな、オレ。朝、出かける前に気がつけなくてごめん。でももうすぐ着いちゃうんだよなぁ」
啓が顔をのぞき込んでくる。熱があるかと聞かれたら、確かに寒気がしてきた。
「大丈夫、今日くらい我慢できるよ」
「うち行ったら休もうね」
「やー、そんな、緊張で熱出したみたいなの、最悪……」
「母さーん、帰ったよ」
「はーい、風さん、いらっしゃい。待ってたのよ」
「ご無沙汰しました。今日はよろしくお願いします……」
……。
「啓ちゃん、風さん、お加減が優れないんじゃない? 電車で疲れちゃったの?」
「風、途中で気がついたんだけど熱があるんだよ」
「馬鹿ね、早く連絡入れなさいよ。女の子、無理させてかわいそうに。あら、本当に熱っぽいわね。大丈夫?」
「すみません……ご迷惑かけてしまって……」
穴があったら入りたいとはまさにこのことだ。この後わたしは、客間に布団を敷かれ、頭を冷やしながら少し横にならせてもらった。
「大丈夫? うちは男の子ばかりだから、みんなガサツで気が利かないのよ」
「そんなことないです。啓さんは優しいです」
「啓ちゃんは確かにマメだけどねぇ、ツメが甘いのよ」
話しながらお母さんが、わたしの額に手をあてた。ひんやりして気持ちがよかった。
「お父さん、呼んできましょうかね。緊張するわよね。でも面倒なことは先に済ませましょ? 大丈夫、女の子は座って黙ってれば済むからね」
「はい」
お母さんの話通り、わたしは啓の後ろに控えて座っていた。啓は、わたしの家でのことをご両親に報告した。
「つまり、内定は出たんだな」
「はい。なので、あちらのご両親に結婚の承諾をいただきに行きました」
「……内定が出たからと言って、そんなに急いで婚約をしなければいけない道理はないんじゃないか? もちろん、もう承諾をいただいてしまったなら、こっちが嫌だというわけにはいかないがな」
「お父さん、もうちょっと言い方ってものがあるでしょう?」
啓は目を上げようとせず、じっと黙っていた。
……普段の啓からはまったく想像つかない姿に、この人はどんなふうに育ったんだろうと今更思った。
「内定が下りたということは、将来の収入の見込みができたことだと思っています。大学を出れば自分の稼ぎで暮らせます。つまり、お父さんに頼らなくて済むということです」
「それで?」
「ボクの収入の範囲内で、ふたりで暮らしたい。それだけです」
「……啓ちゃん、お母さんが言うのもなんだけど、結婚て大変なのよ。『結婚する』ことと、『結婚している』ことは、まるで違うのよ」
「やって行けると思う」
わたしは斜め下を見ていた目線を上にあげて、啓の顔を見た。斜め奥に、啓を産んだお母さんの遺影が微笑んでいた。
「ボクは彼女を大切にするためならなんでもするし。彼女をしあわせにする男が、ボクでありたい。それはダメなのかな?」
いつもわたしは啓の後ろで守られているばかりだ。小さくて、なんの力にもなれない。でも……啓のためにそばにいてあげることなら、いくらでもできる。啓の勇気になるなら、黙って座っていよう。
「啓太郎、お前は本当に小さいときから頑固だな。これと決めたら動かない子供だったよ。今度はこのお嬢さんなんだな? 結婚はいい。ただ、こちらはもらうのだから責任を持たなくてはならない。その覚悟はあるのか?」
「無ければこんなことしてないよ」
お父さんがかすかに笑ったように見えた。
「風さん、こんな頑固な息子で申し訳ないが、これからの人生を共にしてやってもらえるかな?」
「はい。わたしこそふつつか者ですが、これからよろしくお願いします」
「娘ができて、お父さんも本当はうれしいのよ」
意外なお母さんの言葉に、わたしはまた目線を下げてしまった。
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