第33話 ボタンが外せない

「しっねーだろ、フツー」

 ちーちゃんは相変わらずだ。

 わたしはちーちゃんの声を抑えるように頼むより、ここに啓がいないことを確認した。


「やってらんないわー。小清水ってどっか頭のネジ吹っ飛んでるわー」

「それについては同感」

 美夜ちゃんまでが味方になってくれない……。

「のろけっつーか、風の『相談があるんだけど……』は危険度高いんだよー」

「そうねー、それも賛成」

 美夜ちゃんはポテトをつまみながら、スマホを見ている。

「……だって、いろいろわかんなくて。経験ないから何がフツーなのか判断つかないの」

 ちーちゃんが大きくため息をつく。


「言えることはさー、小清水はフツーじゃない。まともじゃない。……それからさ、まず、やってもいないのに、プロポーズとか笑わせんなって感じ」

 ちーちゃんがまさに「やってらんない」顔をしてコーヒーに口をつける。

「ちー、それは風ちゃんがかわいそうだからつっこまないであげなよ」

「……」

「だって、結局まだなんでしょ?」

 ちーちゃんの攻めは鋭い。


「あのねー、別につき合ったらすぐにしなくちゃいけないわけじゃないんだから、風ちゃんはそこ、こだわらなくていいの。長いことつき合って、『はじめて』な人たちもいるわけだし、ね」

「うん……」

 美夜ちゃんはやさしい。

「でもね。やっぱりそういう相性みたいなのもあるから。結婚して別れる理由の一つに、性の不一致ってあるじゃん? だから、まぁ、その現実的じゃないプロポーズは置いておいても、そういうことあってから、よくよく相手を見て、結婚は決めるでしょ?」

「……」

 小さくなるしかない。

 わたしだって、あれは一時の場の雰囲気、みたいなものだとは思ってる。だってつき合ってまだ……。


「楽しそうなのはいいけどさー、あんまり勢いに流されて周りが見えなくなっちゃうのはまずいんじゃないのー? これまじコメ」

「ちーちゃん、ありがとう」

「確かに風は危なっかしいから、まぁ、小清水が壊れてるとは言っても、気持ちがわかんないでもないよ」

 そう言って、カタンとちーちゃんはカップを置いた。


 午後の授業は鬱々と過ごし、ノートを取っていても気持ちは戻ってこなかった。


「小鳥遊さん?」

「あ、堺くん」

 昨日のことを思い出す。あれは絶対、啓の勘違いに違いないのに。堺くんは基本的にとてもいい人だ。

「今日はまだ講義あるの?」

「うん、もうひとつ」

「帰るの、遅くなるね」

「でも日が伸びたから」

 堺くんと学生生協前の通りを歩いていた。

 堺くんは歩く速さを揃えてくれているようで、置いていかれることはない。


「堺くん」

「どうしたの? なんか、啓のことで相談でもある?」

「……啓に、なんか聞いた?」

 堺くんはちょっと下を向いて黙ってしまった。ふたりが喧嘩してたらどうしようって、気持ちが焦る。

「毎日のように、のろけられてるけど」

「あ! ごめんなさい」

 赤面する。なんであちこちで話すかなー。

「小鳥遊さんがかわいい、かわいい、かわいいって感じ?」

 んー、ちーちゃんの言うこともあながち間違ってない気が……。


「うらやましいな」

 堺くんが、ぽつりと言った。

「いや、ほら、俺は今、フリーだからさ。でもなんか相談があったら、啓のことならなんでも聞くよ」

「ありがとう、堺くん。いつもやさしいよね?」

「そんなことないよ。啓の彼女だからね。小鳥遊さんは確かにかわいいから、気が気じゃないのも俺はわかる気がするよ。……啓によろしくね、この後、会うんでしょう? またね」

 振り向きながら手を振って、堺くんは帰っていった。


 図書館前にさしかかると、駐輪場に啓の自転車を見つけた。近くにいるのかな、と思ってキョロキョロしていると、壁にもたれかかっていつものように腕組みをした啓を見つけた。

 わたしは名前を呼んで、走った。次の講義が終わったら会う約束をしていたので、その前に会えたことがうれしかったから。

「啓、どうしたの?こんなところで」

 わたしが息を切らしていると、啓は何も答えずにわたしを眺めている。……また何かしたかな?


「さっき」

「うん」

「生協で買い物してたんだよ。シャー芯切れてさ」

「え? わたし生協のとこ通ってきたのに、会えなかったね」

 啓はまだ腕組みしたまま、わたしを見ている。

「オレは風に気がついたよ」

「声かけてくれればよかったのに」

「……かけないでしょ」

「……?」

「堺と、並んで楽しそうだったじゃん」

 ……まだそのこと、怒ってるんだ。堺くんも何も言ってなかったから、それはもう済んだことかと思っていた。


「昨日も話したけど、何もないよ。フツーに話しただけ」

「だからさ、昨日も言ったけど……」

 啓はそっぽを向いてしまう。気のせいか、なんだか泣きそうな、そんな顔。

「次って、誰かに代返頼める?」

「あー、うん。美夜ちゃんにお願いすれば」

「じゃあ、香川さんには悪いけどお願いしなよ。帰ろう」

 いつも以上に強引だ。

 根深いなぁ……。


 美夜ちゃんにLINEで代返を頼む。

『かまわないよ。でも風ちゃん、普段はサボらないのに。あんまり流されちゃダメだよ』

 としっかり釘を刺された。


 自転車を引いた啓の口数は少なく、つき合ってすぐの頃の、よく喋って間を埋めてくれていたのを思い出した。あの頃、と言ってもまだほんのちょっと前だけど、啓をよく知らなかった自分が遠い存在に思えた。


 部屋に入ると座る間もなく、啓は口を開いた。

「なんて言っていいか、わかんないよ」

 勢いに押されて、バランスを崩す。思いっきり床の上に押し倒される。

「ん……」

 わたしにも啓の考えがわからなくて混乱する。いつもやさしくて、わたしのことを大切にしてくれる啓に、不意打ちを受けるなんて考えてもみなかった。


 唇を塞がれたまま、Tシャツの裾から強引に手を入れられる。触れられるのが嫌なわけじゃない。すきな人なら、女だって触れてほしいと思う。でも。

「なんで今日はTシャツなの? ボタン外せない」

 啓は見たことのない顔をして、わたしの目を見た。その目はとても真剣で、とうとうその時が来てしまったのかもしれないって、覚悟を決めなきゃいけなくなる。


 Tシャツは既にはだけて、すきなように触れられてしまう。手で、唇で。

 首筋に痛みを感じるくらい、強くキスされて、わたしは強く目を瞑った。

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