神威、砲術家高島秋帆と死合のこと

カムリ

神威、砲術家高島秋帆と死合のこと

 くろがねが天穹往く破矢の如く、卯月の薄闇を切り裂いてあらわれた。

 十鯨尺ほどあろう機の体には、半月型のばいざに照らされた夜が纏わり付いて煙る。

 否、夜が引き裂かれる。夜を孕んだ叢が引き裂かれる。凄絶な疾さに、ぱっと千々に乱れる。

 鬼のような体躯――緋縅の胴丸に大袖、小札を算盤の珠のように並べた篠篭手と佩楯を装け、ひとを身中に収める鋼鐵の鎧、機の甲である。畢竟ひとではない。

『神威』と云うのが、その紅の鎧纏う作務羅衣さむらいの銘だった。

 太い百足に似た脊鉄走る背と、獣のような鉄足がしゅぼぼぼぼと力輪ちゃくらむを噴き出し唸る。

 組分は巌斗級、小兵ではあるが、しかして目方は五十俵。管、骨、巻輪――ありとあらゆる、駆動への機構がぎしりと編まれており、重い。故に力輪により機を浮かし奔らせる。江湖に生きる武士はみなこの、心より出で来る力場で作務羅衣を駆り命の遣り取りをする。


 神威は騎航を止め、力輪を切って足を地に着けた。鞍に座し作務羅衣を繰る宗平にもどンと揺らめきが伝わった。神威の面越しより青年の網膜に張られた影紗寄えいしゃきに流し込まれる、鮮やかな夜。


 居る。


 月を背負った鬼が、青年と神威の眼前まえに金剛の如くって居る。


 漆塗りの銃陣笠には家紋の丸に重ね四つ結びが白く彫り込まれ、諸腕には大筒。

 作務羅衣の火砲は諸手で把持する抱えの筒を持つのが慣わしだが、佇むそれの得物は肘から腕にかけ直接取り付け、両の拳が自由になる造りの――いかにも討ち合い向きの甲兵であった。


 「蝦夷地浪人、仙石今井宗平――乗騎は漢鳴神威鍛直かんなかむいあらため」と、年若い声。

 

 「幕府講武署師範方、高島秋帆。同じく騎は糾之丞石動きゅうのじょういするぎ」と、当世随一の砲術家は鷹揚に応える。


 暫し、時が寸寸に刻まれて――おもむろに糾之丞が、ぶるりと肩を揺すった。

 戦、端。青年の背骨に雷が奔る。

 刀を抜き放つ。力輪を解き放つ。間合い半丁、最大戦速で左脚より踏み込み疾駆する。

 馬手一本で太刀を大上段に構え半身で突貫する神威を、しかし糾之丞は一拍不動に見据え、肩を揺する。神威の右腕がぶれる。斬戟? 遅い。


 刹那。


 神威の右腕のみがくうを舞った。寸分違わずがんとあめつち震わす轟音。

 姿勢が独楽のごとくぐらりと崩され、突貫の軌道が蛇じみてのたくる。武者の右肩の袖が力なくがしゅうと垂れ下がった。

 糾之丞の弓手の筒からは青白い煙が妖のように靡いている。赤熱した砲身が叢に妖しく煌めく。秋帆の無比な一射が、「火技中興洋兵開基」とまで世に聞こえた技前が、神威の片腕を撃ちいたのだ。

 石動の銘に相応しく、反動を殺すための足の仕込み杭を地より起こし、秋帆は躊躇いなく続き馬手の筒を揺らめく紅い機の甲に合わせ引き金を弾く。しかし――吹き飛ばされた腕に、刀はなし。そんなことを、ふと思った。


 無意識の叫びに従い、糾之丞を左後ろに跳び退さらせ、力輪を一杯まで噴かす。だが致命。一瞬は一撃に能う。白刃が閃く。構えられた馬手の筒口を、過たず弓手で鋭く突き出された神威の太刀が穿った。秋帆の眼には幽かに、刀身から握られた刀が、筒口に突き立っているのが見えた。引き鉄は弾かれている。雷汞らいこうは既に作動し、砲弾は撃ち出される水際。


 待つは――!


 摩り出された砲弾と刀身ががぎゃりとかち合い、砲身内の火薬に干渉する。

 火が灯り、爆ぜ、爆轟が炸裂し、押し寄せる力の波濤が糾之丞の左腕ごと筒を吹き飛ばしていった。ぼうぼうと青白い炎を吹き出す何がしかの破片やぶすぶすと煙い鉄線が叢に飛び散り、辺りには火の粉が舞う。枯れ草が燃え立ち、一面に炎がばっと拡がる。二つの鬼の貌を朱が舐める。


 青年は秋帆の力量を正しく計っていた。砲が二門在れば二射で仕留める男なのだ。

 作務羅衣遣いの妙、高島砲術の開祖になると言うのはそう言うことだ。

 故に片手の大上段で右腕に狙いを誘い、拳をぐるりと廻して刀を逆手のように持つ。そうして差し出された野太刀を左手で刀身ごと把持し――この頃には己の弓手は秋帆の射により飛ばされているだろうが――仕留めを掛けようと糾之丞のもう一門が必定、眼前に構えられているはずだ。

 肩の揺すり、それが機である。弾丸を装填するための動作だと宗平は踏んでいた――を端緒にし、右腕に砲を受けた瞬間半身の体捌きを利し、左の力輪のみ強く噴かすことによって、独楽のように迴転し──射の力さえ、疾さに変え。

 そして、左で持った太刀を突き込む。鋼と鋼はかち合い大筒は爆ぜるだろう。さすれば。


 左腕を喪った糾之丞はしかし石動ゆるがず。

 沈着に残った火箭に再装弾、脚をくの字に曲げ杭を地に刺し機の甲を縫い付けんとする。

 先の爆雷で間合い一丈後ろに退いた神威を見遣るが──打たない。直後に好機が来ると判っている。


 来た。


 神威が地に反動を返すように蹴り出し、力輪を放出して一瞬体躯が浮く。紅の侍の跳躍は秋帆でさえ怯むほどの烈帛の圧が籠っている。彼我は近く、跳び──作務羅衣の脚がこちらの膝間接に当たり鉄と鉄が擦れ合うごぎりと言う音が聞こえるが、まだ。突貫は敢えて受ける。

 ここから、更に先がある。

 雷神カンナカムイの銘持つ機鎧が、糾之丞の膝間接に飛び乗り脚を足場にして跳躍する。月に照らされ躍り出る紅の影。杭で打ち付けられた砲術師の体が草原にずしりと沈む。

 夜を背負い宙天に跳ぶ神威に、秋帆ははじめて照準をわせた。

 空ならば押し返す事物はなし、即ち吊られた蝶と同義。力輪はあくまで力場であり、力に反るもの返すもの無ければ意味を成さない。

 所詮は人斬りであったかと一人ごち、初老の砲術家は筒の引き鉄を弾いた。

 雷汞が作動する。鉄矢が飛翔する。砲の集極がここに在る。


 しかし。


 神威は糾之丞の肩の揺すりに遇わせ、右足の力輪を筒の方へと向けていた。

 爆轟とともに砲弾が力輪に反射し、脚部をずたずたに引き裂きながらも、更に上へと翔躍する力を生む。

 秋帆は杭を抜き頭上より迫る死手から逃れんとしたが――体は既に先の神威の跳躍によって深々と地に縫い止められ、逃れることは能わず。

 観念し秋帆は瞠目した。然る後、宙天より墜つる神威の貫手が――爆轟の振を刀で受け、鋭く震える左手が――鎖骨の継ぎ目より糾之丞の肩部/胸甲/鋼骨格ごと、いのちを突き裂いていった。


 宗平は小さく息を吐いた。



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