散文的1

「ユキノの手は神様が造ったみたいだね」

「なぁにそれ」

ユキノが笑う。まっ白なマシュマロがグズグズになるまで、

花びらが咲いたような笑顔だ。

「じゃあクロ君の手は」

「僕かい、僕の手は、そうだなぁ、ゴリラ、神様の弟子の弟子のそのまた弟子のいたずらもの天使の手によるものかなぁ」

「なぁにそれ、本当に、ゴキブリが脳髄に住み着いて」


だめだ、どうしてもこれ以上書けない。

この後ユキノがゴリラ(何故か雄)に少しずつ変化していって、クロ君を壮絶に◎◎した後、頭を齧り、家族を執拗に付け狙い、片っ端から◎◎にした挙げ句、妹の××を啜り壁になすりける、クロ君は半身不随になりIQを40程落としながらも、男の怒りを爆発させ血のにじむような努力で身につけた超能力で自分ももろとも火だるまになって消える展開が待ち受けているのだけど。


まずは、その二の腕に和毛とでもいうか、かすかにその予兆を匂わせつつも在りし日の二人のラヴラヴっぷり、甘たるい日々を描写しなければならないとうのに私はすでにゴリラにしたくてしょうがない。太ももに鉛筆を突き刺してでも、彼女の甘い二の腕や甘い喉仏(女の人に喉仏がないことをこのときの私は知らなかった)の描写に従事しなければならないと思い、実際に鉛筆は刺してみたのだが、全ての固さの芯を試し、おそらく私の足はもう二度と元のようなフォルムを取り戻せないほど身を削っても(芯も削り)私は彼女をゴリラにしたいと言う欲望を抑えられない。

風立ちぬを書いた堀辰雄はよくも辛抱我慢したものだと思う。彼女が血を吐くシーンから始まり、全身が軽井沢を覆い尽くすほどの身の毛もよだつ皮膚を失ったずるずるの化け物を書きたいと言う本統の欲望を抑えて、よくもまぁ、あのような商品を書いたものだ、脳髄をどこかで削ったに違いない。まったく羨ましい。


という文章が国語の教科書に載っている。

2069年。

僕は、むかしの教科書に載っていた志賀直哉という小説家の文章にも「本当」が「本統」と表記されていたことを思い出したが、あんまり強くそのようなことを考えると(なんせ発禁本だ)文学警察に連れて行かれて脳内をシェイクされるのであまりそのことは考えず、生肉と生肉のぶつかり合いのような激しい獣姦のシーンを頭に浮かべつつ、この名文に感動し全面的な賛意を示すために、背中に通した管の中に針金を入れ、己の涙腺を刺激した。

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