名探偵

「あなたの名前お当てしますよ。」


 バーの隣に座る男性が不意に提案してきた。


 それはいつものように行きつけのバーでグラスを傾けていた時だった。一人静かに氷とグラスがぶつかる音、こ気味良いモダンジャズが流れる店内の空気間を目一杯楽しんでいると、カラカラとドアのベルが鳴りよれたコートを着た無精ひげを生やす中年男性が入ってきた。


 ここはそれほど広い店ではなく座る席は限られてしまう、男は俺が座る席から一つ空けて隣に座った。


「水を一杯。」


 男はマスターに軽く声をかけた後、一杯目にわざわざ水を注文した。注がれた水をゴクリと一息喉に落とすと、男はこちらに居直って話しかける。


「なぜわざわざ水をと不思議に思いましたか?」


 余程訝しんで見ていたのだろうか、心を透かされ軽く謝罪を述べる。


「いえいえ、謝る必要なんてありませんよ。」


 聞けば他人がいると大抵俺と同じような反応をするらしく、それをきっかけに客と会話を楽しむのが男の趣味だという、興味が湧いた俺はしばしの間彼の話に付き合ってみる事にした。


 会話と酒がそこそこ弾んだ折に不意な提案は会話に上がる。


 先程会ったばかりの人間の名前を当てることなどできるわけがない、俺は一笑すると当てられたならここでのお酒を奢ってやると酔いの勢いで言ってしまった。


「あなたの名前は――。」


 では支払いはあなた持ちということで、とかけていたコートを着て男は店を出ていった。


 まんまと名前を当てられた俺は、それまでの心地よい酔いからすっかり醒めてしまい、あの男についての疑問が頭の中でぐるぐると巡りまわる。


 マスターに声をかけ、さっきの男の支払いを自分が持つことを説明し、彼が何者か知っているかと尋ねた。


「あの方はこの辺で名探偵と呼ばれています。」


 マスターの説明に呆れかえる、つまるところの種明かしはこうだ。


 彼は会話が上手で口が上手く、得意の話術で一帯の店の客の情報を聞いて回って集めては「名前を当てる」と仕掛けてお酒を奢ってもらう事を繰り返していた。


 ついたあだ名は「名」探偵である。

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