11.赤ずきんの恋占い
(危ない――!)
思わず強く目を瞑ると、身体を包む空気が動いたのを感じた。
恐る恐る目を開けると、ターシャの意識は占い屋に戻っていた。
ハァ、ハァ、と荒い息を整えようとして、ペンダントを握った手が小刻みに震えていることに気づいた。こんなことは初めてだった。
やばい。
これはやばい。
背中を冷や汗が流れる。それほどまでに、今の映像は衝撃的だった。
思わず眉を顰めると、依頼人の少女が心配そうに声をかけてきた。
「あのぅ……。大丈夫ですか? なにか見えたんですか?」
不安そうなその声に、ターシャがハッと顔を上げる。
ターシャの様子から、占いの結果が良くないと悟ったのだろう。少女も険しい顔をしていた。
さて、どうしたものか……。
人狼族にも彼らなりの苦悩があれば、未来への展望もあるだろう。だが、だからと言って、暴力に訴えるというのは許されることではない。
なんの疑いも持たずに祖母の家の扉を開けた依頼人の、無垢な表情が忘れられない。あの時、依頼人自身にまで危険が及んだ事と、想像以上の衝撃的な展開に、目を瞑ってしまったが、そのまま見ていたら少女はどうなっていたのだろうか。そこまで考えて、背中がゾクリと震えた。
この事態は、なんとか避けなければならない。
少女も、彼女の祖母も、人狼族を支配しようなどとは考えていない。
グリードの話からも、人狼族への風当りはいまだに強いようだ。それは、実際に人狼族が居住している隣国でも、守り人という存在が必要なことからもわかる。
彼女たちは、人狼族にとっては良き理解者であったはずだ。彼らの仲がこじれることは、人狼族と人間の間の溝を、より深いものにしてしまう。
ターシャは息を整えると、ゆっくりと話し出した。
「そうですね……。とりあえず、おばあさまには家の鍵をきちんとかけるように言ってください」
「はぁ……。それと……どうすれば?」
「それだけです」
「えっ?」
「それだけです。あとは家を訪ねてきた人をきちんと確認してから、ドアを開けるようにと」
虚を突かれたように素っ頓狂な声をあげた少女に、ターシャが同じことをもう一度伝えた。少女の瞳に疑念の色が浮かぶ。
仕方がないと思う。
視たままを彼女に伝えることはできない。言えば、彼女は力ずくにでも、祖母を引退させるだろう。けれど、それでは根本的な解決にはならない。
視たところ、少女の祖母はかなりの高齢だと分かった。それは、森の守り人を続けるのを勧めるのも、ためらわれるほどだった。
少女の祖母も、鍵をかける事で、人狼族に対して警戒していると見せる事態になってもなお、彼らと分かり合えると思うだろうか?
長も代替わりし、もはや約束は反故となったのだと、少女の祖母も知るのではないだろうか。それで身を引くかどうかは、彼女自身が決めることだ。
すべてを洗いざらい話して、この少女の不安を煽ったら、事はもっと大きくなりそうだった。
そもそも、少女はこれからのことを、どう考えているのだろう?
少女の疑念を払うため、コホンとひとつ咳払いすると、ターシャは出来る限り堂々と問いかけた。
「おばあさまも、かなりのご高齢とお見受けいたします。この先、自由を求める人狼族と対等に渡り合うには、厳しいかと思いますが……。その点について、あなたはどのように、お考えですか?」
少女が驚いたように顔を上げた。
巷の噂で店に来たはいいものの、ペンダントに真実が映るということを、信用しない人間も多い。
ターシャとしては、結論から言ってしまいたいところだが、大抵の客は、そこに何が視えたのか、その光景も説明しないと、納得しないのだ。
物心ついた時からこの力を持つターシャとしては、視えない方が不思議なのだが、向かい側に座る客にはただその辺によくあるような、鑑が埋められたペンダントにしか見えないというのだから、仕方がない。
「すべてはこのペンダントが見ております。どうやら、おばあさまは床に臥せっておられることが、多くなっているようです。彼ら人狼族も、それを知っていて、自分たちの将来を不安に思っているようですが……」
うまくできた自信はない。それでも目の前の少女はピンと背筋を伸ばしたのだから、きっと成功したのだろう。
少女は真剣な目でじっとターシャを見つめ、何度もコクコクと頷いた。
「そうです。それで、人狼族としても、これまで通り今後も人狼の森が守られる場所なのか、人間との契約は継続するものなのか、心配する声があるようで……」
「正直……視る限り、今のおばあさまに、守り人としての役割は負担が大きいようにに思えます。ですが、ここからが問題なのです。それは、あなたがどうしたいと思っているのか、です」
「両親からは、反対されているんですが……、実は、私が祖母の跡を継ぎたいと思っているんです」
「えっ? あなたがですか?」
ターシャは驚いた。
だが、目の前の少女は、強い意思を持った瞳で見返してくる。
「私は本気です。ですが、実は祖母もあまりいい返事をしてくれません。でも祖母の事も心配ですし、屋敷に同居して跡継ぎとしての勉強をしたいのです」
そこには強い覚悟が感じられた。
それにしても、なぜ彼女はこうも強く、守り人になることを望むのだろう。
今の話を聞くと、彼女の祖母の時代とは違って、人狼族の中には既に人間社会に馴染んでいる者もいるようだ。
それなら、たったひとりの少女が守り人になったところで、対応しきれるものではないのではないか。
ターシャがそれを問うと、少女はなぜかはにかんだような微笑みを見せた。
「亡くなった人狼族の長は……おばあさまが一生をかけて愛した人なんです。私は、ふたりが築いたものを守りたい。それに――」
言葉を途切れさせると、頬を赤らめる。
「私にも、愛する人がいるのです。その方を、私の一生をかけて、おばあさまのように守りたいのです」
そう語る少女の強い眼差しは、同性のターシャですら、ドキリとするほど美しい、女の目をしていた。
彼女もまた、祖母と同じ険しい道を選ぼうとしていると知ったら、彼女の家族が反対するのも頷ける。しかも、新しい人狼族の長が保守派か、革新派かでも、また違うのだろう。
「視てみますか?」
ターシャの言葉に戸惑いを見せた少女だったが、やはり恋のゆくえは気になるのだろう。恐々と頷いた。その様子に、ターシャもまた、良い結果が出ますようにと心の中で祈った。
少し緊張しながら、ペンダントを撫でる。
緊張した面持ちのターシャの顔が映っていた鏡の表面がゆらりと蠢くと、ターシャは自分の周りの空気が変わるのを感じて目を閉じた。
目を開けると、そこは木々が青々とした深い森の中だった。
依頼人の少女が赤いマントを翻し、森の中を走っている。
息をきらし、時折草地に足を取られながらも、まっすぐ前を向いていた。
慌ててターシャも後を追う。少女はなかなか足が速かったが、見失うことなく、なんとかついて行った。
目的のものを見つけたのだろうか。少女は大きく腕を広げると、そのままの勢いでひとりの男性に飛びついた。
彼女の体当たりのような抱擁を、軽々と受け止めたのは、彼女よりも頭ひとつ以上大きい、長身で黒髪の男性だった。
少女にかなり距離を開けられたため、距離は遠いが、少女を抱きしめた男の様子からして、愛おしさが溢れて見えた。すると、周りにいた人々がすぐにふたりを取り囲み、はやし立てた。
これは……ハッピーエンドということではないだろうか。
ターシャはほっと胸をなで下ろした。
残念ながらターシャが追い付くのが遅くて相手の顔までは確認できなかったが、少女のあの様子を見ると、彼が想い人で間違いないだろう。
どうやら、良い報告ができそうだ。
人々の騒ぎを後に、ターシャは目を閉じる。
再び目を開けると、少女が先ほど以上に真剣に、ターシャを見ている。そんな彼女に、ターシャはとびきりの笑顔を返した。
「あなたが想いを寄せているのは、黒髪の男性ですか?」
弾かれたように目と口を大きく開け、少女はコクコクと頷いた。
「そうです! 少し長くて、癖が強めの黒髪です。大体、いつも後ろで無造作に結っています」
「あー、はいはい。そうですね。そして、背が高い?」
手を胸の前でぎゅっと握り、少女は再び力強く頷いた。
「そうですか。良かったですね。想いは通じますよ。お相手も、あなたに好意があるように見受けられました」
「ほ、本当ですか!」
少女の表情が、一気に明るくなる。
この顔を見ると、占いの結果が良くて良かったと、ターシャもホッとする。
占いは、いつも依頼人の希望に沿う答えが出るわけではない。辛い選択を迫ることもあり、それを告げる時は、ターシャも心が痛むものだ。
恋愛の相談事も多いが、今回は異種間――しかも、彼女の祖母は想いを遂げられなかったということもあり、ターシャ自身、祈るような気持ちで占った。結果が良くて、心底ホッとした。
「ええ。周囲にもふたりを祝福する人々が視えます」
「嬉しい! 彼は、亡くなった長の一族の者なんです。祖母も私も、彼が新しい長にふさわしいと考えているんです」
森の中で他の人狼たちが祝福しているということは、長の件も守り人の件も、少女の想い人が長になる事で、丸く収まるということではないだろうか。そして恋愛の件も、少女の願う通りの未来が待っているということだ。
だが、これはあくまでも占いだ。ターシャは未来を視た時には、必ず一言付け加えることにしていた。
「これは、ペンダントが視た現在の未来です。明日視る未来とは、また違います。ようするに、未来とはとても不安定なものなのです。小さな選択の積み重ねで、結果が大きく変わる可能性もあります。それだけは、心に留めておいてください。ですが、あなたが迷わず、まっすぐに進めば、望む未来が待っているでしょう」
少女は、もうすっかりターシャの言葉を信じているようだ。
少女は唇をきゅっと結び、真面目な表情で頷く。だが、恋愛成就の喜びは相当なようで、ここにやって来た時の不安気な瞳はなく、目はキラキラと輝いていた。
「あの、本当にありがとうございました! 私、頑張ります!」
少女の真っすぐな瞳に射抜かれ、同性であるにも関わらず、ドキリとした。
こんな風に素直になれたらいいのに。
気持ちとは裏腹に、そっけなく接してしまう自分が恨めしい。
ターシャはなんとか笑顔を取り繕い、少女を見送った。
真っ赤なマントのフードを深々とかぶり、ランプを手に遠ざかる少女の後ろ姿を見ながら、先ほど視た映像を思い出した。
人狼の森は、彼女たち守り人の手で守られてきたのだ。
それは、少女の祖母と人狼の長との愛が始まりだった。
異種間――それも、種族の絆が強く、プライドの高い人狼には難しかっただろう。同時に、人間側もまた、受け入れられなかったはずだ。
少女の祖母の想いは、叶わなかった。けれども、お互いを想う気持ちは続いた。それ故の守り人であり、人狼の森の存続なのだろう。
異種間の恋愛か……。
客の相談事に自分を重ねることはないが、今回は別だ。
弱り果てて倒れていたグリード。
このタイミングでの人狼の森に関する相談。
これは、なにを意味することだろうか……。
いや、きっと少女の別の群れの話だろう。人狼族自体、この国ではグリードに会うまでは見たことがなかったが、隣の国では人数も多いようだ。グリードの森の相談というのは、いくらなんでも偶然が過ぎる。
ふと思い浮かんだ考えを振り切るかのように、ターシャは家を目指した。
だが、家のドアを開けた瞬間、目に飛び込んできた光景に、胸が鋭く傷んだ。
「おかえり。遅かったな」
キッチンでは、グリードが料理をしている。
今日のメニューはグラタンだろうか。チーズのまろやかないい香りがした。それは、いつもの光景だった。
だが、ひとつだけ、違うことがあった。
「あ、うん。お客さんが、遅くに来て……。――グリード。そんなに、髪長かったっけ……」
「え? ああ、これか。思っていた以上に伸びてたみたいだ。作業中、どうにも邪魔くさくてさ、括ってみた」
グリードは、緩やかにうねる豊かな黒髪を、無造作に後ろで結んでいた。
だが、変化はそれだけではなかった。
そういえば、ここに来た当初は、何日も食べていなかったこともあって、グリードはかなり痩せていた。それが今では、見違えるように逞しくなっていた。三度のしっかりとした食事と、短期間であれほどの物を作る身体能力があるのだ。逞しいのは、元々だろう。毎日見ているからか、その大きな変化に気づけなかった。だが、そんなグリードの姿を、ターシャは素直に喜べなかった。
その姿は、今日占いで視た、赤いマントの少女を抱きしめた男の後ろ姿にそっくりだったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます