近未来とりかへばや物語
もおち
近未来とりかへばや物語
俺ともう一人の家族が、包丁の切っ先を向けられている。
「あなたを殺して私も死ぬ!」
幼馴染みの女が、包丁の柄を両手で握り締めながら喚いた。普段着ている着物から出ている白い腕が震えていた。袖の袂がそれに倣う。妙齢ゆえの儚さと奥ゆかさを孕んでいると褒め称えられた顔は、今は面影すらもない。涙で血走った両目が、乱れに乱れた髪が、その顔に張り付いている。
「私、お兄さんと結婚したくないの! あなたと結婚したいの!」
俺はもう一人の家族に視線だけを向けた。家族は幼馴染みを凝視していた。俺とよく似た目を大きく見開かせている。
それは恐怖故の驚きか、歓喜故の驚きか。
おそらくは、後者だろう。
俺と幼馴染みの婚約が決まったのは一週間前のことだ。当主である父親から話を聞かされたとき、俺は納得した。俺と家族と幼なじみは幼少の頃からの付き合いだ。仲も良い。それを知っていた上で、当主は俺と幼なじみを婚約させた。
一家繁栄のため。断りにくい大義名分を掲げた。
残酷に。
「……」
時代錯誤も良いとこだ。情報社会の優位性と危険性について、毎日のように論争が勃発している昨今だというのに。
無知は恥であるが、知った上で無視をするのは愚かではなかろうか。
だから、俺は――
「ちょっと、いいか」
俺は片手を上げ、二人の意識を自分へと向けた。
「一つ、提案がある」
続けて言った。
「おまえも、こいつも、一家繁栄も救える方法」
虚を突かれたような顔をした二人に、俺はニヤリと笑う。
「身内の幸せを祈れない奴がどこにいんだよ」
幼馴染みが涙声で言う。
「私の家の、奴ら」
「それは……まあ……」
災難としか言いようがない。
――
背が、伸びなくてよかったとようやく思えた。家族との背はほぼ変わらない。
家族と双子でよかったとようやく思えた。一卵生ほどではないが、二卵生でも顔立ちは似ている。
よく家族と、互いの着物を取り換えた。入れ替わっていることに、大人たちは簡単に騙された。俺の名前で家族を呼び、家族の名前で俺を呼んだ。
唯一、幼馴染みだけが、一度も騙されなかった。何度も何度も、家族の名前で家族を呼んだ。
秘訣は、愛、だろうか。
「とりかヘばや物語って知ってるか?」
俺が聞けば、幼馴染みが首を振った。
「知らない」
「ググれ」
幼馴染みは包丁を眺めながら言う。
「本気で死ぬつもりだったからスマホ割ってきた」
「お前って本当勢いは良いよな」
俺は苦笑しながら、着物の帯を解く。家族がそれに続くように帯に手をかけた。
種類の違う帯が畳の上に落ち、とぐろを巻いた。着物の襟が肩を滑った。
「子供は、どうするの?」
幼馴染みが訊ねる。当然の問いだ。家の繁栄のために、俺と幼馴染みは婚約させられたのだから。
「俺を使え」
俺が答える。下着だけを身に纏った状態だ。
「……」
「……」
幼馴染みのと家族が心底嫌そうな顔をした。
下着姿の状況で、こんなことを言えば、想像に容易いのだろう。
夜の睦言。情事。そういうものだろう。
まったくもって見当違いだ。
「誰もお前とまぐわうとか言ってねぇだろ」
思い人がいるのに、別の人間とまぐわうなんて、拷問以外にほかならない。
「良い世の中になったもんだよ」
情報社会様々だ。一般人でも知りたいことが知れる便利な世の中だ。
「人工受精すれば、俺とお前の子供だ。他の奴らに文句は言わせねぇ」
一家繁栄の希望の光は発展した文明によって導かれた。
俺は家族を見ながら肩を竦める。
「同じ母親の腹から生まれてきたんだ。俺とお前は遺伝子ほとんど一緒だろ?」
俺は家族の着物を身に纏う。慣れない帯に苦戦はしたがどうにかこうにか着ることができた。
家族も俺の着物を身に纏った。ほぼほぼ瓜二つの俺が目の前にいた。
瓜二つの俺が言う。
「兄貴は、本当にそれでいいのか」
俺に似つかわしくない言葉を言う。表情をする。
俺はにっこりと笑った。家族のする笑顔だ。似ているだろうと自信を持った。
「言ったろ。身内の幸せを祈れない奴がどこにいんだよ」
後悔はない。俺が望んだことだ。
「お前は俺の、大事な妹様だよ」
物語のように、無理矢理なんかじゃない。最後の最後で戻ったりなんかしない。
身内の幸せを祈れないやつら全員、騙し続けてやろう。
「婚約おめでとう。兄貴」
”私”は、そう言った。
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