第2話 教育係とは
外交官志望の、キャリア官僚であるはずの俺が、なぜこんなチビで、たいして可愛くもない生意気な女によって、教育されなければならないのか。
そもそもこいつに、社会人新人教育というものが、分かっているのだろうか?
「教育って、ただ単に、指示を出すだけじゃないですよ」
「そこに、あんたの新人教育用カリキュラムがあるから、目を通してくれる?」
そのカリキュラムとは、さっきコイツが机に叩きつけた、この資料のことなんだろうか。
とりあえず、手にとって、目を通してやる。
「パソコンでの、資料作りは出来るんですね」
俺の新たな職場は、国際ユニオン宇宙防衛局日本支部、アースガード研究センターというところだ。
宇宙から飛んで来る、地球に衝突する可能性のある小惑星を事前に見つけ出し、予防策を立てるという、なんとも非現実的で、優雅かつ、ヒマそうな職場だ。
見ている資料には、一週間にも及ぶ新人研修と、仕事内容の説明に関する日程表が書かれている。
「一週間もかかるって、効率悪くないですか?」
資料の冒頭部分には、このセンターの設立の経緯と、存在意義についての説明が書かれている。
これが俺に対して施される新人教育とは、片腹痛い。
「こんな内容、ネットで検索すれば、ここのセンターのホームページに、載ってますよね」
「まずは、センター全体の、大まかな部署の役割と、仕事の流れを説明するわね」
「こんな紙の資料にするより、パワポとかで、プレゼン形式にした方が、紙の節約にもなるし、僕のパソコンにメールで添付して送ってもらえれば、家に帰ってからも、見返すなり復習なりが出来るのに」
彼女は無駄紙の資料を手に、俺の美貌に視線を移した。
俺はさらに続ける。
「守秘義務もあるでしょ? データ化して、パスワードで保護しておく方が、紙の束抱えてビクビクしてるより、よっぽど安全で効率的ですよ」
女は俺を見上げたまま動かない。
ようやく俺の実力を理解し、感心と畏怖する心に芽生えたようだ。
「あ、パワポって分かります? いまじゃ、他のを使う人も多いんですけどね」
俺は、相手の知識レベルを考慮してやることも怠らない。
そんなところにも、ちゃんと気が回る男なのだ。
「あんたってさ、よく今までやってこられたよね、友達って、いる?」
「あの、プライベートな質問には、ちょっと……」
これだから、女を相手にするのは面倒くさい。
こうやってすぐに俺の素姓を聞き出そうとする。
俺のプライベートに踏み込んでいい人間は、俺が認めた人間だけであって、たかだか職場が同じというだけで、そこを勘違いしないでほしい。
あんたは俺自身に、興味をそそられるのだろうが、俺はお前みたいな女は、お断りだ。
「プライベートを聞いてんじゃないのよ、あんたをバカにしてんの!」
女はイライラと、机を二度も叩きつけた。
「あ、プライベートじゃないんなら、いいです」
女は、あからさまに長い息を吐き出して、手にした資料をめくる。
「資料は後で、送ってあげるわ」
ほら見ろ、やっぱり俺の言うことが正しい。
それから女は、ようやく仕事の話しを始めた。
なんだかんだと回りくどい説明もあったが、とにかく、このセンターの役割は、地球にぶつかってきそうな隕石を事前に見つけ出し、衝突の可能性を計算することだそうだ。
まぁ、ホームページ以上の説明はなかったけど。そんなの、知ってたし。
そのやり方と手順の説明は、後日追って作業をしながら教えるんだって。
だったら、今日のこの資料と説明はなんだったんだ。
意味がないよね、無駄かつ非効率としか言いようがない。
俺はこんなくだらない職場に飛ばされたのか。
文官官僚の中枢にいたような俺が、なぜこんな理系天文オタクの巣窟なんかに飛ばされたんだ、不条理としか言いようがない。
扉が開いて、一人の男が入ってきた。すらりと背が高く、まずまずの顔つき。
俺の直感が一目で分析結果をたたき出す。
分かる、俺と同じで、仕事が出来そうなタイプだ。
「栗原さん、もう帰ってきたんですか?」
女はそう言うと、立ち上がって彼に駆け寄った。
「あぁ、もう俺の発表は終わったしね、ポスターはセンター長に任せて、先に戻ってきたんだ。はい、これお土産」
女は紙袋を受け取ると、喜々としてお茶の準備を始める。
「君が今日から来た新人さん?」
「杉山康平です。よろしくお願いします」
立ち上がって、握手をしておく。まずは大人しく、下手に出て様子をうかがうのがオレ流処世術。
ライバルになりそうな人間は、早めに攻略しておくに限る。
福岡であったとか言う天文学会の話しをしている彼の回りに、なんとなく全員が集まってきた。
俺もそこにしっかりと混ざっておく。
この男の話しは何を言っているのか、今はまだ分からないけど、すぐに肩を並べるようになるから大丈夫。
天文学は門外漢だけど、まずは敵状視察といったところか。
女が運んできたお茶に、俺は一番に手を伸ばした。
湯飲みに手が届くその直前、ガッと足が飛んできて、俺の座っていた椅子の縁を蹴りつける。
「それは私の湯飲みだ、覚えとけ!」
「え、俺の分はないんですか?」
「てめーはこっちの紙コップだ、バカ」
お盆に載せられた陶器のカップの間に、一つだけ小さな紙コップが載っている。
「ひどくないですか、期待の新人に対して、こんな紙コップって。来客用の湯飲みとか出すでしょフツー」
そう言うと、女は相変わらず鋭い目つきで俺をにらむ。
「お前、お茶ぐらいは入れ方知ってるんだろうな、今度からお前がやれよ」
「当たり前ですよ」
新人だからという理由で、全員分のお茶くみをさせられる覚えはないが、自分の分くらいは、自分で入れる常識はある。
「はは、新人さんとはどう? うまくやれそう?」
「いいえ! ぜんっぜんムリそう! もうダメ!」
女が即答する。
「僕は、平気そうですけどね」
女が、バカみたいにあんぐりと大きな口をあけて、こっちを見ている。
そんな顔をすると、そうでなくても頭が悪そうなのに、よけいにバカみたいだ。
俺は、紙コップのお茶をすすった。
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