#裏垢女子

春木ミツキ

#裏垢女子

 何もないこの街に引っ越してきて、もうすぐ1年になる。

 東京の外れ、都会でも田舎でもない中途半端な場所に私のアパートはある。去年の3月、「大学に近いから」という理由で選んだ家だ。本命の受験に失敗して、浪人する気力もなかったから、滑り止めで受かったその大学に入った。

 もし本命に受かってたら、今頃はもっといい街に住んで、都心のキャンパスに通って、おしゃれなカフェでバイトしていたのに。

 うちの大学も、この街の雰囲気も、いつ見てもどこか垢抜けない感じがして、毎朝ため息が出る。大学の知り合いといえば、地味でぱっとしない奴か、「イケてる大学生」を勘違いしたような痛い奴ばっかり。高校時代に思い描いた「きらきらした大学生活」なんて、ちっとも送れそうにない。

 どうしようもない憂鬱な現実が、さっきから頭の中を埋め尽くしている。最悪な気分だ。

 吐き出さないとやってられない。

 枕元に置いてあったスマホを手に取る。ホーム画面の右下、青字に白い鳥のアイコンを押す。


ゆゆゆゆ @yuyuyuyu_nemui

この街も大学もつまんなすぎて毎日鬱になってる

どこで間違えたんだろ


 思い付くまま一気に書いて、送信ボタンを押す。私の脳からポイ捨てされたゴミみたいなつぶやきは、ネットの海に流れていった。

 こうやってうじうじ悩んだり、毒を吐きたくなったりした時は、Twitterにすがる。誰に向けて言っている訳でもないけれど、誰かに聞いてほしい。そんな心情を「供養」したい時、Twitterは打ってつけだ。

 画面をスクロールする。さっきのツイートに誰かが「いいね」をつけた。そいつが私の負の感情に共感したのか、あるいは嘲笑して悦に入っているのかは、顔の見えないTwitterでは分からない。

 何となくいらついて、舌打ちをした。私以外誰もいない部屋で、その音がやけにはっきり聞こえた。


 春休みだからといって特にやることもなくて、バイトのシフトを増やした。

 近所のTSUTAYAでバイトを始めて、気付いたら半年以上経っていた。遊びに行く友達も少ないし、やたらと活動的な「意識高い系」も性に合わない。とりあえず暇な時間を埋めたくて、バイトを始めた。TSUTAYAで働いているのは、音楽好きだったから。あと、何か楽そうだな、と思ったから。

 まあ、現実はそう上手くはいかないんだけど。

「山下さんさぁ、接客の時、テンション低すぎない?お客さんびびっちゃうよ、あれじゃ」

 今日のバイト終わりに、ロッカールームで先輩に注意された。正直、言われた瞬間「は?」と言いそうになったけど、口から出た言葉は「あ、すみません、気をつけます」だった。

「精一杯愛想よくしてるつもりなんですけど」

 心の中で考えた台詞が、舌の上まで出かかったけど、ぎりぎりで飲み込んだ。こんなところで喧嘩を売っても、エネルギーの無駄遣いだ。

「人の気持ち、ちゃんと考えてる?『お客さんがどうやったら気持ちよく利用できるか想像しなさい』って言ってるでしょ?」

 バイト3年目の、やたらと先輩風を吹かせたがる彼は、わざとらしく呆れ顔をしてみせた。いつもそうだ。「上手いこと言ってやったぜ」と言わんばかりの態度が気に入らない。

「私が今、そんなこと言われてどういう気持ちか、あんたも考えてみろよ!ほら!」

 そう毒づいてやりたかったが、もちろん言える訳がない。心の奥の陰険な本性を見透かされるのが怖くて、愛想笑いでお茶を濁す。


 バイトからの帰り道、さっきの先輩とのやり取りを思い出す。コミュニケーションの失敗は、ささくれみたいだ。ちょっとした出来事だとは分かっていても、小さな棘がいちいち心に刺さって、事あるごとにその痛みを思い出してしまう。考えただけで嫌な気分になることは、最初から分かっている。それでもこうして繰り返し思い出してしまうのは、きっともう、そういう癖なんだろう。緊張したら手を後ろで組むとか、そういうのと同じ類いの、直そうとしても無意識にやってしまう癖。


 ——人の気持ち、ちゃんと考えてる?


 先輩の顔が、あの台詞が、生々しくフラッシュバックする。

 うるさい黙れ!死ね!消えろ!私に話しかけんな!頭の中でありったけの言葉のナイフを並べて、バイトの先輩に投げつける。


ゆゆゆゆ @yuyuyuyu_nemui

バイト先の先輩、自分が絶対正しいと思ってるのがほんと無理

もう死ねばいいのに


 仕上げにTwitterにも愚痴を流したところで、急に熱が冷めていく。血の気が引く。

 

 ——先輩が言ったことの何が間違ってる?

 ——お前の接客態度が暗すぎるだけだろうが。八つ当たりすんなカス。

 ——お前はそうやっていつも失敗だらけだ。だから友達もできない。

 ——根暗の癖にそうやってすぐ他人を恨むから、彼氏とも別れたんだろ?

 ——もういいよ。お前が死ねば全部解決するんだ。


 さっきまで研いでいた言葉のナイフを、自分に刺しまくる。刺しすぎて血が止まらなくなっても、何度も執拗に刺す。

 私はあの先輩が嫌いだ。でもそれ以上に、私は私が嫌いだ。


 私はもう、疲れ果てた。

 家のドアを開け、鞄をわざと乱暴に床に置いた。いや、「ぶん投げた」と言った方がいいかもしれない。上着も脱がずに、ベッドに倒れ込んだ。

 とにかく、手っ取り早く慰めてほしくなった。相手は誰でもよかった。

 ベッドから起き上がって、上着をハンガーにかけた。そのままシャツのボタンに手をかけ、脱いだ。最近買ったばかりのショートパンツも、脚を締め付けるストッキングも鬱陶しくて、乱暴に脱ぎ捨てる。

 部屋の片隅にある鏡の前に、私は立っていた。下着姿になった自分が写る。少し前までは何の価値もないと思っていたけど、意外にも需要があるらしい、私の体。

 教えてくれたのは、先月別れた元彼だった。大学に入って3か月目で付き合い始めたあいつは、私の顔と体にしか興味がなかった。どうすれば彼と心から繋がれるのか分からなくて、私が日々どんなに悩んでいても、「はいはい、もう飽きたよ、そういうの」なんて受け流して、煙草を吸ってばかりだった。

 クズみたいな奴だったけど、あいつのおかげで分かった。クソみたいな、ゴミみたいな自分が持っている、唯一の武器。

 私の右手にはスマホが握られている。カメラを起動する。できるだけ男の性欲を煽れるような、きわどいポーズを考える。ちょうど鼻から上が見切れるようなアングルで、撮影ボタンを押す。

 アルバムに加わった私の写真を、大真面目な顔で加工する。少しでも色白に見えるように。私のブスなところが綺麗に隠せるように。

 もう飽きるほど押した鳥のアイコンを押して、Twitterを開く。投稿画面を眺めながら、今日の画像でいくつ「いいね」が稼げるかな、なんてわくわくしている自分に気付いて、一瞬、寒気がする。

「ねえ、やっぱりやめておこうよ、こんなこと」

 急に正気な自分が出てきて、私を背中越しに呼び止めている。

「いつまでも続ける気はないんだ。ただ、今の自分を救う方法は、これしかないんだ」

 ごめんね、もう、抜け出せないんだ。

 画面の隅で待ち構える「ツイート」と書かれたボタン。それはまるで、ミサイルの発射ボタンのようだった。一度押したらもう、後には戻れない。

 震える手で、ボタンを押す。心なしか、その震えが日に日に小さくなっている気がした。平気になってきている自分がいて、ちょっと怖くなる。


ゆゆゆゆ @yuyuyuyu_nemui

イライラしすぎて帰ってすぐ服脱ぎ捨てた

相変わらず胸なさすぎて死にたい


#裏垢女子

#裏垢女子と繋がりたい

#らぶりつください


 さっき鏡の前で撮った写真が、数え切れない人の目に晒されている。画面の向こうにある顔も分からぬまま、「いいね」の数だけが増えていく。

 価値があるのは私の体。中身じゃない。頭では分かっている。

 それでも、こうして「いいね」を集めたり、見知らぬ男たちから気持ち悪いコメントを集めたりしている時は、こんな自分にも居場所があるような気がして、自分の心にナイフを投げるのをやめられる。

 生きている価値のない、最低な私でも輝ける、唯一の場所。

 「普通」の誰かが、「普通」じゃない私を笑ったとしても、私はきっと、この場所を離れないだろう。

 ありふれた形でいいから、誰かと繋がりたい。そう願っているのに、なぜかいつも繋がらない。

 そんな私には、こういう歪んだ繋がり方しかできないんだ。


 私はこの何もない街が嫌いだ。

 何もかも低レベルで、つまらない人だらけの大学が嫌いだ。

 したり顔で説教をするバイト先の先輩が嫌いだ。

 やる気を奪う春の陽気が嫌いだ。

 私をこんな私にした親も嫌いだ。

 でも、私が一番嫌いなのは、ここから抜け出せずにもがく私自身だ。


 もう誰でもいいんだ。早く私をここから連れ出してくれ。

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