第22話 遊園地デート・幽霊地デート
真っ暗な部屋の中を、足元を照らしながら進む。弱々しく引っ張られる服の裾に、少しの安心感を覚えながら。
扉の向こうから漏れる呻き声。自分が灯りであることを思い出したかのように、時折点滅する壁際のフットライト。陰の中で蠢き出す生き物の気配。
普段では感じられない不気味さに、こめかみを押さえながら辺りを見渡すも、出口はまだ見えない。早くここから脱出しようと、急かされるように歩みを進めるが、裾を引く力が強くなり立ち止まる。
「ごめん、引っ張っちゃった」
「いや、悪い。速かったよな」
「ちょっとだけ。でも、こんなところに長く居たくないから、急ぎましょう。お願い、連れて行って」
「そうだな。弱気な五十嵐も珍しくて面白いけど、急ごう」
「一言余計よ」
五十嵐と一ノ瀬の二人に合流した僕と一條は、それぞれペアを替えて再出発していた。
一條との、お化け屋敷とは思えない明るく気楽な雰囲気とは一転、五十嵐と歩くお化け屋敷は、静かでおどろおどろしい雰囲気が漂っていた。
左を歩く五十嵐が、指先で僕の服の裾を掴むのを見ていると、怖さが薄れる。
立ち止まると足音が消え、吐息の音だけが耳に響く。このままでは僕の鼓動まで伝わってしまいそうで、誤魔化すようにゆっくりと歩き出した。
「ねぇ、篠崎くん。もっと怖がってよ」
「怖がってるけどさ、五十嵐を見てると怖く無くなってくるんだよな」
「何よそれ、篠崎くんの怖がる様子を見るためだけにお化け屋敷に入ったのに、意味ないじゃない」
「僕は怖がる五十嵐を見て楽しんでるけどな」
「う、悪魔ね」
「悪い悪い。でも一條が、ホラー映画は好きだって言ってたけど」
「だって映画は画面の中だけだし。現実に出てきちゃ駄目なのよ」
「じゃあ今度、ホラー映画でも観るか」
「その時は、かなり怖いのを選んであげるから」
喋ることで、怖さが幾らか和らいだ様子の五十嵐が笑う。
少しだけリラックスした僕と五十嵐は、赤黒くくすんだ絨毯の上を、小さな悲鳴と息を上げつつ並んで進む。気付けば四階へと到達し、目的の404号室が暗い廊下の奥に現れた。
障害物の無い廊下と、薄っすらと光の漏れる404号室の扉。
もうすぐ終わる。もうすぐ外だ。
目的地が見えたことで、僕と五十嵐の間に緊張感が流れる。半歩ずつ近づく距離。腕と腕がぶつかる。
「あれが404号室……だよね」
「そのはずだけど、ここまで何も無いと怪しいよな」
「うん、怪しすぎ。……ねぇ、子供の声聞こえない?」
「子供の声?」
思わぬ台詞に耳を澄ます。聞こえてくるのは、自分の心音と五十嵐の息遣い。しかし、子供の声は聞こえず、五十嵐に向かって首を傾げる。
両手で僕の腕を掴みながら「聞こえるよ、ほら」と小声で囁く五十嵐が、402号室の方を向く。
釣られて僕も視線を動かし意識を集中させる、
『オカアサン。おかあさん。お母さん』
――聞こえた。子供の声だ。
「聞こえた。もしかして母親を探してるのか?」
「『お母さん』って言ってるよね。まさか迷子……」
「そんな事はないと思うけど」
恐る恐る歩みを進め、402号室の前に立つ。
確かに、声はこの扉から漏れ聞こえている。深呼吸をし、覚悟を決め扉を開けようとするが、把手が動かない。
元々開かないように出来ているのか、鍵がかかっているのか。
把手を握りながら、扉の前で佇んでいると声が小さくなり、最後には聞こえなくなった。
「演出……なのか?」
「え、演出よね。扉開かないし、迷子ならアナウンスとか流れそうだもん」
「だよな、早く行こう」
「そうね」
無言のまま404号室の前まで歩く。
その間に、どちらが言うともなく、僕らは手を繋いでいた。少し痛いくらいに強く、硬く。
五十嵐が空いている方の手で、入場時にフロントでもらった鍵を取り出し、僕が鍵穴の見えない扉を右手に握った懐中電灯で照らす。
錆びた鍵を差し込み回すと、錠の開く音が聞こえる。恐る恐る把手を押すと扉が開いた。
ガチャ。
ガチャ。
扉の開く音が二度聞こえた。
一つは五十嵐の手元から、そして二つ目は402号室。さっきまで開く事のなかった部屋だ。
背筋を指でなぞられたかのような、むず痒さに襲われ、動けなくなる。
部屋の中から、紅のドレスを着た少女が歩み出てきた。少女は顔を上げることなく、僕らの方へと体を向け歩いてくる。
距離が近づくにつれ、耳にあの言葉が届く。
『お母さん。お父さん。お母さん。お父さん。一緒にいこう。一緒に……』
頭の中は、少女の声で満たされていた。他に何も考えられず、ただただ、その子の方へ行きたいと願ってしまう。
少女が顔を顔を上げようとする瞬間。
綺麗に切り揃えられた前髪が見えた瞬間。
ガタン。
腕を引っ張られ、体は404号室へと吸い込まれていった。
氷のように固まった体が徐々に動き出し、焦点が目の前にある顔へと合う。微かに灯っているルームライトに照らされたその目は、いつもより光を反射し輝いていた。
「篠崎くん。ねぇ、篠崎くん」
「あぁ、五十嵐。どうしたんだ」
「『どうした』じゃないよ。あの開かなかった部屋から女の子が出てくるし、声は聞こえるし、あの子を見た途端、篠崎くんは全く動かなくなっちゃうし……」
「ごめんな、五十嵐。助かった気がする、ありがとう」
「はあ、篠崎くんがもとに戻って安心した。それにしても、流石にあの演出は怖すぎるわよ。もう限界」
「派手じゃないけど、不気味さが桁違いだったな。ほら進もう、あのエレベーターに乗るだけみたいだし」
呼吸と現状の認識が整ったところで、ゆっくりと部屋の内部を見渡す。
赤黒く汚された部屋には、切断されたマネキンや、蝋燭、魔方陣などが至るところで目に入る。
このお化け屋敷のコンセプトって何だっけな、もっとしっかりパンフレットを見ておけばよかった。
「進みましょう」
「進みたいんだけどさ、五十嵐」
「どうしたの」
「この体勢はちょっと」
この部屋に入るまでは、ただ手を差し伸べる繫いでいただけなのに対し、今では腕を絡ませ体を密着している。
腕に伝わる体温と、身体の柔らかな感触。
ジェットコースターでも、お化け屋敷でもなく、この瞬間が今日の中で一番心拍数が上がっているのではないか。
「暗くて歩き難いし、そんなに密着すると……」
伝える言葉を探して言い淀んでいると、五十嵐は顔を背ける。
「これは今だけだから、後で全部忘れなさい。お願いだから、忘れて」
「はい、善処します」
果たして忘れられるだろうか。
僕は、左腕に掛る重さを出来るだけ意識しないように、カンと音を立てて開いたエレベーターに乗り込む。
錆びついたように軋むエレベーターは一階へと向かう。
「篠崎くんも、かなりドキドキしてるのね。ふふ、余裕そうな顔してるのに。ちょっと安心した」
「まぁ、五十嵐ほどでもないけどな。そっちが、かなり怖がっているのも伝わってるからな」
一階へと降りた僕達の前には、ホールへと続く一枚の大きな扉。そして、壁に掲げられた出口の文字。
「出口みたい」
「やっとここまできたのね。早く行こう」
ひんやりと冷たい扉を押し開ける。
開けた広いホールには円卓が並べられ、結婚披露宴のような光景だった。そして、その先には外光の漏れる出口。
無言で歩き出し、一歩また一歩と注意して進む。
ホールの中央に差し掛かったころ、周りの円卓から何かが動く気配を感じる。
重々しい足音に振り返ると、こちらへと近付いてくる幽霊、ゾンビの姿。
視線が交わると、それがきっかけになったのか先頭を歩いていたゾンビが走り出した。
走るのかよ、と思わず愚痴を叫びながら後退る。隣では五十嵐も、喉の奥から絞り出したような悲鳴を上げている。
「早く」
僕は悲鳴を堪えつつ、五十嵐の体を引き寄せ走り出す。
右からも左からも、湧き出るように幽霊やゾンビが現れ、足を止めたら囲まれるのだろうか、囲まれた場面を想像し、更に足を速める。
走り続け、転がり込むように出口に掛かっていた遮光カーテンを潜り抜けた。
腕を組む僕らは肩で息をし、お互いの顔を見合う。乱れた髪や、ぎゅっと握り締めた手、絡めた腕を見て笑い出す。
「必死に走って逃げて、何やってるんだろうな」
「本当にね。篠崎くんの心臓の音、凄い良く聞こえる」
「それは五十嵐も一緒だって。それにしても、日差しを浴びてこんなに安心するとは思わなかったよ」
「そうね。私はもう当分、お化け屋敷はいらないかな」
緊張と恐怖で凍りついていた心が、日光を浴びて少しずつ溶かされていく。
組んでいた腕を離し、いつもの距離感に戻った僕らは、先を歩いていた二人を探す。左腕に感じていた温もりと重さが消えたことで、心に小さな穴が空いたような寂しさを感じていた。
「篠崎、五十嵐さん、こっちだ」
聞き馴染んだ一ノ瀬の声が聞こえる方へ目を向けると、お化け屋敷の看板の下で二人並んで笑っている。
「二人とも満身創痍って感じだな」
「本当に色々と疲れたな」
「そうね、もう無理よ」
「腕組んじゃうくらい、大変だったみたいだもんね」
「え、美菜、見てたの」
「さて、どうかな。ほらほら、もうお昼だし、休憩しながらランチにしよう」
二人はどこから見ていたのだろうか、五十嵐に目を向けても首を振るだけでわからなかった。
そんな僕らは一ノ瀬と一條に連れられ、フードコートへと向かう。
フードコートに入り、四人でテーブルを囲みお昼にした。前には一ノ瀬と一條が座り、隣に五十嵐。
ここに来ても、座る席は学校と変わらないことに、いつもの生活が当たり前になっていたのかと実感する。
恐怖を感じてもお腹は空くそうで、しっかりと昼食を食べ、時間の流れがゆっくりとし始めるお昼終わりを迎えた。お化け屋敷の疲労が取れない僕は、次はどんな予定か心配になる。
「この後は、どうするんだ」
「次は、もう一回ジェットコースターに行こうかなって……駄目かな」
「ジェットコースターか」
それはハードだな。
アイスティーをストローで掻き混ぜながら、どう返そうか悩んでいると、スマホが震えた。
画面には五十嵐からのメッセージが浮かんでいる。
『そろそろ実行する?』
『そうしようか。そもそも、この後、ジェットコースターキツイだろ』
『うん、もう少し休憩したい』
『分かった』
そっとスマホの画面を閉じ、言葉を探す。
フードコートみたいに、上手い言葉が並んでいれば良いのにと思いながら。
「そうだな、ジェットコースターは無理そう。五十嵐もこんな感じだし、僕も結構お化け屋敷で精神削られたからさ、休憩貰っていいかな。二人はジェットコースターに行っておいでよ」
「そうだね、折角だし二人とも行ってきなよ。当分アトラクションは無理そうな私達のことは忘れてさ」
「本当に良いの?」
「大丈夫だよ」
「分かった。なら、二時間後にここで、それまではお互い自由行動にしよう。よし、圭、行くよ」
「おう。篠崎たち、そんなにお化け屋敷が怖かったのか?」
揶揄うような、心配するような笑みを浮かべる一ノ瀬に強がろうとしたが、素直に話すことにした。
「404号室まえの女の子の件がキツかったんだよな。あそこだけ、やけにリアルで怖すぎないか」
「え、女の子って?」
「赤いドレスの女の子いたよね。『お母さん』って声が聞こえてきたところ」
「無かったなかった。あ、もしかして、二人で俺を怖がらそうとして揶揄ってるだろ。その手には乗らないからな」
笑いながら惚けようとする一ノ瀬に説明するのを諦め、一條へと話をするが、
「そんな事なかったよね、圭」
「ああ。それにあの暗さだと、部屋を出た瞬間にドレスの色とか髪型までわからないだろ。……惜しいな、怖がらせるならもっとリアルにしないと。ということで、俺達はジェットコースターに行ってくるよ。また後で」
「また後でね! ゆっくり休憩してね」
楽しそうにジェットコースターへと向かう二人に、呆然と手を振る。
どういうことだ。
「ねぇ、二人とも見てないって」
「言ってたよな。ということは、あれって……」
「まさか、本物なわけ……無いよね」
本物の幽霊だったのか、というたった今浮かび上がった疑問は、風船とは異なり空高く飛んで消えず、頭の片隅で常に留まっていた。
「もう忘れよう。作戦は成功したんだし」
「そうね。作戦は成功したんだもんね」
この日の唯一の目標であった、一ノ瀬と一條に二人きりの時間を作ってあげる、ということが出来たことに安心する。
少し無理やりだったかもしれないし、計画を立ててくれた二人には、少し悪いことをしたかもしれないという罪悪感は残るが。
「この後どうしようか」
「休憩できるし、学校で見たあのパフェでも食べに行きましょう」
「いいね、パフェ食べたいな。よし、行くか。どうする、また手でも繋ぐか」
「もう怖くないから大丈夫よ。……いや、やっぱり繋ぎましょう」
「どうぞ。やっぱり気持ち悪いよな」
「本物だって思うとね」
一ノ瀬たちが楽しんでいることを願いつつ、僕らは安心を共有するように手を繋ぎながら園内を歩く。
すれ違う家族連れや、カップルを見る度に、自分たちはあんな風に見られているのかなと、地面に並ぶ二人の影を見ていた。
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