ハムカツてんこ盛り

ハムカツ

オールドミーツジャンク



 年甲斐もなく、私は恋をしてしまった。




 出会ったのは30代半ば、会社では役職持ちとして仕事を押し付け―― もとい充実してくる時期に入った直後。終電間近、駅に向かう途中に、"彼女"は文字通り打ち捨てられていたのである。




 少しだけ、いや実のところかなり悩んだ。どうにも生きているように見えない。片手がモゲており、腹からは赤黒い液体が流れ出ている。もうこの時点で警察に通報するべき案件でしかない。




 けれど彼女は、そんなボロボロの体で身じろぎ、そして私に対して顔を向けた。




 目をそむけたくなる惨状、コバルトグリーンの瞳は潰れ、安物なプラスチックのレンズが向き出しになっている。顎の一部、表面を覆う人工皮膚が削れて、歯とフレームが向き出しになっている顔は、古い映画の殺人マシンの姿にも見える。




 けれど、そこまでボロボロになってなお、四葉よつば電機から発売された彼女は美しさを失っていなかった。いやむしろ体機能の半分を砕かれ、それでも立ち上がろうとする姿に目を奪われてしまう。




 もし彼女が暴走しており、キリングマシーンであったなら。私はきっと死んでいただろう。けれど彼女が私に向けたのはナイフではなく、壊れてフレームと人工筋肉が向き出しになったまま震える右手で――





「現在本機にはマスター登録が行われていません。法律上は落とし物扱いになります。この惨状で何かが出来るかとは思いませんが」





 それでも必要として下さるのならばと、放たれた言葉に私のハートは撃ち抜かれた。ああ、人ではなく区分として家電製品に分類される彼女に対して、恋心を抱いてしまった事実は間違いなく道義上、真っ当な大人として許されないのだが。




 それでもこの衝撃的な出会いは、私にとっての初恋だったのである。









 その後の10年は私の人生で一番幸せな時間で、更にその後の5年は、一番辛い日々であった。故障により徐々に動かなくなっていく彼女。出会った時点で既に生産ラインは閉じており、保守部品が無くなってからはあっという間。




 まず足がダメになった。メイドロボにとって一番消耗が激しく、壊れやすい部分。定価で100万、中古ならば市場価格が10万を下回る彼女の為に、30万の電動車いすを買った話は他人に聞かせることは出来ない。




 次に腕が動かなくなる。彼女なりに必死に私に仕えようとした結果、親指のパーツが壊れて、彼女は動けなくなった。




 そして声を失って、彼女はただそこに居るだけの存在と化す。




 辛うじて私のスマートフォンと繋がって、インテリジェンスマネージャアプリのまねごとをこなすことしか出来ない。性能は昨今の大規模なクラウドシステムと連携するものと勝負にならず。




 ああ、それでも私は彼女がいてくれるだけで幸せだったのだ。





「しかし、本当に良いんですか? 彼女を納骨しても」




「ええ、まぁ最近は人間を墓に入れることが少なくなってますからねぇ。お墓が無いなら火葬場で跡形もなく焼いて、残りは産業廃棄物扱いなんてのも珍しくない訳で」





 カカカと、顔なじみの僧侶は笑う。ああそういう意味では、先祖代々の墓があり、死ぬまでに恐らく、永代供養をする程度のお金が残る目途が立っている自分は。まだ幸せな方なのかもしれない。




 最もその墓を管理してくれる子や孫は居ないから、己が末代なのだが。ご先祖には恋した相手が悪かったと見栄を切るしかないだろう。





「凄いのになると、お金を出して描いて貰ったイラストと一緒に弔ってくれみたいなのもありましたからね。もう一周まわって落語や古典の世界になっちまってる」





 ああ、そういえば確か中国の故事で、嫁を貰えなかった男が死後の慰みに、絵描きに美女を描いて貰って弔われたは良いが。あの世で離縁状を突きつけられた話があったと思い出す。




 私は死んだ後、彼女に離縁状を突きつけられるのだろうか?




 少なくとも、愛情を持って彼女に接したつもりだが。愛しているとは言われなかった。彼女には人を愛する機能も、嘘をつく機能も搭載されていなかったのだから。





「しかし、まぁあんたも趣味人だねぇ。彼女を焼くために、新型が1つ買える代金を払ったってんだから」




「新しい子を買っても、それは彼女じゃない。動作パターンや記録が引き継げるからといって、それは彼女が戻って来るのとは違うんだ」





 そもそも私生活において、彼女が担っていた役割はそう大きくない。むしろ他人から見れば私にとって余計な苦労に見えていただろう。親戚も、友人も、彼女が動かなくなるに従って私を諫めるようになったのだから。




 実際、彼女が動かなくなって、私の生活はずっと楽に。けれど空虚になってる。






 ああ、このまま。この恋のまま終わってしまった感情を抱き抱えて。私は死んでいくのだろう。20年か、もしくは30年か。長い長い余生を過ごして逝くのだ。







「まぁ、人生は自分のもんだ。好きに生きて、好きに死ねばいいのさ」







 まったくと。私より年若い破戒僧の、こちらを気遣う乱暴な言葉を。苦笑いで受け止めて、改めて彼女の位牌が入った墓に手を合わせるのであった。









 気づけば私は、長い長い道を歩いていた。周囲を見渡せば、多くの人が、互いに目を向けることもなく。どこかへ向かって進んでいた。なんとなくその流れに合わせて自分も一歩一歩前に進んでいく。




 ゆっくり、ゆっくり。私が砕けていく。けれどそれは終わりではなく、新しい始まりなのだと実感した直後。目に前に彼女が立っている。




 あの時とは反対で、もうボロボロになり、片目と腕を失っている私。




 そして彼女は、あの時と同じ顔のまま。こちらに近づいて来る。ああ、出来れば離縁状を突きつけられたくはないものだ。そんなくだらない事を考えながら。私はしわくちゃの顔に、どうにか笑みを浮かべるのであった。

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