♯210 謁見の間にて2
周囲から息を飲む音が聞こえる。
真っ白な姫夜叉モードで怒気を顕にしていたリーンシェイドの前に立ち、その行為を諌める。
首元を鷲掴みにされた猿人のおっちゃんは白目を剥いて泡を吹いてるし、周りでへたりこんでいる集団は腰を抜かして震え上がっている。
さすがにこれは、やり過ぎのような気がする。
女神の計画を伝えなければいけないと、急いで駆け付けた悪趣味な鬼の顔の扉の先は、険呑な雰囲気に静まり返っていた。
再度の出兵を皆に説得する為、リーンシェイドは魔王代理として魔の国の長達をここ、謁見の間に集めていたハズなのに。それがこうなっているという事は、詰まる所そういう事なんだろう。
呆けていた自分が申し訳ない。
本当ならそんなリーンシェイドを助けていなければならないのに。支えていなければならなかったのに。
本当に情けなくて、どうしようもない。
けど、これはよくないと分かる。
こんなやり方はしてはならないと、そう思えた。
本当なら私なんかにリーンシェイドを止める資格なんてない。
私が自分勝手に呆けている間にもこうして頑張っていた彼女に、私が何かをいう資格なんて欠片もありはしない。
けどそれでも。これはきっと、彼女自身が本当に望んでいる事なのだとも思えなかった。だったら私は、強引にでも止めなくてはいけないような、そんな気がするから。
すがる思いを込めて添えた腕からそっと、力が抜ける。
怒気を孕んで真っ白だった姿が元の黒髪黒目へと瞬間的に戻る。激情に昂った気分を落ち着けてくれたのだと分かった。
ごめん。……ありがとう、リーンシェイド。
どこか申し訳なさそうに視線を落とすリーンシェイドに対して、静かに眉目を下げて安堵する。
静まり返っていた場が、ざわつき始めた。
奇異と敵意のこもった不躾な視線が集まってきているのが、痛いほどに感じられる。それらの視線を集めているのが自分なのだと、それも分かっている。ここにいるべきじゃない、いてはいけないだろう事も。
それらの視線をしっかりと受け止める。
今はそれらを受け止めなければいけないと、そう思えてしまったのはきっと間違いじゃない。
一つ大きく息を吸い込み、覚悟を決めた。
その場に膝を付き、魔王代理であるリーンシェイドに対して深く頭を下げる。
「……っ!? レフィ……」
「魔王代理にお伝えせねばならない事がございます。どうかっ、お聞き届け下さいますよう伏してお願い申し上げます」
突然の跪礼に当のリーンシェイドを始めとした周囲が息を飲む中、リーンシェイドの言葉を押し止めるようにして口上を果たす。場の不穏な空気を勢いで丸め込んでしまいたかった。
ここで何かを言っても多分、引っ掻き回すだけに終わってしまいそうな、そんな気がしたから。
「……分かりました。玉座へ」
数瞬の躊躇いを見せた後、緊張の色を含ませた静かな声が頭上からかけられる。その玲瓏とした威厳を含んだ雰囲気に、どうにか意図が伝わったのだとホッとする。
さすがリーンシェイド。
言わずとも伝わる所がやっぱり凄い。
顔を上げて玉座の側へ来るように促されたので、魔王代理であるリーンシェイドの背中に控えるようにして、その言葉に従う。
険呑な空気が抜けきらない。奇異と敵意の籠った視線が注がれる中を歩き進む。
黒い床の上の赤い絨緞が目に痛い。
一番最初にマオリと再会したのもこの謁見の間だった。
あの時の状況と、少し似ていると思った。
あの時もこの悪趣味な謁見の間で、今のように不躾な視線を一身に受けながら私は、玉座に向かって歩みを進めていた。あれが、すべての始まりだったのだと。
同じようでもあり、少し違う。
あの時とは随分と状況が変わっている。
それだけの時間が経ち、それだけ多くの経験と知り得たものがあり、背負わなければならないものが、色々と出来てしまった。
それが何だか妙な気分でもあり、どこか不思議で、けれどもそんなに悪くもないなと、ふと思えてもしまう。
「人族の娘がっ、何をしに来た……」
誰かが吐き捨てた言葉が、静まり返っていた謁見の間に響き渡った。途端、どよめきが細波のように広がりを見せる。
「寵愛していた魔王様はもういないのだっ! 誰かそいつをここから叩き出せっ!」
「失せろっ、目障りだっ!」
「すぐ様叩き殺せっ!」
何かを思い出したかのような罵声と野次が、謁見の間の中で波紋のように広がっていく。場違いな私に対するものだ。相当気に食わないらしい。
前を行くリーンシェイドが立ち止まり、身震いしそうな程に冷たい眼差しでその怒声の中心へと振り返った。
そのリーンシェイドに小さく否定を返して、浅く両目を閉じる事で憤りを堪えて欲しいと伝える。思いやってくれる気持ちは嬉しいけれど、罵倒だけなら何て事もありはしない。
そしてゆっくりと、罵倒の声を上げていた者達の方へと振り向いた。
千年の昔から争ってきた者同士。その長い年月でこれまで積み重ねてきた怨恨が、一朝一夕で消えてなくなるなんてある訳がない。
それでも、その思いを形として口に出した者達がここに集まる中の一部である事。それでもマオリの命令に従って私を受け入れ、聖都への援軍に来てくれた者が大多数いる事に尊敬の念を抱きつつ、揺るがぬ視線を向ける。
「ここがどこだか分かっているのかっ!」
「胸くそ悪いわっ!」
私には、何を返す言葉も無い。
人族だからとか魔族だからとか。今ではそれはほんの些細な事でしか無いのだと思ってはいるけれど、私は彼らに対して何も言う事など出来ない。
何かを言う資格なんて、私には無いから。
浴びせられる怒声に対して、それを真っ向から受け止める。それらの言葉を認める訳でも、従う訳でも受け入れる訳でも無いけれど、ただ、向けられる敵意に対して真っ直ぐに向き合い、顔を上げる。
胸を張って向き合っていると次第に、口々に叫んでいた者達が言い淀みはじめ、気勢を弱めていく。
元々、一部からしか上がっていなかったという事もあり、その者達が口をつぐむと再び、謁見の間は落ち着きを取り戻していった。
浴びせられる罵倒が止んだのを確認して一つ、ゆっくりと目を閉じて呼吸を整える。そのままリーンシェイドに向き直り、何事でもないかように振る舞い先へと促した。
……うん。大丈夫。
何て事も無い。だから、大丈夫なのだと。
自分で思っていたよりも自身が冷静でいられる事に少しの安堵を覚え、玉座に向かって歩き出す。
本来ならマオリがいるハズの、マオリが座っていなければならないハズの、空の玉座に向かって。
玉座の前まで来ると、リーンシェイドはその傍らに立って振り返った。玉座のある位置から一段下に立つその姿には、魔王代理という重責を背負うきまじめさがひしひしと感じられるようでもある。
更にそこから一段下に控え、跪礼を捧げる。
魔王代理とその玉座に敬意を示して。
そしてゆっくりと、はっきりそれを告げる。
「光の女神が、降臨しようとしています」
静まり返っていた場に、一気に動揺の波が広がったのが分かった。こんな小娘の報告にどれだけの信憑性があるのか、そんなものはほとんど無いだろう。
けれどその内容と、その報告を受けても黙って控えたままの他の四魔大公の三人の様子に、明らかに戸惑いを覚えているようでもある。
リーンシェイドが無言で先を促したので、それに従い、更に深く頭を下げる。
「光の女神がこの世界に降臨すれば、間違いなく魔族を根絶やしにしようとしてくるでしょう。それを阻止する為にもどうか、魔王軍のお力をお貸しください」
「……それが真であれば事態は深刻です。貴女の言を証す事は出来ますか」
凛とした声が返される。
うん。リーンシェイドであれば絶対に信じてくれると思っていた。だからこそここからは、それなりに他の皆に信じて貰えるような伝え方をしなくてはならなくもなる。
跪礼を解いてその場で立ち上がる。
私みたいな小娘の言う事なんか元々論外だろうし、リーンシェイドにしても、いくらマオリの腹心だったとしても今まであまり表だって何かをしてた訳じゃない分、その若さは却って不利にも取られかねない。
だったらここは、若く無い人に。
それもとびっきりな人を引っ張りこめばいい。
「悪魔大公であられるセルアザム殿に伺いたいっ!」
玉座の脇に控える四魔大公の筆頭、悪魔大公のセルアザムさんに対して向き直る。
その正体を何らかの理由で隠しているようではあるけれど、セルアザムさんは初代魔王にして、光の女神と直接戦った事のある悪魔王その人でもある。
言いたい事や聞きたい事は山程あるけれど、今はそれより、確かめておきたい事があったりもする。
セルアザムさんなら、多分知っている。
それをここで、確かめる為にも。
「光の女神がこの世界に降臨する為にはその器である聖女の肉体の他にも、もしかしたら他にもう一つ、別の条件が必要なのではないのでしょうか」
イワナガ様を身に受けたのは、間の空間の中だった。
あの時はそんな事を考えもしなかったけれど、イワナガ様とコノハナサクヤではその在り方が、もしかしたら違うのかもしれない。
それは、確信にも近い疑問。
イワナガ様を身に受けていても、私自身の自我は何とも無かったし特に身体に負担があるようにも思えなかった。
そもそもイワナガ様に私を乗っ取ろうとする意思なんて無かった。それは確かに、大きいのかもしれないけど。
けれど、もしそうでなく。もしそうでなく、そもそもがイワナガ様とコノハナサクヤの在り方が違うのだとしたら。
器があるだけでは、駄目なのかもしれない。
器があるだけでは、コノハナサクヤは力を保持したまま現世に、降臨する事が出来ないのではないかと。
「……霊的に清められた場所。出来るだけ長い時間をかけて人の信仰と祈りが向けられた場所で、霊的な力に満たされ、その均衡を保つ場が、必要にございます」
答えを渋る様子もなく、セルアザムさんが問いかけに対しての返答を示してくれる。
その内容に自身の考えの正しさを改めて、確認していた。
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