♯160 鈴守の小太刀



 魔力が光の粒子になり、螺旋を描く。


 真っ白な光を放つのは、……多分私の魔力だ。

 風に舞う綿毛のようなフワフワとした光の群が、ゆっくりと大きく渦を巻いて、ある一点へと集まっていく。その集い重なる白い光の粒子の間を、闇色の光が瞬く。


 零れ落ちそうになる光の粒子をかき集めるように、闇色の光が筋となって、抱き抱えていく。


 白と黒に輝く、光の二重螺旋。


 二色の光の粒子がゆっくりと大きな螺旋を描き、密度を増しながら、ある一点へと集束していく。


 耳元で、軽く澄んだ音が響いた。


「……鈴の、音?」


 集束していく光が形を成す。

 私の身体の中にある、一つの意思を中心に。


 そこは以前、差し貫かれた場所だった。


 魔来香に酔い、妖刀に取り込まれてしまったアドルファスの動きを止める為に、敢えて差し貫かれた場所。


 あの時妖刀は、この身に宿る女神の加護を受け、灰となって崩れ落ちた。

 風の中へとその姿を消してしまった。


 ……残っていたんだ。


 私の身体を貫いたまま灰になった妖刀の欠片が、まだ私の中に残っていたんだ。


 姫夜叉の頭蓋を組み込んだ妖刀。

 リーンシェイド達のお母さん、リンフィットさんの頭蓋の欠片が、その意思が。……まだ、私の中に。


 集束し、密度を増した光が形を成す。

 一つの意思と、闇の女神の加護の下に。


 それは、一振りの小太刀の姿を取る。

 青銀の緻密な装飾の施された一振りの、小太刀。


 目の前に浮かんだ、自分の脇腹から生まれたその小太刀の柄を、誘われるままに手を伸ばし、握り締める。


 突然。濁流のような感情が流れ込んできた。


「……っぐぅ!?」


 勢いに負けないように更に力を込めて、しがみつくように、すがりつくようにして、小太刀の柄を力一杯両手で強く握り締める。


 両手の中で小太刀が強い反発を示す。


 ……反発?


 ……。


 ……違う。そうじゃない。

 これは、感情?


 感情の渦だ。


 抑えきれない程の思いの力が、……暴れている。


 大きくうねり、膨らんで、交わり、弾ける。


 勢いを増していく流れの中で乱れ、狂おしい程に捻れ、歪み、裂けていく、……激情の濁流。


 後悔。無念。焦り。憤り。


 愛しさと切なさが交互に重なり合う。

 いとけない憧れと、苦々しい諦め。

 胸の奥底を滾らせる思いが膨れ上がり、狂い踊る。


 これは、……感情だ。

 自分でもどうにも出来ない程の、感情。

 リンフィレットさんと私の、思いの力。


 身体の芯を掻き乱す感情の濁流に、そっと目を閉じる。

 抗っては駄目なのだと、心のどこか冷静な部分が語りかけてくる。これを拒否してはいけないのだと。目を背けては駄目なのだと強く、自覚する。


 憎しむ事のおぞましさも、嫉妬を覚える事の惨めさも、渇望する事のあさましさも全てを、受け入れる。


 思いの力は渦を巻いて、心を乱そうとする。

 その渦に抗っては駄目なのだと、……分かる。


 意識を明に。心を静に。

 自身の望む、思いの形をひたすら願う。


 やがて濁流は一つの大きなうねりへと変わる。

 頭の中に言葉とイメージが沸き上がってきた。


 盛。杜。護。銛。森。裳。


 さかえて集い、貫いて、かぶさる。

 集う中にあるものを、さらに高く積み上げる。


 言葉とイメージが次々に浮かんでは消えていく。

 その目まぐるしく移り変わる言葉の中で一つ、求めるものにようやく辿り着く。


 守。


 ……守る為の力。


「……鈴守。それで、……いいんだね」


 選びとった言葉に、力が宿る。


 途端、それまでの感情の濁流が掻き消えた。

 心を乱し、芯を揺さぶる激情の渦が鎮まり、選びとった言葉が強いイメージをともなって、頭の中に強く残る。


 それはきっと、儀式だったのだと思う。


 連綿と連なり背負わされてきた宿業に染まった『号』を浄化し、思いを力に変える『銘』へと生まれ変わる為の、……儀式なのだと。


 視線に気合いを込め、再び柄を握り直す。

 反発するような力は、もう感じられない。

 むしろ背中を押してくれているかのような、心強い何かを感じる。


 鈴の音が響く。


 ……。


 ……。


 うんっ!


 手にしっかりと馴染む柄を握り締めて、豪奢な青銀細工の施された鞘からすっと刀身を抜き放つ。


 一点の曇りもない真っ白な刀身が、炎の赤い照りを受け、堂々と輝きを返す。


 リンフィレットさんの頭蓋の欠片を核にして、私の魔力とイワナガ様の加護で形を成した、……一振りの小太刀。


「……これならっ!」


 抜き放った鞘を後ろ腰の帯の中へとねじ込む。

 小太刀を深く構えて腰を落とし、視線を真正面へと見据えた。


 ゆっくりと長く息を吐き、吸う。


 踏み込みは鋭く迷い無く、ただ前へ。

 思いと願いの力を示すように、強く。


 膝から腰へと螺旋を描き、肩から腕へ。


「でぇぇえええぃやぁぁあああああーっ!」


 気合い一閃。


 逆袈裟に斬り上げた剣先が天を示す。


 パーンッと、球体が弾けた。


 何をしても微動だにせず、ひたすらに強固を誇っていた膜の壁が、小太刀の刃先を受け、まるでシャボン玉のように容易く割れ弾けた。


 周りを覆っていた膜が弾けた事で、中で渦巻いていた炎が一気に溢れだす。


「ちょっ!? やばっ!」


 咄嗟に小太刀を構え直し、炎の勢いに相対する。

 炎は構えた小太刀を起点にして、外へと二つに裂けた。


 ……何これ、凄い。

 中の炎が溢れだすとか、考えてなかった!


 鈴の音が呆れたように鈍く鳴った……。


 ……。


 ……。


 考え無しでごめんなさい。


 溢れだし、密度の薄まった炎の狭間に、妖しく輝く赤い魔石が見えた。


「……これをっ! あがっ!?」


 すぐさまそれを砕こうと小太刀を叩きつけるけど、甲高い金属音とともに容易く弾かれてしまった。


 ……これを砕くのは、無理っぽい。


 握り手がジンジンと痺れる。

 神話の時代からの、神様の魔術具だもんね。さすがに早々砕けてはくれないみたい。


 ……それならそれでっ。


 炎の中に浮かぶ魔石に手を伸ばす。


 砕けてくれれば話は早かったんだけど、砕けてくれないってんならそれはそれ。要はコイツをどうにかすれば良い訳で。……だったらコイツを、自分に取り憑かせれば良い。


 一瞬、炎に包まれて崩れ去ったオルオレーナさんの姿が脳裏を過り、手が止まる。


 砕けない以上、コイツを制御しないとカグツチは止められない。けど、制御出来なければ、死ぬ。


 刹那の逡巡を飲み込み、覚悟を決める。

 どんな時だって覚悟は一瞬、気合いは十分っ!

 一か八かなら、賭けは得意だドンッと来いっ!


 覚悟を決めて魔石を掴み取ろうとした瞬間、横合いから伸びてきた太い腕が先に、赤い魔石を握り締めた。


「なっ!? 剣聖さんっ!? 何でっ!」


「ぐうっ!?」


 いつの間にかそこにいた剣聖さんが、私より先に、赤い魔石を強く握り締めていた。


 慌てて顔を上げる私に剣聖さんは、苦痛に眉根を歪ませながらも、武骨な笑みを返してみせる。


「断ち切れない者同士、三人で一緒に背負うのでござろう? ……ならば次は、拙者の番にござる。順番でござるよ」


「いやっ、でも。だって……」


 決意を固めた力強い視線に、言葉が詰まる。

 深く慈しむように揺るぎない意思が、瞳に宿る。


 確かにこの魔石が砕けない以上、誰かがこの魔石をその身に宿らせ、これを制御しきらなければならない。


 それは確かにそうなんだけど……。


 剣聖さんだって見ていたハズだ。


 目の前で一瞬の内にオルオレーナさんが炎に包まれ、灰になり、欠片も残さず砕け散ったのを、見ていたハズなのに。それなのに……。


 魔石が剣聖さんの身体に侵食をはじめ、低くくぐもった呻きが洩れる。


 オルオレーナさんの時と同じように、再び薄い膜の壁が張られ、球体の外へと弾き出された。


「剣聖さんっ!」


 赤い炎が魔石より吹き上がり、剣聖さんの身体を覆う。


「……レフィア殿、約束にござる」


 衣服が燃え尽き、しなやかに厳しく、見事に鍛え上げられた肉体が炎に耐える。


「……ぐっ。拙者を、魔王城にっ。……今一度、アドルファス殿とリーンシェイド殿にっ、……今一度っ、約束にっ、ござるっ!」


「絶対ですっ! 絶対に約束ですよっ! だから絶対にっ! 絶対に約束ですからねっ!」


 生きる為の力。

 執着する為の思い。その情念。


 オルオレーナさんの時とは違う。

 オルオレーナさんの時とは違い、剣聖さんはまだ、しっかりと生きる意思と目的を、握り締めている。


 炎が剣聖さんの情念を糧に、さらに激しく燃え上がる。激しさを増す炎の中で、剣聖さんはひたすらに生への渇望を抱え、堪える。


 順番だと言った。

 オルオレーナさんの次は、自分だと。

 断ち切れない者同士、一緒に背負うのだと。


 それを言い出した私が、その思いを否定する訳には、……いかない。


「……お願い。剣聖さん」


 唇を噛み締め、衝動をぐっと堪える。

 いざとなったらもう一度膜を破って、中から剣聖さんをひっぱり出す。そのつもりで、小太刀の柄を強く、……強く握り締める。


 それで助けられるかどうかは分からない。

 もしかしたら、間に合わないかもしれない。


 ……けど今は、剣聖さんを信じて。

 剣聖さんとの約束を、信じて待つ。


 強く握り締めた腕の中で僅かに、小太刀が震えているような、そんな気がしていた。





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