♯157 目覚める大禍2
「対、……魔王協定?」
聞き逃せない言葉に、嫌な予感が脳裏を過る。
思わず凝視してしまった私に、オルオレーナさんの申し訳なさそうな視線が返された。
「僕も姉さんもそれを止めようと必死で頑張ったんだけど、力が及ばなかった」
対魔王協定による王国連合軍。それは確か、オルオレーナさんから聞いた話の中にも出てきていた。
攻め込んで来た魔王軍に対抗する為に、人の国同士で力を合わせ、数の力で対抗する為の協定。
……何で?
スンラが侵攻してきた時ならいざ知らず、魔王様は人の世界になんて、全く攻め入るつもりも何もないのにっ?
むしろ刺激を与えないように、敢えて平和利に事を進めてきたハズなのに……。
「総大司教のオハラだ。ヤツは人族の裏切り者だと高らかに声を張り上げ、対魔王協定による王国連合軍を使って、アリステアを潰すつもりなんだ」
「……アリステアをっ!? なんでっ!?」
「『過去の王国連合軍の仕打ちを恨みに思うアリステアは、我が身可愛さのあまり魔王と手を結び、人族の世界に覇を広めようとしている』……だそうだ。オハラ総大司教は独自の手勢として、『
酷すぎる言い掛りに目眩いを覚える。
オハラ総大司教。そいつが……っ。
でも、そんなのっ!
「そんなのっ、言い掛りもいいとこじゃないですかっ! アリステアは人の世界を裏切ったりしてませんっ! 魔王様との協定だって、戦いを止める為にっ!」
「けれど対魔王協定は採決されてしまったんだ。何十万という数の王国連合軍が組織され、アリステアが……、蹂躙されてしまう」
「そんなのっ、そんなのって……」
アリステアが王国連合軍の標的にされる。
魔の国との間に、友情を結ぼうとしたから?
戦う事を止めて手を取り合おうとしただけなのにっ!
──言い付けを破って魔族と仲良くしようだなんて。
コノハナサクヤの言葉が耳に残る。
あのおぞましい化け物は、確かにそう言っていた。そう言って、おどけたような嫌らしい微笑みを私に向けていた。
──アリステアは潰すわ。……もう邪魔だもの。
……これか。
これの事かっ!
コノハナサクヤは王国連合軍を使ってアリステアを潰すつもりなんだ。……だとすればきっとオルオレーナさんだけで無く、そのオハラ総大司教という人も、コノハナサクヤから直接指示を受けているのかもしれない。
……何が、何が神託だっ。
そんなのっ、ただ自分勝手に自分にすがる人達を利用してるだけでしかないっ。
「そんな事、……許せる訳がない」
コノハナサクヤの身勝手なやり方に苛立ちを覚える私に、オルオレーナさんの呟きが届く。
「アリステアは、僕にとっても大切な場所だ。……ファシアスと出会ったあの国を、滅ぼす訳にはいかない」
「……オルオレーナさん」
「採決が通ってしまった以上、もう流れは止められないんだ。こうなってしまったからにはもう、流れを止められるだけの力がどうしても必要なんだ。僕はこの力で、アリステアを守りたい」
まるで懺悔のように言う様子に、違和感を覚える。
アリステアを守る為と言いながらも、どこか諦めているように見えるのは何故?
大切なものを守りたいと言うその表情がどこか、別の何かを見ているように思えるのは……。
「違うっ!」
オルオレーナさんの言葉に強い否定を返す。
……違う。そうじゃないっ!
多分それも本心なんだろうけど、今のオルオレーナさんはきっと、違う事を考えているっ!
「……レフィア、さん?」
「例えそれで止められたとしても、そんなんじゃただ、後に大きな怨みを残すだけ。……ううん。違う。そうじゃない。今のオルオレーナさんは、
壁に貼り付くようにして、オルオレーナさんを真っ正面から見つめ直す。視界の中に捉えたその姿に、微かな狼狽が感じられるのはきっと、気の所為だけではない。
「……アリステアが大切なら、
どこか毅然としているようでいて、何かが違う。
……私は、知っている。
同じような表情をしていた人を、知っている。
私はその人にも言ったんだ。
そんな事の為の理由に、使うなと。
そんなレダさんに私は、怒りを覚えたのだ。
大切なものを、そんな事の理由に使うなんて絶対に間違っていると、そう思うから。
「アリステアが大切な場所だと言うのなら、そんな事の為の理由にしないで下さいっ! 自分が死ぬ為の理由にっ、アリステアを使うなっ!」
オルオレーナさんが大きく目を見開く。
……オルオレーナさんはすでに知っているんだ。
自分ではカグツチを制御しきれない事を、オルオレーナさんは知っている。……そう、確信する。
コノハナサクヤは、それを伝えたんだ。
あの歪んだ化け物はそれをオルオレーナさんに伝え、それでも自らカグツチに手を伸ばすかどうかを、……楽しんで見ていたんだと、分かる。
「……お願いです、生きて下さい。生き続けて一緒に、私達と一緒に戦って下さいっ! お願いしますっ!」
思いが懇願となって口に出る。
「ごめんね。それは出来ないんだよ、……もう」
「なんでっ!? オルオレーナさんっ!」
「中途半端に引き返す事は出来ないんだ。例えそれで僕が死ぬ事になっても、もう、最後までやり遂げるしか他に無いんだ。……ごめん」
謝りながらオルオレーナさんは、自分の袖口のカフスボタンをそっと撫でた。
左十字の紋章の入った、青緑のカフスを。
「僕はすでに、自分のかつての部下達を手にかけてしまった。捕まる訳にはいかなかったとは言え、自らのこの手で、彼らの命を奪ってしまっているんだ。……今さらここで僕だけが途中で止める訳には、……いかないんだ」
「駄目ですっ! オルオレーナさんっ!」
すがりつく透明な壁が熱を持ち始める。
出来る事なら力づくでも、この場からオルオレーナさんを引っ張り出して、その目を覚ましてやりたいのに。
……届かない。
手を伸ばす事すら、叶わない。
「オルオレーナさんっ! 待ってっ! 駄目っ!」
壁に触れる手の平が、……焼ける。
無意識の内に構築した回復魔法で、焼け爛れ始めた手の皮をすぐさま回復させるけど、痛みまでは消えない。
手の平に走る激痛にも構わず壁にすがりつく。
声を枯らして叫ぶ声はけれども、……届かない。
「オルオレーナさんっ!」
肉の焼ける嫌な臭いが鼻につく。
高温を持ち始めた球体の薄い膜の中で、オルオレーナさんの左胸の魔石が光を放つ。
「待って下さいっ! 駄目っ!」
魔石から赤い炎が迸り、オルオレーナさんの全身を包み込んだ。炎は瞬く間に衣服を燃やし尽くし、その驚く程に白い肌が晒される。
炎に蝕まれる中でふと、オルオレーナさんが微笑む。
「……ごめんね。ありがとう、レフィアさん」
猛る炎が渦を巻き、白い身体を飲み込む。
禍々しい炎の渦は一瞬にして、麗しきその肢体を黒ずんだ炭の塊へと変えてしまった。
一瞬だった。
何の感傷を感じる間もなく一瞬にして、姉を思い、聖都を思う男装の麗人は炭の塊へと姿を変え、その残骸でさえも、炎の勢いに飲まれて粉々に砕け散ってしまった。
高熱を放つ球体の中で、炎だけが猛狂う。
「オルオレーナさぁぁあああああんっ!」
憤りを込めて叫ぶ声はけれどもすでに、その思いを伝えるべき人を、……失ってしまっていた。
オルオレーナさんを飲み込んだ炎が勢いを増す。
生体核を取り込み、そして同時に失った魔術具が力を取り戻す。薄い膜で覆われた球体が、命の輝きにも似た光を放った。
古き神々の遺産、カグツチ。
それは、神話の時代に語られる破壊兵器が、自らの破壊の意思を持って目覚めた、その瞬間でもあった。
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