♯92 聖地にて
聖地。フィリアーノ修道院跡地。
1200年前。
初代聖女アリシア様が福音を授かったといわれる場所。
初代聖女様はその力を以て、当時、世界を相手に暴れまくっていた悪魔王を単身で撃破し、人の世界を救ったのだという。
修道院の建物自体は老朽化の為、長い歴史の中でその姿を消してしまった。けれど、その跡地は今も聖地として、アリステアのみならず、世界中の人々の信仰の中心になっている。
実際、名前だけなら私も聞いた事がある。
その由来までは知らなかったけど。
さすがに由緒正しき聖地とあって、リーンシェイド達魔の国の人には、今はまだ遠慮して欲しいとお願いされた。
そりゃそうだ。
例え友好をお題目にしたって、互いに踏み入ってはならない領域というものはある。
なので今日は、聖女様と私と、数人の護衛騎士の限られた人数だけしかいない。
朝から小雨の降りしきる中、馬車は大通りを外れて、旧市街の中心部に到着した。
聖地は旧市街の真ん中にある。
正確には、聖地を中心にして、その周りに聖都アリステアが建立されたのだそうだ。
聖地をぐるりと囲む壁はとても高く頑丈そうで、後から何度も建て増しを繰り返した事によって、まるで要塞砦のようにも見える。
いくつもの大きな扉を通り、屋根のある通路を奥へと進んで行く。
雨に濡れないのは有難いけど、ずいぶんと格式の高い造りになっていた。
何だかこっちの方がよっぽどお城っぽい。
外部の人を迎え入れようとする中央神殿の造りとは違って、中に進むのを拒んでるようにも感じられる。
途中、木の柵で封鎖された門の前で、聖女様が不意に立ち止まった。
「ここからは立ち入り禁止区域です。私とレフィアさんの二人だけで行きますので、ここで待っていて下さい」
護衛の騎士さん達に一言告げ、さらに奥へと進んでいく聖女様。
ここで、厳かに敬礼を掲げる騎士さん達とも別れる。
立ち入り禁止区域って……。
何だろう。何かドキドキしてしまう。
いいの? 私なんかが入って本当にいいの?
さらに奥へ奥へと進んでいく。
見事に人の気配がない。
奥へ進むほど建てられた年代も古くなるのか、段々と遺跡じみてきているような気もする。
聖女様が『灯り』の魔法を灯した。
いつのまにか屋内に入っていたらしい。
『灯り』の範囲から外れた所は真っ暗闇で、明り取りの窓一つ無い。
遺跡じみてると言うより、まんま遺跡だ。
修道院跡地って言う位だから、遺跡っちゃ遺跡か。
しばらく進むと、大きな扉があった。
身の丈の三倍はありそうな、鉄製の扉だ。
……開くんだろうか、これ。
聖女様はその扉に手を添えて、……止まった。
何やら真剣な表情で、考え込んでしまっている。
聖女様の緊張が、痛い程に伝わってくる。
……何を、そんなに。
この扉の向こうに何か、聖女様に緊張を強いるようなものがあるんだろうか。
信仰心が薄い私には分からない何かが、聖地と呼ばれる場所だけに、やっぱりあるのかもしれない。
そっと目を閉じて深呼吸を一つすると、聖女様は扉に描かれた紋様に、撫でるように触れた。
魔力に反応して、カチャリと扉の封印が解かれる。
この扉、どうやら魔法仕掛けらしい。
重苦しい扉が開いて中へと進む。
聖女様が広範囲を照らすように、『灯り』を頭上高くへと掲げた。
視界がさぁっと広がる。
中は、ドーム状の広い空間になっていた。
「ここが、フィリアーノ修道院跡地です。今はもう跡地でしかありませんが。初代様が光の女神より、福音を授かった場所になります」
……うん。相当に広い。
ざっと見て、中央神殿の拝殿くらいあるだろうか。
よく見ると、中央に祭壇のようなものが置かれている。
ここが、フィリアーノ修道院跡地。
女神教や聖女教にとっての、聖地。
……何だか緊張が伝染ってきた。
もしかして私、とんでもない場所にいる?
「そして、全ての聖女はここに至る事を最終目的として、日々の修行に励んでいるのです」
「最終目的、……ですか?」
聖女様が祭壇の方へと近付いていく。
場の雰囲気に飲まれそうになりながらも、トコトコとその後ろから追いかける。
何だろう。何か分かんないけど、怖い。
……怖い?
何がそんなに、怖いんだろうか。
自分でもよく分からないけど、どこか緊張を強いられる。
「レフィアさんは、聖女というものがどういう存在なのか。その意味をご存じですか?」
「聖女様の意味、ですか? ……えっと。困ってる人を助けたり、女神様の教えをみんなに広めたり、……とかですよね」
「いいえ。それらは全て、付随する業務の内の一つにしか過ぎません。本当の意味は他にあるんです」
祭壇に上がる階段の一歩手前で、聖女様が足を止めた。
遠くからでは分かりにくかったけど、祭壇は、一段高い所に設置されていて、思ったよりも高さがある。
聖女様が緊張した様子で振り返る。
「聖女とは畢竟、魔王を倒す為だけにあるのです」
「聖女、……様?」
「聖女の本当の役割とは、民に慈悲を与える事でもなく、女神様の威光をあまねく広める事でもありません。魔王を倒す為、光の女神様を自身に降臨願う事こそが、聖女というものが存在する、本当の意味なのです」
魔王を倒す。
ただ、それだけの為の、……存在?
「そしてその為に、聖女たる者はここで、その命と身体を光の女神様に捧げねばなりません。これは、その為の祭壇なんです」
「……命をって、それじゃあ、まるでっ」
「ええ。そうです。聖女とはつまり、女神様に捧げられる生贄なんです」
頭に浮かんで、けれども口にだせなかった言葉を、聖女様はさらりと肯定した。
生贄。
「人の手に負えない強大な魔王が現れた時、聖女はその身を引き換えにして、光の女神様の降臨を願うんです。それこそ、初代様がそうしたように」
「そんな。……でも、だって」
「……そんな顔をしないで下さい。大丈夫です。聖女の存在する本当の意味は、その身を捧げる為の存在でしかありません。ですがここ数百年の間、女神様の降臨は行われていないんです」
聖女様がゆっくりと微笑む。
「聖女であれば誰でも、と言う訳にはいかないんです。女神様に降臨願うには、福音が必要となるそうなのです。13年前にスンラが攻めて来た時も、先代聖女様は女神様の降臨を望む事が出来ませんでした。福音がなかったからです」
「先代聖女様……」
スンラと戦い破れて死んだ、先代の聖女様。
「ここ数百年の間、福音はありませんでした」
ありませんでしたって、……ちょっと待って。
生贄としてその身を差し出す為の聖女。
それには、福音が必要なのだと言う。
福音の聖女。
私もその名を聞いた事がある。
当時、村の大人達が騒いでたのを覚えている。
「聖女様は、……福音の聖女だと、聞きました」
12年前、数百年振りに福音が下された。
福音の聖女が、誕生したと。
「私に福音はありません」
聖女様は静かにそう、はっきりと言い切った。
無いって、……へ? どういう、……事?
「……え、でもだって、みんなそう……」
「私に福音は、ないんです。12年前に神託が下り、私は福音の聖女として神殿に迎え入れられました。そのまま、今日まで過ごしてきましたが、違うのです。福音が下ったのは、私ではありません」
「聖女様が福音の聖女様じゃないだんなんて、……どういう事ですか? 聖女様は聖女様、……ですよね」
聖女様が聖女様じゃない?
さっぱり意味が分からない。
冗談や意地悪を言ってるようにも思えないし。
どういう事なのか、聖女様の真意が見えない。
「これはまだ、誰にも話していません。誰も知らない事ですが、私は間違えて連れて来られたのだと、そう思っています」
「……どうしたんですか? 何で急にそんな事を」
「神託は確かにあったのだと思います。それは、間違いではありません。ですがそれは私では無く、私とよく似た名前の、同世代の別の方に下されたものだと、今は確信しています」
「マリエル様とよく似た名前。……ですか?」
「今の私の名前は、マリエル・エル・フィリアーノ・レフィア。これは聖女としての名前です。聖女になる前の私は、ただのレフィア村のマリエルでした」
レフィア村の……、マリエル。
よく似た……、名前。
同世代の……。別の人?
……。
……。
いや、ちょっと待って。
……は? 何それ。
え、まさか!?
聖女様は真正面から私の顔を見つめている。
そして、真剣な眼差しのまま、ゆっくりと言った。
「本物の福音の聖女は、レフィアさん。貴女です」
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