♯48 飛び出せ乙女



 ベルアドネが魔力を組み上げる。


 聖女マリエル様の構築した聖域結界の中。

 奈落の大穴のど真ん中にしゃぼん玉みたいに浮かぶその中で、私達は息をのんでベルアドネを見守っていた。


 改めて考えると、亡者の蠢く奈落の中にいるとか、ありえない状況にいるんだと思う。

 死んでから来る所だよね、ここって。


 上も下も果てが見えない程に深く遠い。

 光が届かないって事もあるんだろうけど、身体ごと吸い込まれてしまいそうな深い闇に、背筋に寒気が走る。

 そんな縦に長い大穴の壁一面には、無数の亡者達がへばりついている。モゾモゾと蠢くあの一つ一つが全て亡者なのだと思うと、これにもまた背筋がゾワゾワとして寒気が走る。

 うん。意図して来たい場所で無いのは確かだ。


 傍らに横たわる焼け焦げた紺色の毛皮をそっと撫でる。

 さっきまでは小刻みに震えていたけど、今ではだいぶ呼吸も落ち着いたのか静かに毛皮を上下しはじめていた。

 

 大きさ的には多分大人だと思う。うん。

 性別は分からん。ファーラットの生態とか、あんまり詳しく無いし。


 撫でるたびに瘴気がすぅっと抜けていくのが分かる。焼けただれていた表皮も、撫でるたびに少しずつ状態がよくなっていってるのは、決して気のせいでは無いと思う。

 乙女の右手マジ天使。これなら、このファーラットも助かるかもしれない。


 高まる魔力の質が変わった。

 ベルアドネが魔法を構築し始めたみたいだ。


 薄むらさき色の繊細なヴェールのようなベルアドネの魔力が、身体を包むようにして沸き上がる。変態残念娘のくせに、やたら綺麗な魔力をしてやがる。

 見てて思う。人によって外見に個性があるように、魔力もまた、その色や様子にずいぶんと個性があるみたいだ。

 ベルアドネの魔力はうす紫で薄い絹のような形をしてるし、聖女様の魔力は白くてほんわかとしている。

 確かリーンシェイドは赤くて靄のように見えていた気がする。

 

 ベルアドネの魔力は、幾重にも重なり合いながら放射状に広がっていく。そのまま聖域結界の薄い膜の外側へと出ると、さらに勢いを増して、絡み合いよじれ合いながら編み込まれていくのが分かる。


 見ていて幻想的な光景だった。

 ベルアドネから発せられたものだとは、到底思えない。


 聖域結界の外側で編み込まれたベルアドネの魔力は、次第にその密度を増していき、鉤爪のようなものが実体化して浮かび上がってきた。

 組み上げているのはその1本だけでは無く、5メートルくらいの巨大な鉤爪が、聖域結界の外側で10本ほど中空から垂れ下がっている。


「……これは」


 不気味な光景にさらに異様な光景を重ねたベルアドネに、聖女マリエル様が戸惑いをみせた。


「ヒサカの秘術の一つ、神猫の大爪だがね。……まぁ、本来ならこの大爪でひっかけた相手を操る術でやーすが、今はこれを、……こうするだで」


 ベルアドネが得意げに言いながら、右手の手首を撫でるようして返しながら頭上に掲げた。


「おぉぉっ、何かすごい。ベルアドネのくせに」


 聖域結界の球体をぐるりと取り囲んでいた鉤爪が、ベルアドネの手の動きに合わせて動き出した。


「妙にトゲのある言い方でねぇすか……」


 気にしない気にしない。

 ヒサカの天才児か。ぱっと見でそうは見えないし、じっくりと知れば知る程どんどんそう見えなくなるけど、……確かに。何かすごいね。


 大爪は、その大きさからは想像できない俊敏さで縦一列に整列すると、ババッと上へと向かって互いの間隔を広げてのびあがった。


「聖女! 聖域結界とやらの強度を上げるだがねっ! ここから奈落の出口まで一気にいくでよっ!!」

「え? あ、はい」


 縦に並んだ大爪と強度をあげた結界?


 ……さっきまでの嫌な予感が確信に変わる。


「これがっ!ヒサカの秘術だがねっ! ヒサカ流傀儡術!必殺秘奥義!」


 ……おい、即席って何だ。


聖女結界球ホーリーボール跳打大爪カタパルト!」


 一番下の大爪が大きくしなると、反動をつけて、私達のいる聖女様の聖域結界の真下から迫ってくる。


 え。


 ちょ、ちょっと待てぇぇえええ!


「「うぎゃぁぁぁあああああ!!」」


 まるで遊技で使うボールのように、もの凄い勢いで真下から打ち上げられる聖域結界。当然、中にいる私達もその勢いのまま、結界の内部に叩きつけられた。

 勢いに押し潰されないように両手両足で力いっぱい踏ん張るけど、……めっちゃきつい!


 この馬鹿っ! 中がどうなるか考えなさいよ!


 ぷちっ。


 悲鳴に紛れて何かが潰れた音がする。


 見るとベルアドネがつぶれていた。

 おいこら術者ぁああ!


「あんたが気絶してどうする!?」


 一列に並んでいた大爪が制御を失い、てんでバラバラに動き始めた。


 おい。


 おい。


 おいぃぃいいい!!


「「ぎゃああああ!」」


 勢いをつけたまま次の大爪に近づくと、何に反応してるのか大きくしなり、制御結界をあらぬ方向へと打ち返した。


「「へべぶほっ!」」


 聖女様と私の叫び声が重なりあう。


 10本の大爪達は俊敏な動きを見せて、弾き反される結界球の先へ先へと回り込んでいく。


 まさかこれ。……嘘でしょ。


「「あばっふ!」」

「「ぺぎょっ!」」

「「にょどぅおうわぁっ!」」


 濁流に飲まれる木の葉のように、上下左右からビシバシ大爪に弾かれまくる結界球。

 結界に弾力性があるので、膜を突き破って外へと放り出される事は無いっぽい。それはそれで助かるんだけど、もうどっちが上でどっちが下なんだか分からないぐらいに、結界自体にもスピンがかかって回る回る。


 あ、聖女様が変な体勢でひっくり返った。

 ……白のレースか。イメージ通りだね。うん。


「「にぎゃぁぁあああっ!」」


 アホな事考えてる場合じゃなかった。

 これ、どうにかしないとたまったもんじゃない。

 高速回転する景色の中にふと光の穴を見つけた。


 あれだっ!


「聖女様! あそこっ!」

「ふぇっ!? どこっ!?」

「壁に出口がある!」


 目を回す聖女様に注意を呼びかけるけど、聖女様は聖女様でふらふらしてる。

 これはちょっと、大丈夫そうには見えない。


 弾き飛ばされた先に、再び大爪がせまる。

 これはもう、やるっきゃない。

 大爪がしなって結界球を弾き飛ばそうとする。


「どっせいぃ!」


 瞬間。タイミングを計って結界の内部に体当たりをぶちかます。

 狙った個所に大爪が勢いよく叩きつけられた。


「きゃあぁぁあああ!!」


 そのまま、光る出口のあった方へと飛ばされる。

 ……やばっ。少しずれてる!?

 何かで方向修整しないと壁に叩きつけられる。


 何か無いか!何か!


 私は、結界内で意識を失ったままバウンドし続けるベルアドネの足首をとっさに掴んだ。


「え!? レフィアさん何を!?」

「ずぅおりゃぁぁぁあああああっ!」


 両手で気絶したベルアドネを振り回して、勢いをつけて結界内の反対側へ叩きつけた。結界内部の膜は、何だか弾力があるみたいだったから、多分ベルアドネでもきっと大丈夫っ!

 バィインと軽快な音を立てて、結界球の進路がずれた。


 ……よしっ!


 勢いをつけて飛び込んだ光る出口の先は、……さっきまでいた魔法陣のある広間だった。


 ビンゴっ!


 ぽっかりと開いた奈落の穴から飛び出た結界球は、放物線を描いて残っていた床の上へと落ちた。


「どぅわっふ!」


 中々の衝撃を感じたけど、聖女様の聖域結界のおかげか無事に地面に着地する事ができた。


 マジで死ぬかと思った。

 ……ベルアドネのドアホがっ!


 聖女様は顔を真っ青にして、結界の端っこで地面によつん這いになって……。うん。同じ乙女だ、見なかった事にしよう。

 さすがに私もちょっと気持ち悪い。

 乗り物酔いとか人生でも初めてかもしんない。


 慌てて横たわるファーラットの様子を確認する。スピンしまくる結界内で、必死に抱き押さえてはいたけれど大丈夫だったろうか。


 ……よし、まだ息はある。


 聖女様とファーラットの無事を確認した私は、結界内の地面に投げ出されたベルアドネに気づく。

 さっきからピクリとも動いていない。


 少し乱暴に振り回し過ぎてしまったっぽい。

 ちょっとだけ心配になったので、ベルアドネの様子を見ようと側によってみる。


 ……嘘。


 ……まさか、でしょ。


 思いもよらぬ様子に私は言葉を失った。


 彼女は言ったのだ、ヒサカの者として何をすべきかが分かったと、命を放り出すのでは無く、この事態を収める為に行動するのだと。

 ベルアドネ……。あなた、こんな所で……。


「すぴー。Zzz」


 こんな所で寝てやがる!


 ゴッ。


「いったぁぁあああ!! え、……あれ?」


 無性にイラっとしたのでつい殴ってしまった。


「ね、寝とらーせんよ! 全然寝とらせんっ! 気を失なっとっただけだでよっ!」

「ベルアドネあんたね! あんな大技くりだすなら、ちゃんと最後までしっかり制御しきりなさいよ!」

「いっつー。殴らんでもええがね。無事に奈落から出られたんなら、結果オーライでねぇか」


 ……この残念阿呆娘が。


「と、とりあえず、……うぷっ、奈落から出られた事は良しといたしましょう。まだ安心は出来ませんが……。うっ」


 胃の中をぶちまけるだけぶちまけてきた聖女様は、ふらつきながらも立ち上がった。顔色はまだ悪いままだけど、ボサボサに乱れまくった髪を押さえつけて根性でこらえてるっぽい。

 控えめに言っても満身創痍だ。


「聖女、顔色がどえらい悪いがん、大丈夫でやーすか……」


 あんたの所業だよ、あんたの。


「ええ、何とか……。うっぷ」


 何だか相当ひどく酔ってるみたいだけど、それでも結界を維持し続けた聖女様はさすがだと思う。

 さもなければ濃密な瘴気の中に、私達みんな放り出されていた所だ。


「それよりも、……ここから先の事を考えましょう」


 広間の真ん中に開いた大穴からは、亡者達が不気味な呻き声をあげながら這い上がり続けていた。魔法陣の跡は、もう欠片も残っていない。

 すでに広間は亡者と瘴気で満たされ、埋め尽くされている。でも、さっき見た奈落の亡者達がどんどん溢れでてくるのだとしたら、こんなもんじゃ済まないだろう。


 ……考えるだけでゾッとする。


「このまま、結界を維持したままで地上を目指すとか?」

「……どこから出るつもりでやーすか」

「どこって、入ってきた入り口が……」


 広間から続くいくつかの入り口。

 様子を探るようにぐるりと見渡すと、どこも這い出てきた亡者達が殺到していてぎゅうぎゅう詰め状態だ。


「あれって、このまま結界を維持したまま突入するのは難しかったりする?」

「……このままでは、物理的に無理ですわね」

「かと言って、結界を解いたらあっという間に亡者にたかられてまうでよ」

「……わちゃ」


 奈落からは戻ってこれたけど、早々簡単には逃がしてくれないらしい。


「このままでは無理ですけど、手が無い訳ではありません」


 聖女様が力をこめて言い切った。

 まだ顔色は悪いままだけど、やっぱり聖女様は聖女様だ。ここぞという所で頼りになる。

 どっかの変態残念阿呆娘とは違うのだ。


 ……違うよね?


 ……違うハズだ。うん。





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