♯40 聖女の焦燥3



 私は困惑に頭を抱えていた。


 魔物はびこる人外魔境。

 世にもおそろしげな怪物達が我が物顔で跳梁跋扈ちょうりょうばっこし、連日の如く阿鼻叫喚が響き渡る国。

 恐怖と絶望が形をともなって暗闇を支配し、油断すれば魂を貪り喰われる死の世界。

 前人未到のこの世の果て。魔の国。


 覚悟を勇気にかえ、千尋の谷からこの身を放り投げるつもりで魔の国に潜り込んだ私達は今、宿屋に泊まっている。


 ……。


 何だこれは。


 確かに魔物たちははびこっていた。

 文明的で文化的な生活を営みがら極々平和に。

 オーガにゴブリン、リザードマン。その他にも一見すると人間となんら見分けのつきにくい魔物達が、人間とほぼ同じように日常を過ごしている。


 種族間の軋轢もほぼ無いかのようだ。

 現に私達が紛れ込んでいても、頭をフードで隠してしまえばそういう類いの獣人だと扱われ、ことさら無下にされたりなんかはしない。


 人間の社会に比べると、こっちの方が余所者に対してよっぽど寛容な気がする。今はそれで助かっている部分もあるけど、人間としては微妙な心持ちにならざるをえない。


 うーん。どうなんだ、これ。


 目の前に実際に現実としてあったとしても、簡単に認められるもんじゃない。魔物達の方が人間よりも寛容で平和な暮しをしているなんて。


 これじゃあ騎士団を率いてやってきて、問答無用で戦いを仕掛けた私達の方がよっぽど野蛮に見える。


 かぶりを振って頭を過る疑問を打ち払う。

 木を見て森を知る事なかれだ。

 何を判断するにしてもまだ早すぎる。


 今はとにかく情報だ。

 最初から不安はあったけど、現実を目の前にした事でさらに懸念は大きくなった。

 私達は知らない、知らなさすぎるのだ。

 魔物についても、魔の国についても。

 ことさら魔王についてでさえも。


「マリエル様。皆が戻ってきたようです」

「分かりました。すぐに行きましょう」


 この町に入ってすぐ、同行していた工作員を総動員して情報の収集に当たらせた。

 まさかこんな風に情報収集できるとは夢にも思わなかったけど、知るべき事は調べておかなければならない。

 特には暴虐の魔王スンラの動向と、救出対象であるレフィアの情報は必要不可欠だ。


 そして、真っ先に驚愕の事実を知る事になる。


「スンラが……、すでに死んでる?」


 全員が入れる大きめの部屋に移り報告を受ける。

 まず皆が口をそろえて最初に切り出したのがそれだった。


「運良く魔王城にいたっていう娘さんに会えましたので。嘘を言ってるようには見えませんでした。13年前の時点ですでにスンラは死んでいたそうです」


 部隊の中でもベテランの工作員のおじさまが、頭にまいたターバンをほどきながら報告する。


 13年前……。まさかそんな事になっていたとは。


「この13年間の異様な沈黙は、魔王スンラが死んでいたから……という事なのでしょうね。正直、言葉もありません。私達はすでに死んでいた魔王に怯えていたのですね」

「スンラはよっぽど嫌われてたみたいでして、誰に聞いてもすでに死んでいる事を嬉々として教えてくれました」

「そして今は新しい魔王がすでにいると?」

「はい。何でも相当に強くて信望を集めている若者だとか。3年前に魔王になって以来、急速に魔の国の秩序を立て直しつつあるそうです」

「魔の国の秩序……。ですか」


 奇妙な感覚を覚える。

 スンラ亡き後の混乱を収め、魔の国に秩序を掲げる新しい魔王。

 魔物の国に秩序などと。魔の国に入る事なく耳にしたら一笑にふしただろう。


「その新しい魔王について、他には何か?」

「魔王リーと言うらしいんですが、またえらく評判のいい様子でした。公正にして公平、罪には罰をもってあたるが情にも厚いのだとか。スンラに与した魔物達でさえ、そのほとんどが許されたそうです」

「魔王リー。ですか」


 魔物達の新しき希望。魔王リー。

 けれどもそれは、私達人間にとっての希望ではありえないだろう。


「ではレフィアを拐っていったのはその魔王リーの手のもので間違いないのですね」

「はい。まず間違いないと判断できます。先程の娘さんが言うには純粋に花嫁として迎え入れる為に拐ったそうです」


 花嫁に……、ねぇ。


「魔王の花嫁っていうと、十把一絡げに集められて大きな声で言えないような卑猥な事されまくったり、怪しげな儀式に使われたりされるのかしら」

「……いえ。単純に求婚相手として、だそうです」

「……」


 よく分からなくなってきた。

 片や公正にして公平に魔物達を収め、その一方で人間の娘を連れ去っていく。

 自分の花嫁にする為に。

 どうにも人格象に統一性が見られない。


 いや、何を考えているんだ私は。


 人格象に統一性?公正にして公平?

 相手は魔王だ。人格も何も無い。

 きっと気紛れに気分のままに動いてるに違いない。


 だけど。


 だけど。そうじゃないかもしれない。


 潜入前に叔父様から聞いた話が気にかかる。

 倒される為だけに存在する者などいない。

 魔物達は悪で私達が正義。

 そんなものはお伽噺の中のお話でしかない。


「マリエル様。いかがなさいましたか」

「……いえ、ごめんなさい。何だか色々戸惑ってしまって。駄目ね私が迷っていては。それで、レフィアさんに関する事では何か分かって?」


 さらなる報告を促すが反応は良くない。

 レフィアに関する情報はあまり集まらなかったようだ。

 無事なのかどうかだけでも知りたかったけど、焦ってみても仕方ない。


「あの、それについて何ですが。いいですか」

「どうぞ?どうしたんですの。そんな改まって」

「その、レフィアさんについて何ですが、どうやら今は魔王城にはいないようでして……」

「……。魔王城にいない?」

「はい。これもその魔王城にいたという娘さんからの情報なんですが、レフィアさんは今は魔王城にいないと」


 魔王に拐われた娘が魔王城にいない。

 ……考えてもみなかった。

 言われてみればそもそも根拠があった訳ではない。

 根拠も無く魔王城に囚われてるとばかり……。


「ここにきて救出対象の居場所探しから始めないといけないとは……。偏見に捕らわれていたようです。けれどもその子、だいぶ魔王城に詳しいようですが何故こんな境界近くの町にいるのしら」

「それが、魔王城が襲撃にあったそうでして」

「襲撃?魔王城に?叔父様達はまだ境界の砦の前にいますわよね。他に一体誰が」

「ファーラットによる襲撃だったようです」


 ファーラット、鼠人。

 確かゴブリンよりも弱い種族だったハズだ。


 ……それが魔王城を襲撃した?


「何が起きているのかしら」

「襲撃自体も噂になってませんし、あまり大事にはなってないようです。ですが、その襲撃の際に魔王城から若い娘が1人拐われたそうで、魔王城にいたというその娘さんはそれを追ってきたのだと言っていました」

「拐われた?」

「何でも17歳くらいの少し訛りのある綺麗な娘さんで、魔王の花嫁候補らしいです」

「え、ちょっと待って。それってっ!」


 レフィアの情報を思いおこす。

 確か辺境の村の娘とあったハズだ。

 だとしたら少し訛りのあるのもうなずける。


 思わず見つめた視線に肯定が返ってくる。


「……一体何が起きているのかは分かりませんが、ツキはこちらに向いているようですね。このまま魔王城に向かっていたらすれ違いになる所でした。その娘が拐われた先というのは分かりましたか?」

「はい。私達が通ってきた森の中にある、ファーラット達の拠点だとの事です」

「ファーラットですか。とても大胆な行動に思えますが、魔王城を相手取るよりは私達にとっても都合が良いというもの」


 一旦来た道のりを引き返す事になるが、レフィアを助け出したらそのまま脱出するつもりだったのだ。

 何から何まで都合が良い。

 これも光の女神様のお導きだろうか。


「ありがとう。これはもしかしたらとんでもない幸運に巡りあったのかもしれません。光の女神様に嫌われぬようすぐにでもここを動きましょう」


 私が立ち上がると、部屋の中の皆も姿勢を正す。

 ここが勝負所なのかもしれない。


「手の者を半分に分けてください。半数は引き続き情報の収集をお願いします。できれば魔王城からそのファーラットを追ってきたという追手の動向について調べれられるだけ調べておいてください。残り半数で森に向い、ファーラットの拠点を探し出してこれを叩きます」

「かしこまりました」


 時間的な猶予はそう多くは無いだろう。

 けれどもこれは千載一遇の好機だ。

 必ずや先にファーラットの拠点を見つけ出し、拐われた娘を奪還しなくてはならない。

 そう、その魔王城から来たという子達よりも先に。


 光の女神様は今まさに我々に微笑んでいる。

 私達は宿を引き払い、真夜中の森へ向かった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る