第53話 大魔王が見た夢

 アンデッド大魔王はダヴィドレイの死体を一瞥すると、ふたたびシドウたちを見つめてきた。


 かつて人間を恐怖に陥れたという大魔王――。

 大きい。

 見知らぬ骨格の形ではない。人間やアルテアの民をそのまま巨大化させたようだった。

 背丈は人間の二倍に迫ろうかというほどである。とにかく大きい。


 だがこの雰囲気はなんだろう? とシドウは思った。


 大きな体からか、迫力がないわけではない。

 しかしその眼窩の闇色は、不思議なほど穏やかだったのだ。

 口元は微笑んでいるようにすら見えた。


 佇まいはどこまでも悠然としていて。

 大魔王と聞いて思うような禍々しさを微塵も感じさせなかった。


 ――安らぎ。


 大魔王という名から対極にあるであろうその言葉が、この巨大なアンデッドを表現するのにもっともふさわしいように思えた。

 手にしている大剣から赤い血を滴らせているにもかかわらず、だ。


 ダヴィドレイの首を落としたということは、大魔王が彼の意のままのアンデッドとして蘇ったわけではないのは確実。

 彼が研究していた大魔王復活の術は、やはりまだ完璧ではなかったのだろうか。

 それとも、術者の命が尽きかけていた状態で術がかかったからこうなったのか。

 あるいは大魔王の精神が彼の術に抗った結果か。


 また、精神部分は大魔王が大魔王のままで蘇っているのだろうか。

 それとも何か精神的に変化のある状態で蘇ったのだろうか。


 シドウは目の前の巨大アンデッドの性質をはかりかね、いろいろな考えを頭にめぐらせた。


 そのさなか、自身が人間の姿に戻ったままだったことを思い出した。

 先ほどの件もある。アンデッド大魔王が放つ不思議なほど穏やかな雰囲気はともかく、油断せずに変身しておいたほういいかもしれないと考えた。


 だが――。


「シドウ、もう変身する必要はない」


 母親の落ち着いた声。

 見ると、デュラは首を立て、姿勢を正していた。


 シドウは視線を移す。

 父ソラトが、デュラのすぐ横で嬉しそうにデュラを見上げていた。赤髪の青年アランはいつもの微笑を浮かべ、ティアも緊張を解いてデュラを見ていた。

 全員が、大魔王が放つ雰囲気を感じ取っていたのだ。


 ソラトが前足をポンポンと二度叩くと、デュラはソラトとともにゆっくりと前に進んだ。


「族長の娘よ。久しいな」


 迎えるアンデッド大魔王の顔は、一段と柔らかく変化したように見えた。


「大魔王様。お会いしとう……ございました」

「正確には会ってはいない。余は死んでいる」

「承知しております。それでも私は嬉しく存じます」


 隣に寄り添うように立っていたソラトが、「デュラ、よかったね」と鱗を撫でた。

 大魔王はそんなソラトに一度目を向け、またデュラに戻した。シドウの目には、大魔王がかすかにうなずいたようにも見えた。


「私はいま、最後の純血ドラゴンとして、恥ずかしながら生きながらえております」


 デュラの説明は限りなく簡潔だった。

 大魔王が死んでから何年経っているのかも、ドラゴン族が誰に滅ぼされたのかも、なぜ自分だけが生きているのかも、今なぜ人間たちと共にこの場にいるのかも、言わなかった。


 大魔王がさらなる説明を求めることもない。

 ただ少しの時間だけ、両者は視線を交わしていた。


「族長の娘よ。余を恨んでいるか?」

「いえ。感謝こそすれ、恨んだことなど一度もございません」


 大魔王は「そうか」と言うと、闇色の眼窩を宙にさまよわせた。

 その後ダヴィドレイの死体を一瞥すると、顔を戻して言った。


「余の部下が失礼したようだな。ダヴィドレイは、我々アルテアの民の者が昔にグレンデルと相思相愛の果てにできた子だ。グレンデルの中で生きていくつもりだったが迫害され、集落を追い出されからは我々アルテアの民の集落で生きてきた。能力は高かったが、肌の色の関係で我々の中でも親しまれる存在ではなかった。そのせいか性格のほうが歪んでしまっていたようだ」


 それはデュラだけでなく、この場にいる全員に向かって説明しているようにシドウには感じた。


「せっかくここまでやってきたのだ。こちらに来るがいい」


 大魔王はそう言うと、シドウたちから見て左側に歩き出す。

 デュラがそれに続くと、他のメンバーもそれに倣った。


 大魔王の間は側部に壁がない。柱が広い間隔で並んでいるだけである。

 そこを抜けると、その外はすぐ空中にはなっておらず、バルコニーとなっていた。


 部屋の大きさ同様、並の大きさではなかった。

 ドラゴンであるデュラがいてもなお、広さに余裕があった。


 バルコニーの一番先に立つ大魔王。

 デュラが大魔王の少し後ろに位置したため、シドウらも大魔王を後ろから見守るような位置で景色を眺めた。


「わあ! 何これ! すごくいい眺めじゃないの!」


 ティアが言ったとおり、薄暮で橙に染められた景色は、絶景の一言に尽きた。

 方角としては北西向きと思われた。手前には気候の厳しいグレブド・ヘルで生き抜いている草原が見え、断崖絶壁の向こうに広がる外の世界も見えた。


 中央には広がる豊かな森と、その向こうには穏やかな海。

 左手にはなだらかな砂漠と点在するオアシス。

 右手には力強い峰と稜線の山脈。

 世界を俯瞰できる、この地の標高が存分に生きた素晴らしい景色だった。


 大魔王は景色に目を向けたまま、一つうなずいた。


「我々アルテアの民は、世界でもっとも美しい景色を見ることができる種族だ」


 その声は誇らしげなものではない。

 どこか寂しげで、退廃的なものだった。


「なのにずっと、それに手を伸ばすことは叶わなかった。我々アルテアの民はひとたび外に出れば迫害の対象。この不毛の地で生きていくしかなかったのだ」


 その落ちくぼんだ眼窩は、遠く景色を見て、そして遠く記憶を見ているのだろうと思われた。


「〝我々〟ってことは、大魔王もアルテアの民なの?」


 それはソラトの質問だった。

 シドウが子供のころ、彼がよく自身のことを臆病であると言っていたことを思い出したが、いま大魔王相手に慄いている様子はまったくない。


「余は純粋なアルテアの民だ」


 大魔王は振り向いて、答えた。

 これにはソラト以上に、アランとティアが驚きを隠さなかった。


「なんと。それは意外ですね」

「わたしも! でっかいから、あんたもモンスターとのハーフなのかと思った!」


 相手が大魔王であっても無遠慮に話す二人。アランはその圧倒的な実力と自信、ティアは天然。

 シドウは自然と苦笑が出た。本当に変わらないな、と。


 種族を超越した大魔王の体の大きさ。シドウに思いつくものはある。


「自然界の動物は、ごくまれに身体的な変異を持つ個体があらわれることがあります。あなたもそうなのですね」

「おそらくそうだ。生まれつき体が大きく、力も強く、魔力量もアルテアの民としては異常なほど多かった」


 大魔王は自身の体のこともよく理解していたのか、特に間を置くこともなく答えた。

 そしてシドウに向けた首を、すぐには戻さなかった。


「ほう、少し雰囲気がおかしいと思ったが。お前は、混ざっているな?」

「わかるんですね。俺はドラゴンと人間のハーフです」

「なるほど。すると――」


 大魔王はデュラと、それに寄り添うソラトを交互に見やった。


「そのとおりでございます。私と、この人間の間にできた子です」

「あはは。なんか恥ずかしいね」


 デュラが答えると、ソラトも笑いながらシドウと同じ亜麻色の髪を搔く。

 シドウの目には、大魔王も優しく笑ったように見えた。


 ふたたび大魔王は向きを変えた。

 その視線の先は景色ではなく、一段と橙が濃くなった空。


「この世界はすべての事象が役割を持つ。余はそう考えている」


 後ろで見守るシドウたちの体も、赤く染めあがってきていた。


「余についてもそうだ。この体で生まれたことも意味があり、大魔王に祭りあげられたことも、人間に討たれたことも、この世界にすれば意味があったのだろう。そして――」


 シドウたちのほうへと振り向く。


「いま、余がこの姿で蘇り、お前たちに会ったことも……だ」


 大魔王は一度全員の顔を見回す。

 そのあとで、穏やかな黒い眼窩をデュラとソラトに向け、そしてシドウに向けた。


「お前がダヴィドレイと違う点はどこだ?」


 自分の前の二者を見てから聞いてきたので、シドウはその仕草も加味して考えた。

 驚くほどすんなりと答えが出た。


「ここまできちんと愛情を受けて育っているという点でしょうか」


 夕日を背に「そうだな」と首肯する大魔王の顔は、シドウの回答に満足しているように見えた。

 アンデッドなので表情などないはずなのだが、景色同様に柔らかった。


「族長の娘よ、つがいの人間よ、そしてその子よ。余はお前たちに使命を授けたい。人間だけでなく、すべての知的種族がこの世界の美しさに等しく手を伸ばせる――。そんな時代が来るよう尽力してほしい」


「はい。一生をかけて」


 デュラが頭を下げてそう答えると、シドウとソラトも力強くうなずいた。


 いよいよ日が沈もうとしていた。

 大魔王は「さて」と前置きした。


「では、余の最後の役割を果たしたい」


 最後。

 この場にいる全員が、その言葉の意味を察した。

 それぞれがうなずく。大魔王を敬愛していたデュラも。


「お前たちは、アンデッドは粉々にすれば消滅すると思っているのだろう?」

「ということは、違うのですね」


 聞き返したシドウに、大魔王は落ち着いて答えた。


「違う。砕き灰にしても本当の意味で地に還ることはない。そしてその魂も空には還らず、漂い続ける。何年、何十年、何百年、何千年と経って、再びアンデッドとして復活する」


 それは、世界で誰も知らないであろう事実だった。


「アンデッドは余が魔法でこの世に生み出したものだ……。生み出したということは、当然それを消す魔法も知っている」


 大魔王の頭蓋骨の眼窩から、これまでとはやや異質の闇が醸し出された。


「この中でもっとも魔力のある者は……お前か」


 大魔王の目が、赤髪の青年アランで止まった。


「ほう、見事な魔力を感じる。生前に出会えたならば部下に欲しかったくらいだ」

「ご慧眼恐れ入ります」

「本来は余の仕事なのだろうが、それがかなわぬ。これも使命としてお前に授けたい」

「大魔王の頼みとあっては断れませんね」


 使命の詳細を大魔王は言わなかったが、アランも聞き返さない。

 大魔王は一言、「感謝する」と言った。

 そして持っていた大剣をバルコニーの床に立て、柄を両手で握った。


「あ、ちょっと待って大魔王。わたしにも記念に何かちょうだい」


 これはティアの声だった。

 大魔王も意外だったのだろう。口がほんのわずかに開いた。


「面白い人間だな。大魔王の余に命令するか」

「そうよ? いいでしょ? あ、使命だとかそういう重いのじゃなくて、あんたの持ってるモノとか、そういうやつでね! わたしここにいる人たちと違って、すっごい普通の人間だから!」

「いいだろう」


 大魔王は大剣を持ち上げ、ティアに放り投げた。


「わっ。ちょっと! これ別の意味で重いでしょ! 振れないよ!?」


 受け取ってその重さにバランスを崩したティアの抗議。

 大魔王はそれに直接答えず、手のひらだけを向けた。


「あれ? 少しだけ軽くなった! まだ重いけど!」

「重いだろうが適応するがいい。女だから不可能か?」

「あ、もしかしてバカにしてる? できますよーだ!」


 若干その重さでフラフラしながらも、ティアは大剣を両手で一度持ち上げた。

 大魔王がやっていたように、体の前で床に立てるようにして両手で持つ。大魔王との体の大きさの差のせいか、やたら大剣が大きく見えた。

 大魔王はそこまでを見届けると、アランに話しかけた。


「赤髪の人間よ」

「はい」

「余は一度しか魔法を見せることができない。それでもよいか」

「私は今まで一度見て覚えられなかった魔法はありません。どうかご安心を」


 大魔王は「そうか」と満足そうに言うと、もう一度全員の顔を見た。

 それぞれが、目で、返事をした。そして、その時を待った。


 大魔王は静かに詠唱した。


死霊還帰ターン・アンデッド


 大魔王の体、白骨の体が、光った。


 身に着けている防具ごと、同じ光に包まれていく。

 目に刺さるようなまぶしい光ではなかった。

 限りなく穏やかで、優しく輝く、白黄色の光だった。


「さらばだ――」


 大魔王の体が、光の塊となる。

 その塊から、光の泡が少しずつ空へと昇っていく。


 一同が見守るなか、大魔王は薄暮の光景に溶け、消滅していった。

 灰すらも残らず、完全に。


 デュラの目から、橙色に光る雫が一滴、落ちた。

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