第10話 人為も自然?

 この都市はレンガ造りの建物が多い。

 都市の主要な施設は、ほぼ全てがレンガ造りとなっている。

 今シドウとティアの目の前にある市庁舎も、その例に漏れなかった。


「ここが市庁舎か」


 最近新しく建て直されたそうで、外壁もまだ汚れていない。

 朝日を浴びた赤レンガは、毒々しいほど鮮やかに輝いていた。


「はー、市長は言うこと聞いてくれるかなあ。シドウ?」


 調査の結果、化粧水を造る工場が怪しいという結論に達した。

 場所は、シーサーペントが出現した場所から歩いて四半刻ほど上流側。

 調査はもっと上流からおこなっていたが、意外と近いところに原因があった。


 シドウは聞き取りをするまで知らなかったが、大魔王が討伐されて以来、この都市の貴婦人の間では美容への関心が高まっていたようである。

 この化粧水の工場も、その流れを受けるようなかたちで最近造られたものだという。

 大魔王が存命の頃は、物質的にも精神的にも、そのようなものを製造販売する余裕などなかった。

 今回の件は、大魔王討伐の副作用ともいうべきものかもしれない。


 なお、その工場が原因だと判断する決め手になったのは……。

 工場からの排水が流れ込む場所付近のよどみに、魚の死骸が浮いていたこと。

 そして工場の排水口から採取した水から、ほのかなニンニク臭がしたこと。

 その二点である。


 シーサーペント側からの要求は、汚染源をなんとかしてほしいというものだった。

 よって、工場の操業を停止してもらえれば解決するということになりそうだ。


「前に言ったとおり、俺は聞いてくれると思っているよ」

「根拠はあるの?」


「ティアはあのシーサーペントを殺したい?」

「殺したくないに決まってるでしょ」


「そう思うよね? 人間ってそのようにできていると思うんだ。周りから生き物が消える――そのことを寂しいと感じるように。だから、このまま行くとシーサーペントを消すことになるのであれば、そんなことにならないようにすると思う」




 * * *




 庁舎の執務室。

 シドウは戸惑っていた。


 市長からの回答が、まったく予想できていなかったものだったからである。


「え? できない……んですか?」


「そうだ。調査結果は大変貴重な資料なので、保存はさせてもらう。ただし工場の操業停止は不可能だ」


 都市側はシーサーペントの要求に当然応えてくれる。シドウはそう思っていた。

 だが、立派な机に座っている白混じりの髪とヒゲの壮年男性――市長の回答は、『ノー』であった。


「だいたい、汚染は川や海にある無限の水で希釈されるので、問題ないはずではないか? まあ、排水口の近くにいた魚は運悪く死んだのかもしれないが」


 最初市長はそのように言っており、食物連鎖と生物濃縮について明らかに理解していないようだった。

 シドウは丁寧にその考え方が誤っていることを説明し、それについては納得してもらえた。しかしそれでも回答は変わらなかった。


「まだ、港のところでシーサーペントは待機しています。要求を呑めば引き上げていくはずです」

「言ったとおり、それはできない」

「……。シーサーペント側は譲歩するつもりがないようなのです。都市側が手を打たないのであれば〝実力行使〟に出るとハッキリ言っています」


 都市側が海竜を侮って、真剣に考えていないのではないか?

 そのような疑問も抱いたシドウは、〝実力行使〟という言葉を使い、再考を促したが――。


「それでもかまわぬ」


 市長は表情一つ変化させることなく、そう答えた。


「ということは……」

「そうだ。今度はシーサーペントの〝調査〟ではなく、〝討伐〟をおこなうことになる。自警団も総動員するが、冒険者ギルドにも討伐依頼を出すことになるだろう」


 当然のように〝討伐〟という言葉を口にした市長。シドウにとっては衝撃だった。


「そんな……。あの工場で作っているものは『それがないと死ぬ』というモノではないですよね?」


「ないと死ぬわけではない。だが貴婦人たちにとってはあると助かるものであるし、今、そしてこれからも、都市を支える産業の一つだ。モンスターの都合で工場閉鎖はありえん」

「……」


 ――まずい。予想しなかった流れになってしまった。

 シドウがさらに市長に食い下がろうとしたとき、


「あれはピヨピヨのおやだからこまらせちゃイヤ!」


 と、聞き覚えのある少女の声が後ろから聞こえた。

 二人で振り向くと、浜辺で会った子供たちが執務室の入口に立っていた。


「あれ? 君たちはあのときの……なんでここに?」

「ぜんぶパパにきいてきた」

「パパ?」


 意味が分からず、シドウは聞き返す。


「うん。わたしのパパ、じけいだんだから」


 ――ああ、なるほど。


 シドウはギルドだけでなく自警団の人たちに対しても、今何をしていてどのような状況なのか、逐一報告は入れていた。

 昨日の水の調査の結果も伝えていたし、今日の午前中に市庁舎に行くことも、そしてその用事の中身も伝えている。


「しちょうさま、このおにいさんとおねえさんのたのみをきいて」

「ピヨピヨのおやをたすけてあげて」

「おねがいします」


 子供たちは次々に懇願してくれたが、市長の反応は冷淡なものだった。


「君たち。ここは子供が来るところではない。いい子だから帰るんだ」


 子供たちはなおも詰め寄っていたが、すぐに職員がやってきて全員つまみ出された。

 再び静かになった執務室。

 市長の視線には、明らかに侮蔑の色が混ざっていた。


「うまく吹き込んだようだな。子供を利用するなど、それこそ最低の手法だ」

「吹き込んでない! そんな――」

「いや、ティア。いいんだ」


 ティアが言い返そうとしたが、シドウはそれを制した。

 もちろん、子供たちがこのタイミングでここに来たのは偶然であり、利用した事実などはない。だがそれはシドウにとって大きな問題ではないため、弁解はしなかった。


「あの。自分の師匠は学者なのですが、『人間も自然界の生き物だから、人間の活動も自然の一部だ』と言っていました。だから、人間側が産業を優先して『シーサーペントを討伐する』という結論を出したとしても、それは決して自然の理からは外れるものではないと思います。ただ、この都市の人間は本心からそうしたいと思っているのでしょうか」


「……」


「自分だって、決してこの都市の方針に逆らいたいわけではないんです。でも、討伐が本当に人間側のやりたいことなのかどうか。それが疑問で……。たとえば市長、あなただって、あのシーサーペントを殺したいと思っているわけではないわけですよね?」


「私個人としては、殺したいと思ったことはない」

「市民の皆さんに聞いても、ほとんどの人がそう答えるのでは?」


 まだシーサーペントが都市に被害を出したわけではないし、そもそもシーサーペントは人間を能動的に襲うことはない生物。畏怖の対象ではあっても、嫌悪や憎悪の対象ではないはず。

 そんな切り口でシドウは再考を求めたが――。


「それについても、君の言うとおりだろうな」


 やはり、同意はしながらも、譲る気配を見せなかった。


「市長も、市民も、誰も殺したいと思っていない。なのに討伐することになるんですか……」

「そういうものだ。人と都市は同じではない」

「すみません。よくわかりません……」


「君はまだ若いから、わからないだろうな」

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