第8話 シーサーペントの要望

 到着翌日の朝。

 冒険者ギルドに向けて、二人は歩いていた。

 シドウは購入していたイストポートの地図を広げながらである。


「ねえ。シドウはこの町って初めてなの? わたしは初めてだけど」


 あまり沈黙が好きではないのか、ティアが質問をぶつけてくる。


「俺も初めてだよ」

「へー。冒険者になる前は勉強ばかりしていて、ペザルの町からは出てなかったとか?」


「いや? 外に出ることのほうが多かったよ。師匠の現地での研究活動……地理学では『巡検』という言い方をするんだけど、その手伝いで色々なところに行った。

 ただ、大陸の南側ばかりだったかな。冒険者になってからは、あえて行ったことがないところを回っている感じ」


 母親に言われたこと。それは、「自然のことを勉強し、その上で世界を巡れ」ということだった。

 その真意は不明だが、世界を巡れということは、今まで行ったことがないところを中心に回ったほうがよいのは間違いなさそうだと、シドウは考えていた。


 引き続き、街中を歩く。


 この都市は活気がある。老若男女・貴賎都鄙、とにかくさまざまな人とすれ違う。

 そのため、地図を見ながら歩いていても、常に誰かとぶつからないよう気を配る必要がある。


 そんな中、ときおりティアから送られてきていた好奇の視線を感じ、訝しく思ったシドウは、

「俺に何か気になるところでもあるの」

 と聞いてみた。


「シドウって、地図の見方、変わってるよね」

「そんなに変わっているかな」

「うん。さっきから見てると、地図を全然握り変えないじゃない。普通、地図って進行方向を上に向けて見るもんじゃないの?」


「ああ、そういうことか。俺も最初そうしてたけど、『地理学を勉強するなら直しなさい』って師匠に注意されたんだ。常に北を上に向けたまま歩けるようにならないと破門だって言われた」


「えー? じゃあわたし破門じゃん!」

「その前に入門してないよね」


 ティアは突っ込みにもめげず、

「貸して。練習する!」

 と言って、シドウから地図を奪った。


「個人的にはどう使おうがかまわないと思うけど? 俺は言われたから直しただけだし」

「だって、なんか学生に負けたみたいで悔しいじゃないの」

「よくわからないよ」

「わかれー」

「……」




 * * *




 この都市の建物はレンガ造りが多い。冒険者ギルドも、やや色あせた赤レンガの建物だった。

 大きな都市ということもあり、チェスターの町のそれと比較すると、二倍以上の大きさがあるように見える。


 中に入ると、冒険者の溜まり場になっているホールは、待合室というよりも本格的な酒場という感じだった。

 まだ朝であるにもかかわらず、二、三十人はいる。


 シドウとティアは、さっそく掲示板に貼られている依頼を確認した。

 そして、上級冒険者以上を対象とした、妙な依頼を見つけた。


「あの、貼られていたこの依頼なんですが」


 受付に立っていた体格のよい壮年男性に聞く。


「ああ、それか。どうもここ最近、港にシーサーペントが入り込んでくることがあってな」

「えっ⁉︎」


 シドウは驚きの声をあげてしまった。


「被害は出ているのですか?」

「まだ実害は出てない。最初は水面から頭を出して、そのまま少し川岸を見つめているだけだったんだが……。だんだん居座る時間が長くなってきてるんだよな。

 昨日なんかは岸にいた人間に寄ってきて、何か言ってたみてえでな。不気味すぎっつーことで、商会から調査の依頼が出ている」


 昨日といえば、シドウとティアは川岸を歩いている。

 そのときには目撃していない。たまたまタイミングが合わなかったか。


「なんて言っているかまでは、わからなかったんですね?」

「ああ。旧大魔王の軍が使っていた言葉かもしれねえ、とは言われてるが」


 かなり特殊案件ということで、受付の男性もやや困惑気味のようだ。


「この都市に言葉がわかる冒険者がいればぁいいんだが……。大魔王を倒したという勇者パーティのメンバーは、全員大魔王の軍の言葉がわかったらしい。今だって、少しわかる程度の人なら全然いねえってわけでもないと思うんだがなあ」


「……もしも、このまま調査が進まなかったら?」

「その場合は、討伐の依頼が出るだろうな」

「……!」


 二人は昨日、シーサーペントの子供を見ている。そして地元の子供たちと戯れる様子も見ている。

 そんな事情もあり、他人事とは思えなかった。


「あの。俺、言葉は少しわかりますので」


 シドウはそう伝え、この依頼を受けることにした。

 受付からは「二人だけのパーティでは万一のときに危険だぞ」と返されたが、「大丈夫」と答え、ギルドを後にした。


 外に出ると、すぐにティアが思うところをぶつけてくる。


「シドウ、どう思う? そのシーサーペント、わたしはピヨピヨの親だと思うんだけど」

「シーサーペントは極端に個体数が少ないから、その可能性は高いだろうね。でも、港の中にまで入ってくるなんて、普通はないはずなのに」


 シーサーペントは浜を利用することはあっても、港の中に入ってくることなどは絶対にない生物である。

 高い知能を持っているため、人間の産業や生活の基盤になっている場所を理解し、そこまでは入り込んでこないのである。


「とりあえず、会ってみようか」


 何か大きな問題が起きているのではないか? シドウは嫌な予感がしていた。




 * * *




 前日にシドウとティアが見かけた武装集団は、どうやらシーサーペントを監視していたらしい。

 いつもだいたい同じ場所に現れるそうなので、自警団が交代で見張りをしているとのことだった。


 この日も、二人が到着したときは十名以上の自警団がいた。

 挨拶をして事情を話し、水際ギリギリのところで座り込んで見張ることにした。


「そういえば。シドウってモンスターの言葉、わかるんだ?」

「いちおう。大魔王がいたころに使われていた共用語であれば」


 モンスターは、それぞれの種族がそれぞれのコミュニケーション手段を持っている。言語を持っている種族もあったが、種族を超えた使われ方は当然していない。

 そのため、かつての大魔王は、自種族である人型魔族の言葉を魔王軍の共用語にしていた。


 シーサーペントは大魔王との協力関係はなかったが、知的なモンスターである上、非常に長命である。その言葉が理解できたとしても、決して不思議ではない。


「へー、そのへんはさすがドラゴンの子供! でも、『この街を滅ぼすために来た』とか言われたらどうするの?」

「……さすがにそれはないと思うけど」




 監視については長期戦も覚悟していた二人だったが――。


「シドウ! 出たよ!」

「早いな」


 船着き場に二人で座っていると、ザバァという音ともに、対象はあっさりと姿を現した。


 ドラゴンを思わせるような、二本の角を持った頭部。がっしりとしたヒレ状の前足。蛇の腹をそのまま大きくしたような腹板。

 紛れもない成体のシーサーペントだ。


 全身が水の上に出ているわけではないが、係留されている漁船や、岸のリフトが小さく見えてしまうほど大きい。

 一階建ての倉庫よりも高さがある。


 たまたま通っていた船たちが、慌てて舵を切って避難してゆく。

 シーサーペントはそれらに一瞥もくれず、川岸で立ち上がったシドウとティアのほうに近づいてきた。

 そしてそのまま少しの間だけ二人を眺めていたが、


「……人間。言葉、わかるか」


 と低く、しかし囁くようにつぶやいた。

 シドウにはシーサーペントの使っている言葉が理解できた。

 流暢ではないが、やはり大魔王の軍の公用語だった。


「はい、わかります」


 シドウは返事をする。

 ティアはもちろん公用語を知らないため、黙ったまま双方を見つめている。


「やっと、わかる人間、また来た」

「ええと。何かこの街の人間に言いたいことがあるのですか?」

「汚れた、人間のせい。このままでは、我々、死ぬ。聞いた」

「え……」


 片言のようなブツ切りの喋り。シドウはそれを脳内で文へと紡いでいく。


「水が汚れた――そういうことですか」

「そうだ」

「人間のせい、というのは誰から聞いたんです?」

「人間から」

「……!」


 ――人間? どういうことだろう。

 公用語を知っている何者かが、シーサーペントに何か言ったのだろうか。


「それは、誰なんですか」


 シドウは混乱し、おかしな返し方をしてしまった。

 誰なんですか? と聞かれても、人間とはかけ離れた生物であるシーサーペントが答えられるはずがない。


「わからない。でも、浜の水、汚れている」

「そうですか……。港に来ていたのは、それを人間に言いに来たと?」


 港へ入り込んできた動機を聞くと、シーサーペントは「そうだ」と答えた。


「シーサーペントが子育てで浜を使うというのは知っていますので、とても勝手な提案おするようで心苦しいのですが……。水の汚れの問題が解決するまでここの浜は使わず、他の安全な海へと行ってもらうことはできないのですか?」


「できない」

「理由を聞いてもいいですか?」


 シドウには「できない」という答えも予想できたし、そしてこれから返ってくる“理由”についても、なんとなく予想はできていた。

 だが、それでも念のために聞いた。


「我々、一族は、人間の、ずっと前から、この海、この浜、使っている」


 ――やはり。


 きちんとプライドを持っているモンスターであることが、今のやりとりだけでもわかった。

 人間側の都合で退くなどありえない――そういうことなのだ。


 そして、シドウはそれが当たり前であるとも感じた。

 人間だって、大魔王に「言うことを聞け」と言われて、素直に「わかりました」とはなっていない。大陸中の人間の思いを背負った勇者が選出され、大魔王を討伐し、自由が奪われることを自らの力で防いだ。

 このシーサーペントの主張もそれと同じで、生物としては当然の対応だろう。


 ――しかし困った。どう返事しようか……。


 シドウが考えていると、シーサーペントはさらに付け加えてきた。


「汚す、やめなければ、この街、滅ぼす」

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