第43話

 海には潮の流れがある。近海の潮の流れは、把握している。どこに漂流物が流れ着きやすいのかも。


 ユヴィナ港からわずかに南下した岬。目指すはそこだ。


 船の墓場とでも呼ぶべきだろうか。そこには、ダツの被害に遭った船や荷物、あるいは船員の遺体がよく流れ着くのだ。


 馬を借りる必要もないくらいの近場だ。だからこれは、ちょっと出かけるだけだ。いつものお忍びでの城下町探索となんら変わらないのだ。そこにたまたま、靴があったとして、トーマスと鉢合わせしたとして、いったい誰に責任があるというのか。


(いや、さすがに無理があるなあ。もっと良い言い訳を考えておかなくては)


 王子は怒られるだろうが、ダグラスにその責任を負わせないような言い訳は必要だ。これでダグラスが罰せられたら、罪悪感で死にたくなる。


(その前に、下手をしたらダグラスに殺されそうだな)


 鬼の形相で叱るダグラスが目に浮かぶ。背筋が少々寒くなった。

 ダグラスは王子の教育係だった。戦闘はもちろん、政治も勉学もダグラスに教わった。その教育方針は当然のようにスパルタで、何度も拳骨を喰らった覚えがある。


 今でもダグラスは、王子が何かやらかすたびに、雷のような怒声を落とす。本心でいうとダグラスは、国王である実の父よりもずっと、父親に近い存在だった。きっと今回のことは、それはそれは叱られる。かつてないほど大きな雷が落ちることだろう。それを思うと、恐怖で身がすくむ。


(でも、行かないと)


 万一、トーマスが逃げたら。万一、靴が他国の手に渡ったら。


 もしかしたらトーマスはすでに捕らえられているかもしれない。靴は兵の誰かが確保しているかもしれない。でも、そうじゃない可能性がほんの少しでもあったから、今王子は、王子にできることをするしかないのだ。


 それが、非力な王子である自分にできる、せめてもの役目だ。


 獣道を掻き分けて進む。船の墓場は当然のように、街から行きやすいような場所にはない。道など整備されているはずもなく、道と呼べるかも怪しいような草むらを通るほかないのだ。


「ちゅう」


 ポケットからねずみが二匹、顔を出した。そういえば、ポケットに入れたままだった。あまりに大人しくしていたから、すっかり忘れていた。


「ごめんな、連れてきちゃって」

「ちゅう」

「でもまあ、誰もいない確率の方がきっと高いから、心配するな」

「ちゅう」

「ははは。やっぱり何を言ってるのか、わかんないや」


 船の墓場は、湾曲した砂浜にあった。大きな船などは見当たらないが、木片や海藻やらが打ち上げられて、お世辞にも綺麗とは言い難い。山の中を出てすぐのところにあったから、山道を抜けると唐突に視界が開ける。


 王子は辺りを見回した。人が倒れているようなことはなかった。


 また転がっているのは木片ばかりで、靴は見当たらない。袋や箱の類も、なさそうだ。王子は拍子抜けしたような、ほっとしたような、そんな気持ちで緊張を解いた。


(……戻ろう。きっとダグラスが血眼で探してる)


 ユヴィナ港には、縛り上げられたトーマスと回収されたガラスの靴が待っているはずだ。王子は踵を返し戻ろうとして、「ん?」とつぶやく。何かに気づいて足を止めた。


 砂浜に、何かを引きずったような跡がある。


 王子はその跡のところまで歩いた。砂浜はとても歩き難い。靴がどんどん埋もれていくのだ。

 自分の足跡を振り返り、そして先ほど見つけた跡の正体に気づいた。


(足跡だ!)


 引きずったように見えたのは、王子と同様に靴が砂浜に埋もれたからだろう。足跡は真っ直ぐに山の方に伸びている。そして足跡は、海から山への一方のみだ。


 トーマスかもしれない。


 ぞくぞくと背筋を何かが這い上がる。王子はゆっくりと足跡をたどって、森の奥へと消えていった。

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