第七章・囚われの姫君~ ICHIJI‘S view➄~
「…………」
男が何の感慨もこめず、放り投げるようにして言い捨てた言葉に。
ただでさえ静まり返った場の空気がピキリと凍り付いた。
――アルルの暗殺。
その発言だけでも衝撃的だというのに、それを単身、しかも衆目の目も周りに侍っている護衛の守りもある中で堂々と正面から殴りこんできたその神経に、誰もが声を失っていた。
「何を驚くことがあるのだろう」
平静なのは当人だけ。
「我々の怨敵であるラクロナ帝国から協力を請われた討伐連合軍。その大隊を四つに割った内の一片たる西方部隊にて司令官を務めるアルル=シルヴァリナ=ラ・ウール。……それだけで俺の『正義』を阻む『悪』として革命を執行するに十分値する存在だ」
……なんだ、この男は?
縛られていることも気にかけず。
周りを敵で囲まれていることも斟酌せず。
あくまで堂々と、あくまで初志を貫徹し。
一つまみの迷いも疑問も含まない朗々とした声で。
平坦過ぎる瞳の奥に、爛々と輝く何かを秘めた眼差しを真っすぐに向けたまま。
自らの掲げる『正義』でもって『悪』であるアルルを殺すと言い放つ。
……本当に、なんなんだ、コイツは?
帝国軍第一中央近衛部隊隊長、デレク・カッサンドラ大佐。
その肩書自体はもうとっくに剥奪されている過去のものだ。
しかし、全身隙間なく、十全以上に鍛えられた肉体は紛れもなく軍人のそれであるし。
通りの良い声、溢れ出る自信、滲み出るカリスマ性などは、長く責任ある立場に身を置き、己の背中一つで隊をまとめ上げてきた者が纏うことのできるそれだった。
――平民層、それも由緒正しい中流階級の出身。
祖国の更なる繁栄の為にという若者にありがちな、けれど平穏が続く現世においては少し大仰で時代錯誤で夢見がちな大志を抱いて帝国軍に入隊。
特出して身体能力に優れていたわけでも、学問や魔術の適正が他者より秀でていたわけでもない、ごくごく有り触れた一兵卒。
けれど度々起こる国同士の小競り合い、賊や魔獣・魔物の討伐などで数々の功績を上げ続けて気が付けば高い地位を得ていた生粋の成り上がり組。
年齢は38。
両親は既に他界。
親類なし。
妻子なし。
三年前に総督府の置かれる『
逃亡の際に捕縛・追跡にあたった者50名以上を容赦なく手にかけた後行方をくらます。
数か月後、高級将校の開く小さな晩餐会を襲撃。
集まった軍のお偉方や貴族たち、その家族や使用人を含む約40名を皆殺しにした挙句、『革命の七人』として犯行声明を発表。
以後、組織は勢力を拡大。
大陸各地で『革命』という大義の下、大なり小なりテロ行為を繰り返し続ける。
見つけ次第、即時抹殺を義務とされた特S級指名手配犯。
帝国ならびに大陸民すべての平和を脅かす、絶対悪の存在である――。
男から再び感じた薄気味の悪さから、俺は事前に見せてもらった相手の資料を改めて頭の中で参照してみた。
しかし、やはりと言うべきか。
その字面だけの情報とこうして相対した男との印象が随分とかけ離れている。
事実、悪党なのだろう。
私怨なのか事故なのか、理由や経緯はどうあれ上司を殺し、捕縛に追いかけてきた同僚たちを多数殺し、将校の邸宅に居合わせた一般人までをも殺し、今日に至ってもまだ殺しに明け暮れている者を大悪党と呼ぶ以外なにがある。
よほど荒んだ心と、その心からくる禍々しい雰囲気を纏った男なのだと思っていた。
あるいは生まれ持った殺人性に身を任せた狂人みたいな危うさがあるんだろうとも思っていた。
自らの悪行にどこか苛まれて苦悶しているところもあるのではないか。
それを過ぎてすっかり居直り狂気に染まった笑みでも浮かべていたりするのではないか。
更にはその段階さえ過ぎ……もう何者でもなくなっているのではないか。
容易く想像ができた。
かつて俺が見てきた人間……それこそ革命家から復讐者から殺人鬼から賞金稼ぎから戦闘狂いから、同じ人を殺す人間であっても色々な呼び名をされる者を見てきた。
そして呼び名はどうであれ、立場はどうであれ、彼らは例外なく感情から殺しをした。
それは憤怒であり、快楽であり、悲しみであり、喜びであった。
それは感情であり、欲望であり、生まれ持った本質であった。
逃れたくとも逃れられなかった者もいたし、進んでその道をひた走る者もいた。
己の悲しみに身も心も引き裂かれそうになりながら引き金を引く者。
誰かの悲しむ顔に嬉々として銃弾を叩き込む者。
本当に、色々。
人殺しという一つの行いに、最後には『ヒトデナシ』というたった一言に集約される殺人者へと至るまでには多種多様の経緯があった。
「…………」
……では、この目の前にいる男はどこに当てはまる?
……思考
……照合
…………
……該当なし
……再検索
…………
…………
……該当……なし
そう、デレク・カッサンドラはどこにも分類されない。
こんな風に人殺しをする人間を、俺は見たことがない。
憤怒でも快楽でも悲哀でも愉悦でもない。
感情でも欲望でも生まれ持った本質でもない。
どこかのバケモノのように機械的に無感情ではない。
どこかのヒトデナシの極みのように自動的に人を殺めているわけでもない。
……それは、ただの正義感だった。
『正義』としてただ『悪』を駆逐する、それのみを信条にただただ義務的に。
喜びも悲しみもない、嫌悪も罪悪もない。
仕事と呼ぶことですらまだ情緒味がある、単なる『正義』の義務として『悪』を断罪しているだけに過ぎないのだ。
……それが証拠に……。
「さすがにそろそろ窮屈だな」
バキィィィィィンンンン!!
デレク・カッサンドラを捕えていた鎖が、少し体に力を入れただけで呆気なく崩れ、霧散する。
「……やはり≪戒めの鎖≫では縛することは叶わんか」
「戒め?それがこの≪
「罪そのものを縛るのではなく、その者が胸中に抱く罪悪感の多少によって締め付けが強まる鎖じゃ」
「そうか、罪人の捕縛には実に合理的だ」
「そこから反省するかどうかは置いておいて、どんな極悪人でも少なからず心のどこかに己が罪を意識していたりするものじゃ。むしろ罪を意識しているからこそその禁忌を犯すことに喜びを感じる者が多いくらいじゃろ?それを逆手にとった術法だったわけなのじゃが……なんとまぁ、こうまで容易く逃れるとは。罪科など知らぬ無垢な幼子か獣くらいじゃろ、普通」
「俺が何を戒めなければならないというのだ」
すっくと立ち上がりながら、コキコキと首を鳴らす男。
「何の罪も咎もない。後ろめたいことなど一つもない。俺は俺の信じる『正義』の為に生きている。その前に立ちはだかる者すべてが『悪』。むしろこちらが断罪し、己の醜悪さを戒めてやっている立場なのだからな」
「……救えんな、こやつ」
「醜き魂に救済をもたらすこの身に最初から救いなどいらん」
「……っち……気持ちわりぃ」
ゼノ君が舌打ちをしながら漏らした言葉は、そのまま俺の気持ちを代弁している。
ああ、そうだ。
さきほどから感じるこの居心地の悪さの本質。
気持ちが悪い。
ただ気持ちが悪いのだ。
どうなっているんだ、この男の精神構造は。
正義や悪だなんてものは、見方によっていくらでも立場が入れ替わる。
片方が正義を振りかざせばもう片方からは
客が品物の質が気に入らないとクレームをつける。
店側としては精一杯に消費者のことを考えた商品を提供している。
これもまた正義と悪だ。
代価に見合わないから返品しろというのは客側の正義だ。
不良品ならいざ知らず、そもそも購入する段階で納得したから代金を払ったのではないかというのは店側の正義だ。
どちらも己の正論を論じる。
どちらも己の正義を信じる。
そしてぶつかる。
それぞれの言い分をぶつけ合う。
時には殴り合いだってするかもしれない。
結局は第三者が介入する裁判沙汰にまで発展するかもしれない。
どちらかの正義が屈し、どちらかが泣きをみる結果となるかもしれない。
けれど、そんなものだろう。
どこかで互いに妥協点を見つけられなくては争いなどいつまでも終わらない。
その時間、その費用、その熱量の消費は単なる浪費なのだと、いつか気が付かなければならない。
そんな風にして、世の争いは始まって終わって、また始まっていくんだろう。
……では、この例に男の主張を当てはめよう。
配役は客側でも店側でもどちらでもいい。
迷惑なクレーマーでも、頑固な店主でもなんでもいい。
何故ならもう、それ以前の問題だ。
自分の正義に反するものはその場で切り捨て、はい終わり。
商品が気にくわないから店主を殺して終わり。
客がうるさいから殺して終わり。
なんの発展もない。
なんの妥協点を探る余地もない。
リリーの≪戒めの鎖≫が通じなかったのがよくわかる。
彼女が無垢な幼子か獣というたとえを挙げたのがよくわかる。
これではまるで、本当に子供。
自己を疑わない精神は大事だと思うけれど、こいつのこれはあまりに行き過ぎで、過激過ぎ。
端的に表現してしまえば……ただのワガママじゃないか。
「……やれやれ、なんとワガママなことか」
そう俺の達した答えと同じ言葉を発したのは倒れ伏していたギャレッツ。
「よいしょっと……いやはや、盛大にやられてしまったわ」
自分で言っている通り盛大に床へと叩きつけられ、せっかくの礼装もあちこちと切り裂かれて血を滲ませながら、ギャレッツはのっそりと立ち上がる。
「加減ができずに申し訳なかった、ラ・ウール近衛騎士団騎士団長ギャレッツ・ホフバウワー。まさかこれほど早々に風の加護に頼る羽目になるとは予想していなかった」
「あれが戦場において数々の不敗伝説を築き上げた名高きカッサンドラ大佐の≪風の鎧≫か。噂に違わぬ厚い守りであるな」
「なに、非才の我が身ゆえそれ一点のみしか鍛えることが叶わなかっただけだ」
「ふむ。吾輩も似たようなものであるから非常に共感できる部分である。できることならば、貴殿がまだ軍属であった頃に出会い、武芸に志にと色々ご指導ご鞭撻を賜りたかった」
「今からでも遅くはない。それどころか軍に在籍していた時よりも俺の技、志はより研ぎ澄まされている。どうだ?俺の元に来ないか?貴様なら幹部七人の一席を譲ってやってもいい」
「戯言を抜かすな逆賊が」
場違いに勧誘を始めたデレク・カッサンドラの誘いを、ギャレッツがピシャリと両断する。
日頃から、誰に対してもだいたい慇懃、おおむね大らかな態度で接する彼が、ここまで強く、突き放したような口調になるのを初めてみた。
「我が国の第一王女の面前にありながらなんだその不敬な態度は。軍属を退いてから礼儀すらも忘れたか。あまつさえ暗殺だと?正義だと?革命だと?野ネズミごときがのたまうな。貴様などアルル姫殿下の視界に入ることさえ汚らわしい。とくと
「忠義心も立派立派。ますます、こんなカビくさい古国に縛り付けておくのが惜しい人材だ」
ビリビリと空気さえ震わす、ギャレッツの威喝。
それを真正面から受けてもなお、デレク・カッサンドラは調子を崩さない。
「……一つ……」
騎士団長に続き、今度は副団長が発言する。
「率直にお尋ねします」
「なんだ、アンナベル=ベルベット副団長?」
「ラ・ウール国王陛下の身柄を拘束したというのはあなた方で間違いないですね?」
「ああ、その通り。ラクロナ帝国の本陣『
「……傷一つ、つけてはいませんよね?」
「俺の知る限りはな。丁重に扱えと監視役の部下には命じているが、如何せんソイツらも人の子。たとえば脱出を試みようと反撃されたのなら自らの防衛の為に頬の一つ二つは張り倒しているかもしれんし、反抗的な態度に苛立ちを覚えたのなら首の一つ二つ撥ね飛ばしているかもしれん」
「……解放の条件は?」
「冷静だな、副団長。自らが仕える国王だけにはとどまらず、皇帝まで拘束していること。それが要するに『
「……条件は?」
「この程度の煽りでは釣られんか。……だが、条件などないさ」
「ふざけないで下さい」
「ふざけてなどいない。ラ・ウール国王には皇帝陛下もろとも革命の朝を迎えたあかつきに『正義』を執行し、新たな時代の礎となっていただく予定だ
「……狂っている」
「狂ってもいない。俺はいつだって正気、いつだって『正義』だ」
ふざけている。
「大人しく投降しろ討伐軍。貴様らは最初から詰んでいる」
狂っている。
「『革命の七人』の構成員は5千。協力関係にあるドラゴノア教の僧兵約3千。そしてラクロナ帝国軍総勢5万人のほとんどは既に我らの傀儡。3千にも満たない討伐軍と比べて兵量の数だけでこれほどの差がある。おまけに皇帝以下特上の人質がこちら側にはある。……この状況を覆すことなどどれだけの策を講じたところで不可能。たとえ俺一人をここで排除してみたところで、動き出した……いいや、貴様らがのうのうと生きていたその裏で脈々と動き続けていた大きな流れはもはや変えようもない」
「っつ……」
「ぐっ……」
アンナ、そしてギャレッツが苦々しく唇を噛む。
いや、彼らだけではない。
俺も、ゼノ君も、ヒイラギも、そしてあのリリーでさえも。
何も言い返せず、何の打開策も閃けず。
悔しさと歯がゆさで口をつぐむしかない。
……完敗だ。
開幕をするそれ以前の問題。
こちらが駒を動かす前に、チェックメイトがかけられてしまった。
「三年だ」
デレク・カッサンドラは、そんな完勝目前にしても変わらぬ平坦さを維持する。
「貴様らにとっては青天の霹靂ともいえるほど突然だっただろう。ついほんの数十分前までは、俺たちを下し、大陸に平穏をもたらすべく闘志を燃やしていたのだろう……」
ああ、やっぱり気持ち悪い。
「だがな、俺にとっては三年だ。あの我欲に狂った悪辣な蛆虫を殺し、野に下り、革命を掲げてからの三年。俺は常にそれだけを考え生きてきた。朝起きても、夜眠っても、人を殺しても、同胞を殺されても俺はただその悲願だけを目指し、生きてきた……」
おかしい、ふざけてる、狂ってる。
「一切の妥協はない。一片の怠慢も驕りもない。愚直に、真剣に、俺の『正義』を貫き通してきた。黙々と計画をたてた。着々と準備を整えた。すべては予定調和、すべては当然なる必然。……今更貴様らごときの信念に砕かれるほど、ヤワなものではないのだよ」
狂人の戯言。
イカレた男のイカレた理想。
どうしたってわかり合えない。
どうしたって理解できない。
俺も人のことは言えないヒトデナシだけれど。
こいつのそれもまた種類の違うヒトデナシ。
妄執に憑かれ、何か過去に囚われ、他には何も見えなくなっているところはまるで同じ。
だけど、こいつと俺とは違う。まるで違う。
俺はただうつむき、自分の内側へ内側へと引きこもり自分自身を壊したけれど。
こいつは外に外に。
ただ真っすぐに外側へと向けて己の想いを伸ばし、他者を、世界を壊していく。
相容れない。
わからない。
似ているようでまるで違う。
本当に、本当に、ただただ……。
「……気持ち悪い……」
「……ええ、まったく……」
凛となる、きれいな声。
「その通りですわ、イチジ様」
まだ戦ってもいないのに立ち込める敗戦ムード。
「黙って聞いていれば、人が色んなショックでちょっとだけ……ホントにちょこっとだけへこんでいれば、まぁまぁまぁまぁ、ツラツラとお喋りですこと。殿方はもう少し寡黙である方が男ぶりが上がりましてよ。わたくしのナイト様のように」
「……ほう……」
もはや誰もが諦めていた。
もはや誰一人、抗おうとはしなかった。
そんな、重々しい空気の中……。
「いいですか、デレク・カッサンドラ?一つご忠告しておきます。物語において、こういう時にペチャクチャと饒舌になってアレコレと得意げに種明かしをする者なんて……」
我らが姫君だけは変わらずそのキンキラとした心地の良い声と。
「紛れもない『悪』。それも三下の小物だってそう相場が決まっているんですのよ」
強く、正しく、眩しい美しさを失ってはいなかった。
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