3-2 第二宮殿にて ラティーク愛おしさの芽を育てる
☆★☆
「話は分かった。まずは親友のほうから行こう」
第一宮殿、ハレム開始より数時間前。ラティークを主とする第二宮殿。話が話なので、ラティークはハレムの皆様にご遠慮願い、アイラだけを呼び寄せたところだった。
またしっかり勘違いした表情をしているアイラの疑いの視線がチクチク刺さる。
――まあ、いい。約束は果たそう。危なっかしくて眼を離せないばかりに、〝協力する〟の一言を口にしたのだから。
「では、親友の特徴を教えてくれるか、アイラ」
アイラははっと表情を変え、本題を思い出してあたふたしたあと、む、と胸を張った。余所事を仕舞い込んだ様子だ。出逢った時から思っていたが、至極顔に出やすい。
「背が高くて、水色の綺麗な髪をしてて、目が大きいの。しなやかな感じ。あ、胸も結構ある。喋りに特徴があって、かっこいい、かな」
好みではない。そもそも、女性なら、どんな格好していても可愛いものだろ。
「残念。僕は肉っぽい女性より、細身の、眼が吊り上がってる勝ち気な娘がいい。一度でイイから、思い切りおシリを」
苦虫を噛み潰した顔のアイラとばっちり視線があって、ラティークは説明を止めた。
(今、気付いた。アイラはまさに僕の好みのど真ん中!)
勝ち気な性格も面白い上、脆いところも先日知った。奴隷として潜り込んだ事実も、かっぱらいの事実も、ラティークのツボに入った。何をしでかすのか分からないところがいい。葡萄に齧り付きながら、ラティークはにやりとした。
(なるほど。上玉、ね。奴隷商人もなかなかいい眼を持っているな)
「ともかく、僕のハレムの娘の情報を集めさせた。アリザム」
アリザムが無言でパピルス紙を手渡し、ラティークは膝の上で、捲った。アリザムが説明を被せてきた。
「レシュという名の娘は第二宮殿にはいないと思われます。本殿の王の奴隷を探りましたが、こちらにもおりませんでした」
「となると、第一宮殿の兄貴のほうだ。アリザム、どう思う」
「どうもこうも。さて、あちらの宮殿に、私は関与できませんので。事務官に聞けば良いかと思うのですが、まず首を縦には振らないでしょうね」
各宮殿の主同士の連絡はいつしか事務官が行う仕来りだ。第二宮殿はアリザムに一任していた。第一宮殿の事務官の顔を思い出そうにも思い出せない。眉を顰めた前で、アイラがアリザムに向いた。
「兄弟でしょ。よそよそしい」
アイラに忽ちアリザムの目が鋭く向けられた。
「なんだ、奴隷の分際で。ラティーク樣。ご趣味の悪さは知っていますが、ますます悪くなったのではないですか? きちんと栄養を取らず、果物。それでは頭に栄養も」
「あ、あたしを趣味悪いって言ってるの?」
聞き捨てならん。ラティークは靜かに言い返した。
「おまえこそ何処を見ているんだ。この美しい部屋の何処をみて、趣味が悪いと」
「わたしは、部屋は元より、このニンフにイチャモンつけたのです」
博識かつ弁論の得意なアリザムの口には敵わない。早々に命令口調で終わらせた。
「僕の選んだ奴隷に文句つけるな。アリザム、第一宮殿のハレムはいつ行われるかを調べてくれ。アイラは兄貴の趣味とはほど遠いから手を出される可能性は低い。兄貴が黒髪、グラマラスのボンキュッボンで背が高いオンナが好きな事情は把握している」
アイラの目がじとっとなった。ラティークの言葉のどこかが気に障ったらしい。アイラとの口喧嘩に厭きたアリザムが下がるなり、ラティークはアイラに手を伸ばした。
「頬、膨らませて。勝ち気なきみらしくないな」
膨れた頬に指を這わせると、アイラは黒檀の瞳をチロと上げた。しっかりと相手を見る。熱射病で朦朧としていた出逢いの瞬間も、しっかりとラティークを見ていた。
「うにゅ」
くすぐったそうに洩らす声はどうにもこうにも男心をくすぐってくる。
(面白い。王女だけあって、男経験はない様子。それはそれで奥ゆかしいが、性格は闊達だ。なのにこの感じやすさ。繊細なのか、強いのか。もう少し観察すべきか)
「ちょっと、もう! ハレムの話、聞かせて欲しいのに!」アイラは嫌がるように背中を向けた。残念。お遊びはここまでのようだ。
「兄貴のハレムは月に一度。妻候補が三百人もいる。更に徳妃と呼ばれる八人が妻の座を奪い合っている。兄貴は面白そうに見ているだけで、本気ではないようだが」
「魔法で引き留める貴方はどうなのよ」アイラの正論にラティークは押し黙った。
「お兄さんだって、精霊を利用しているかも知れないじゃない。それに、第一宮殿には皆が閉じ込められてる。ハレムなんかに参加してる場合じゃないよ」
「ハレムは国交の場だからね。表だって交渉できない相手と交渉する絶好の機会だから。裏取引と言えばいいか。国は綺麗事だけでは動かないものだ」
「スメラギの嘘つき」とアイラは頬を赤らめ、何度も頬を叩いて見せた。
「顔、真っ赤になっているが」聞いた途端、アイラの背中はますます丸くなった。
「ハレムはヨメ探しって聞いた……」
「それは大昔の話。勿論、現在も意図的ではあるけれど、王子の権限に任されてる。僕は適度に楽しみはするが、外交相手の中から嫁を決めるつもりはないな」
聞いた背中が、ほ、と緩く動いた。
寝そべったまま、果物に手を伸ばすと、アイラは真っ先に葡萄を持たせてくれた。
(そういえばいつぞやも果物を揃えて持ってきたな。僕の好みを分かっているのか)
「きみも、どうぞ。砂漠は喉が渇くから、産地から取り寄せているんだ」
一房をもいで差し出すと、アイラは嬉しそうに葡萄を受け取った。齧り付かず、小さな口に一つ一つ大切そうに葡萄の粒を運ぶ仕草は栗鼠のようで愛らしい。
部屋に、僅かな水音だけが響く中、ラティークは呟いた。
「兄の第一宮殿に関しては、僕は手を出せない。親父が目覚めない理由も分からないし、ハレムに男の僕は入れないんだ」
あまり聞かせたくない話だが、アイラも同じく、何か重いモノを背負っている風情。
(国のために敵国へ来た。素晴らしい度胸。同じ国を背負う者として尊敬するに値するよ、ヴィーリビア王女さま、だから、敬意を示して打ち明けよう)
加えてアイラは目的のためなら行動をさっさと起こす危険な王女。探り出される前に説明するが賢明だろう。ラティークは口を開いた。
「父は原因不明の昏睡状態に陥っている。数年間目覚めていない」
アイラは咄嗟に口を押さえた。「ご病気なの?」と丁寧口調でおずおずと訊いた。
ラティークは困り笑顔を浮かべ、口調を緩めた。
「病気、かどうかは分からないな。皆が噂しているよ。父は精霊との契約で成り立つこの異常な世界の、礎になったのではないかとね」
ラティークは眼を伏せた。
「父とは幼少に逢っただけでね。母と引き離されてから、父の顔は見ていない。宮殿内で家族が揃う必要もない。まして僕は第二王子。歴史を顧みれば、王位継承者にいつ殺されても不思議はない身分だよ」
アイラは無言だった。ぽそりと「聞いてごめんなさい」と呟いた。
「謝らなくていい。決して自分が不幸だと思いたくはない。言うべき話じゃなかった。親友と、秘宝? それから民を見つけたら、速やかに去ったほうがいい。聞いてくれてありがとう。こちらも、誠意を見せよう」
「ハレムの部屋にたくさんの女の人がいたけど、全部、お相手してるの?」
ぽそりとアイラは呟き、「いいの、今の、忘れて!」とまた背中を向けた。
――王女としての自尊心からか? それとも、ヤキモチ……なはずはないな。
アイラはどうやらラティークをどこかで疑っている。理由は出逢った時の魔法うんぬんのからかいだろう。悪乗りし過ぎた。それはそれで楽しいのだけど。
窓際のランプ。――シハーヴなら、ハレムに入れる。
「護衛をつけよう。ご主人様の命令だ。王女を死ぬ気で護れ。風の精霊」
「ありがとう。頑張ってみる」
ラティークはアイラを見やった。やはり、この王女は面白い。退屈で疲れ果てたラティークの心の何処かの傷に届きそうなほど。素直で、率直で潔くて愛おしい。
ラティークの砂漠の心に愛しさの芽がひょっこり顔を覗かせた瞬間だった。
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