社会派映画監督
「おいえらいことだぞ」所長室から戻った仙道主幹が血相を変えて監視班のデスクまでやってきた。
「また大事件なんですか」喜多が怪訝な顔で仙道を見た。
「ああ大事件だ。勇美監督を知ってるか」
「もちろん知ってますよ。勇美千三監督を知らない日本人がいますか?」喜多の目が輝いた。どうやらファンのようだった。
「次作は産廃がテーマだそうだよ」
「すごい」喜多は奇声を上げた。
「でも暴力団から襲撃を受けたばかりじゃないですか。懲りない人ですね」遠鐘が冷静に評した。
「勇美監督の映画なら全部観てるんです。襲撃事件の発端は『マルホの女』でした」喜多の興奮は醒めなかった。
「そんな映画知らん」伊刈が不機嫌そうに言った。
「ほんとですか。班長らしくないな。オホーツク海を舞台に密輸・密漁・密入国組織と海上保安庁が戦うドラマですよ。とにかくオホーツク海ってとんでもない無法地帯なんです。それを映画で暴いたんで外国のマフィアに襲撃されたんですよ」
「やったのはロシアのマフィアか? それとも北…」長嶋が最後のところで口ごもった。「誰がやったかはわからないんです。犯行声明なかったですから」
「冬山で死にたがる冒険家もいれば暗闇で死にたがる監督もいるってことか」伊刈が醒めたように言った。
「もしかして犬咬でロケっすか。それだと警備が大変だ」長嶋が警察官らしい発言をした。
「ロケじゃない。シルバーコード事件の記事を読んで現場を見てみたいというだけだ」
「本課で案内するんですよね」伊刈が言った。
「それが県警本部に先に依頼があってな、弥勒補佐が俺の名前を出したんで本課を通さず直接こっちに来るんだ」
「それ報告したら本課に恨まれますね。有名な監督ですからね。市長だって会いたいって言うでしょう」
「しょうがねえだろう。本人がこっちに来るってんだからよ。やっぱり現場主義なんだよ。組織の序列なんざどうでもいいんだろう」
「技監も班長も監督のことやっぱりよくご存知じゃないですか」監督本人に会えると知って喜多は満面の笑みだった。
勇美監督はマネージャーなどは連れずに一人で朝陽駅からタクシーで事務所にやってきた。テレビなどで見るよりもずっと柔和な紳士だった。それでも逆三角形のほっそりとした顔面の中央に大きく落ち窪んだ目に見据えられると身がすくむような威圧感を覚えた。奥山所長がちょうど本課で会議があって不在だったため、仙道を筆頭に監視班の四人全員で出迎えて所長室の応接に案内した。仙道はいきなり高名な監督の色紙をお土産にもらって得意満面だった。喜多が羨望の眼差しで一枚しかない色紙を見つめていた。
「あの勇美監督」喜多が進み出た。
「なんでしょうか」
「すいません、これにサインをいただけないでしょうか」喜多はマルホの女のパンフレットをおずおずと差し出した。
「おいおまえ仕事中だぞ」仙道が厳しい表情でたしなめた。
「かまわないですよ、これは僕の代表作ですからね」
「監督の映画は全部観ています」
「そうですか、それはありがとう。今日もお付き合いいただけるんですか」勇美はファンサービスの笑顔で喜多の差し出したパンフレットに軽々とサインペンを滑らせながら言った。
「ええもちろんです」
案内役はもともと仙道と伊刈の予定だったが、喜多があんまり行きたがるので伊刈が喜多に譲っていた。長嶋はもちろんボディガードとして同行する予定だった。
挨拶もそこそこに仙道と喜多は監督を案内して駐車場に降りた。長嶋は既にXトレールをスタンバイしていた。いつもはドロドロのボディだが入念に洗車したので見違えるようにピカピカだった。納車してまだ半年の車なのだから磨けば光るのだ。
仙道が最初に案内したのは、県庁が犬咬市の不法投棄を所管していた時代に検挙された森井町のビバリーヒルズグループの現場だった。現在は活動していないのでパトロール対象にもなっていなかったが、今なお犬咬市最大級の不法投棄現場の一つだった。Xトレールはビバリーの現場ではなく谷津を挟んで対岸にある森林公園に向かった。駐車場に降りた監督に仙道が長靴を勧めた。環境事務所だけではなく、どこの出先事務所にも会計検査用に長靴、雨傘、合羽が常備されている。めったに使うことはないので新品同様に保管されていてVIPの視察者にだけその長靴を流用するのだ。監督はスニーカーのままでいいと断って木陰の遊歩道をすたすたと歩き出した。
「足元に砂利の代わりに敷いてあるのは産廃の木くずなんです。まあ一種のリサイクルですな」仙道が説明した。
「そうですか」監督は足をとめてチップを珍しげに拾い上げた。チップは風雨でほどよい柔らかさになっていた。既に秋が深まりつつある季節だった。犬咬は気候が温暖で十二月初旬にならないと紅葉は本格化しないのだが、森林公園に植えられたさまざまな種類の樹木の中には寒冷な地域の記憶が残っているものもあって、木漏れ日のところどころが早くも黄や赤に染まっていた。地山のクヌギ林を残した公園を通り抜けて谷津に沿った崖に出た。
「これが全部不法投棄現場ですな」谷津を見渡しながら仙道は監督の目の前に掌をかざした。
「全部とはどれですか?」監督はどこを見ていいのかすぐにわからない様子だった。
「古い現場なので草が生えてわかりにくくなっていますが視野に収まるかぎり百八十度すべて不法投棄現場なんです。ざっと二キロくらいありますかな。深さは五十メートルくらいですかな」
「へえすさまじい規模ですね。どれくらいのボリュームがあるんですか」
「一つ一つの現場は大きいもので三十万トンから五十万トンくらいですかな。それが次々と連続していましてね、全部合わせますと二百万トンから三百万トンくらいはあるでしょうな。もしも一つの現場としてカウントしたなら全国最大の不法投棄現場ということになるでしょうな。このごろは白昼堂々こんな大きな現場を開く手口は減りましてね、だんだん小型で巧妙な手口が増えております。どちらかというと不法投棄は小規模化の傾向でしょうかな。昼間開いている捨て場はほとんどありませんな」
「不法投棄の巨大恐竜時代が終わって知能の高い夜行性の哺乳類の時代が来たということでしょうか」監督が当意即妙の喩えをした。
「まさにそのようなもので」
「想像していたよりも百倍も千倍も大きいです。不法投棄の現状がこれほどとはちょっと驚きましたね。これが全く許可のない現場とは信じられません。どうしてこんな状態になるまで放置されたのですか」
「なかなか一言では申せませんが逮捕されるのも最初から覚悟のうちでしてね。これだけの規模ですと利益は数億円いや数十億円でしょうから罰金を払ってもお釣りがきます。罰金はまあ必要経費のようなものなんですな」
「脱税などという生易しい世界ではありませんね」
「それでも不法投棄の儲けはまだ少ないんです」
「といいますと」
「三百万トン級の処分場として許可を取得していれば売上高は数百億円でしょうからな」
「その利権に暴力団やら政治家やらが群がるのですね」
「不法投棄をやるのは半端なチンピラで大物は許可のある処分場に関心がありますな」
「いやはや奥の深い世界に驚くばかりです」監督は勝手に崖を降りて不法投棄現場に近付いていった。
メディアに取り上げられた医療系廃棄物の撤去現場をどうしても見たいと勇美監督が言うので、長嶋の運転するXトレールは天昇園土木の自社処分場に向かった。人骨が出たために撤去工事は中途で終わってしまい処分場の門扉はしっかりとを施錠されていた。さすがに監督に塀を乗り越えさせるわけにはいかなかったので、用意した脚立の上から塀の中を覗いてもらった。処分場の中には警察が検証のために掘り出したままにした廃棄物が散らかっていた。
「きちんと塀で囲われているんですね。ここは許可のある処分場なのですか」野球帽を目深にかぶったまま脚立の上でサングラスを外した監督の鋭い眼光が現場を射た。
「不法投棄現場と処分場の中間みたいなものでして」仙道が監督の野球帽のつばを見上げながら答えた。
「それはどういうことですか」
「自社処分を偽装した不法投棄現場と言いますか」
「ほうおもしろそうなからくりがありそうですね」
「解体業者が自社の解体物を自社の敷地に埋めるような場合には自ら処理と申しまして一定規模以下の施設なら許可が要りませんでした。しかし自社物か他社物かということは見ただけではわかりませんので不法投棄の偽装に使われるのですな」
「いわゆる法の抜け道ですね。ここがそうだというわけですね」
「埋立の場合は三千平方メートル以下は許可不要でしたが、この面積要件は廃止されました。しかし既存の処分場は使い続けられるのです。焼却の場合は以前は一日五トン以下でしたが、これも一時間二百キロ以下となりました。いっそ甘い規制は廃止してしまえばいいのですが国はいっぺんに規制を厳しくできませんでね。中途半端なことばかりしてくれます」
「その基準未満の処分場を複数並べたらどうなりますか?」裏の手口に感度が高い監督ならではの鋭い質問だった。
「オーナーが同じなら合算します」
「それじゃあ敷地を離したり仕切ったりしておくかオーナーの名義を別にしておけば規模以上の処分場でもできてしまうわけですか」監督の頭の中では早くも抜け道のシミュレーションが始まっていた。
「さすがですなあ。実はそういう団地方式の処分場が近くにあります」
「そこを見せてもらえますか」
「よろしいですとも」
Xトレールは森井町の自社処分場団地に面した市道のクランクに停車した。
「ここが自社処分場団地です。全体としては許可の必要な規模の処分場なのですが、それを複数の処分場として切り売りしているのです。こうしたミニ処分場を斡旋する専門のブローカーもおりましてね、ゴミに群がるカラスと呼ばれておりました」
「ほうそれはおもしろい。カラスに会ってみたいですねえ」
「この手口はもともと黒磯が先駆けと言われておりまして、栃木の業者が犬咬に持ち込んだようですな」
「ほう黒磯というと那須高原ですか。あんなきれいなところがねえ」
「御用邸の裏山からも注射器がごっそり出たことがあります」
「不法投棄の手口にもいろいろルーツがあるのですねえ。いや実に勉強になります。こういう話は現場の方でないとわかりませんねえ」
「埼玉には便利屋という商売もあって産廃だけじゃなく廃家電でも廃家具でも壊れたピアノでもなんでも回収してくれるようです。新しい手口はなんでも埼玉から生まれることが多いかもしれないですなあ」
「カンブリア紀の海のようなものですね」
「いやはや喩え上手で恐れ入ります」
「最後にとっておきの現場にご案内しましょう」仙道技監が満を持したように言った。
「ほうどんな現場ですか」
「今はもう活動していない古い現場ですが、時限爆弾のようなものでしてね。まあ行けばわかりますよ。ただし市の管轄外ですのでご案内したのは内密に願いますよ」
仙道が向かったのは隣市の印篭市でRR(地方再生機構、旧公団)が県庁との共同事業として開発中の万城ニュータウンだった。そこに小さな現場があったが時間の経過で草山になっていた。
「ここがそうです。ニュータウンの南周回道路の工事が不法投棄現場で行き止まりになってるでしょう。県庁に出向しているときに対策会議に出ていたんですが、その頃となんにも変わっていない。いや悪くなっている。不法投棄の規模としちゃあ犬咬の十分の一ですが政治がらみの現場でしてね」
「それは興味深いですね。是非とも教えてください」
「ここは見てのとおりニュータウンの道路予定地です。ところが公団からニュータウン計画が発表されるのとほぼ同時期の30年前から不法投棄が始まりましてね。社長は検挙されましたが現場の撤去は指導に手間取りまして、いまだこのありさまです。というのは公共事業予定地のゴミは事業者が工事費で片すという不文律があるものですから環境サイドは代執行をせんのです」
「撤去にはいくらかかるのですか」
「40億円です。完全撤去の案、道路部分だけ撤去して残りは擁壁で隔離する案、撤去せずに橋梁で飛ばしてしまう案の3案あったんですが、どれでも結局は40億でした。擁壁や橋は値段が高いのでね。廃棄物から硫化水素が発生していることもありまして、印篭市役所は後跡に問題を残さないよう完全撤去を希望していましたが、建設サイドは会計検査の心配もあり道路区域だけの部分撤去を検討していたようです」
「政治がらみというのは」
「こじれる原因は二つありました。一つはもたもたしているうちに不法投棄を行った社長が亡くなってしまったことです。倅がおりまして実は室蘭税関の職員でして」
「財務省ということですか」
「さようです。しかし不法行為の債務は相続しないので倅には廃棄物処理法の命令を出せないのです。それで廃棄物には目を瞑って土地を買うことになったのです」
「不法投棄現場を買ったですか。釈然としませんね。いくらですか」
「廃棄物の撤去費用を差し引けば不動産として価値はないのですが、平米千円という鑑定を出していました。まあ不動産鑑定などどうとでも匙加減ですからな」
「RRが土地を買ったのですか」
「道路部分だけ県が買いました。県道ですのでね」
「それで一見落着とはいかなかったのですね」
「不法占拠者がいるのですよ。鹿児島興産という土建屋でしてね。プレハブの事務所が向こうに見えていると思いますが、ここが立ち退き補償金を要求してきたのです」
「権利がないのにですか」
「そこが政治がらみということでして。代議士秘書がRRに介入してきまして補償してやれと」
「ああなるほど」
「底地が県有地になったので不法占拠者に補償の必要はなくなったのですがRRとしては代議士の顔を立てて補償することに」
「いくらですか」
「3億円」
「まさか」
「そのまさかなんです。道路の左右に不法占拠している土地が分断されるので、不便になるということで、作業場の配置を変えるなどという名目をでっちあげましていろいろ補償基準をやりくりして三億円ということに」
「不法占拠地が不便になるもないでしょう」
「まあ世間の常識ではそうなんですが建設サイドというのは最後には金目に物を言わせますのでね。立ち退き訴訟では時間がかかるからということで金目で解決したのでしょう。実はRRが民業圧迫だということで開発事業から撤収するということもありまして道路の完成を急いでいたのです」
「三億円払ったんですか」
「ええ払ったようです。ところが、ご覧のとおり立ち退きません」
「どうして」
「土地が使いにくくなるからという理屈の補償金ですから使いにくくても我慢して使えば何もしなくてもいいのです。公共事業の補償金には領収書などは必要ないのでね」
「つまり三億円丸儲けですか」
「営業補償の場合は休業するとか移転するとかいって金だけもらっておいて何もしないでぎりぎりまでねばって廃業してしまう場合が多いのですよ。それどころかここは悪質でして立ち退けというなら改めて代替地やら廃棄物の処理費やらでさらに30億円よこせと。もちろん廃棄物を片すつもりなどないでしょうがね」
「ありえませんな」
「交渉にあたった志岐という鹿児島興産の専務が実は右翼でしてね。代議士秘書とのやりとりやらなにやらを全部録音していまして代議士本人を恐喝したようで。その代議士が北海道沖縄担当大臣となると」
「そこからはわかりました。大臣が更迭されたあの件ですね。こんな裏があったとはいやはや驚きました」
「映画の参考になりましたか」
「廃棄物と道路と政治とカネですか。まさに日本のアンダーグラウンドの縮図だ。それにしてもなんとかならなかったのですかね」
「まっとうな案を出していた県職員もおりましたよ。廃棄物処理法による地主責任で倅に廃棄物の撤去を命じておいて、RRと県が負担する廃棄物の撤去費用について事務管理費用償還請求訴訟を起こして土地代金と相殺もしくは土地を寄付することで訴訟上の和解をすればせめて道路用地を買わなくてもいいと。もちろん鹿児島興産には土地を県有地にした後で、道路区域を不法占拠地に拡張して道路法の監督処分を出して、立ち退かなければ建物収去土地明渡訴訟を提起して民事執行すれば立ち退き補償金は一円もかからないとね。これが本来法律というものです。しかし役所というのは案外裏技が好きでね。まっとうな案はえてして通らないのですよ」
「その県職員というのはどなたですか」
「実は今うちの事務所に出向している伊刈という者でしてね。当時は県庁の道路管理課の法務担当だったのです」仙道技官と伊刈班長の間にそんな因縁があったとは喜多は初耳だった。もっとも数十人が出席する会議で同席しただけだから仙道も今の今まで忘れていたのだ。
「その方に会えますか」
「先ほどご挨拶しましたよ。しかしこの件に関しては何も話さんでしょう。部署は変わっても県職員として守秘義務がありますからね。そこへ行くと私は犬咬市の職員でまったくの部外者ですから何をしゃべろうとね」
「なるほどなるほど」
勇美監督はたった一日の視察で並の人間の一年分の知識を得たようだった。新作のクランクインが待ち望まれた。封切られれば、前作を上回る反響を呼ぶことは疑いなかった。
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