第5話 亀太郎

「さてさて、あの巫女さんはなんの御用やろねぇ。ところで新左衛門様、庄屋様のところは如何でした?」


 木蓮が去ると松吉が尋ねた。新左衛門は例の大蛇の件で朝から和尚と、庄屋の伊兵衛の元に相談に行っていたのだ。


「明日には長岡様の家臣に仕える和地馬之介が領地の検分を兼ねて来るらしい」

「おや?随分と対応がはやいもんですな」

「ああ、大蛇の噂が出てすぐに色々と手を回していたようだ」


 とはいう物の新左衛門はあまり期待をしていなかった。統治者が変わってまだ日が浅いので、領民も従ってはいるが実質的な主導権は庄屋や古くから住み着いている郷士などが握っている所がある。そのため統治者側は問題があれば介入して来たがるはずだ。そうでなければ大蛇が出たなどと云う不確かな話に乗り出して来るとは思えない。まして本当の妖を相手に出来るだろうか。このとき新左衛門は自分があの大蛇を退治すれば、士官の道が開けられるかもしらんとも考えていた。


「そう言えば庄屋の屋敷で妙な話しを聞いたぞ。なんでも9歳になる亀太郎とかいう坊主が朝になると姿が見えなくなっていて、外の草叢の中に倒れていたそうだ。何を見たか知らんが怯えて何も話さんそうだ」

「亀太郎?てことは暴れモン五助のとこの坊主やな。五助って奴は気性が荒くて喧嘩っ早い、その上自分勝手なんですよ。しかも女子供相手でも平気で手をあげる糞野郎ですわ。あれの嫁や子供は気の毒なもんです」


 普段、温和な松吉にしては珍しく怒気のこもった眼差しで、もう一度糞野郎と吐き捨てた。新左衛門としても、無抵抗な女子供に手を出すなど不快でしかなかった。


「大方、五助が折檻して放り出したに違いありませんぜ」

「そうなのだろうな。しかし、何を見たのか。まさか大蛇ではなかろうな」

「ふむ、それなら喰われておりそうなもんですが。」


 腕を組み軽く唸ってから、では亀太郎に会いにいきましょうか、と松吉は行李を背負った。


 松吉の案内で五助の家に着いて、戸を叩こうとした所で中から怒声が響きガチャンと何かが割れる音がした。何事かと戸を開けようとしたが、先に戸が開かれて出てきた者と鉢合わせになった。誰かと思えば惣右介であった。その背中から追うように、また怒声が響く。


「とっとと失せろや、青瓢箪!!」

「い、いえ五助さん。また来ますから亀太郎を医者に見せてください」

「余計な世話だってんだ!」


 土間に立つ背は並だが筋骨隆々として厳しい赤ら顔の男が手にした湯のみを惣右介に投げつけた。惣右介は身を守ろうとしたが、それよりも新左衛門が湯のみを手で受ける方が早かった。


「なんだテメエらは!」


 惣右介がその怒声に身を震わせる。そんな惣右介を押しのけて、松吉が前に出た。


「よう五助よ久しぶりだなぁ」

「なんだと…お、オメェ、薬売りじゃねぇか」

「何を揉めてたんだよ?あたしに聞かせてくれないかい」


 何故か松吉を見て怯んだ五助は、不貞腐れて黙った。新左衛門が惣右介に尋ねた。


「私は亀太郎が具合が悪いいうから隣り村の医者に見せてはどうかと…ですが五助さんは必要ないと」

「どうせ悪い夢でも見て惚けとるだけだ。ほっときゃ、治るわ」

「五助よ、お前はあたしに貸しがあろうが。これでも薬を売っとるんや、医術の心得も幾らかある。亀太郎を見せてくれんか?」

「…奥で寝とるわ。勝手にせぇ」


 松吉はそれを聞くが早いか土間を越えて上がりこんだ。後に惣右介と新左衛門が続く。新左衛門は惣右介の様子を窺いながら、この男は本当に亀太郎を心配しているようだと感じた。惣右介が大蛇に関係しているなど、やはり戯言であったか?と考えていた。


「薬売りさん、亀太郎の具合はどうですか?」


 布団に寝かされた亀太郎は目は開いているが、心ここに在らずといった風だった。目の焦点があっていない。


「ふむ…少し脈が乱れているが…熱もないようやね。音や声に反応せん。この気付け薬を。ほれ、亀太郎。水や飲んでみぃ」


 僅かに水に溶かした気付け薬を口に含ませると、時間は掛かったが嚥下した。微かに表情に変化が見えた気がしたので新左衛門は注意深く見守っていた。ふいに目の焦点がふらふら揺れて、一点を見た。そして言葉が紡がれる。


「へ…へび…蛇がおる、へびが…」


 うわ言を繰り返す亀太郎を松吉が寝かしつけてあやすように声をかけ、優しく肩を撫でてやる。


「大丈夫や、大丈夫やで、蛇はおらん。蛇が来たらお侍さんが叩き斬ってくれるからな」

「あそこに…あそこに…」


 亀太郎をなんとか寝かしつけ、一行はとりあえず家を出た。松吉は気付け薬を五助に渡したが、本当に飲ませるかと心配そうに何度も振り返っていた。新左衛門はというと先を行く惣右介の背中を見つめていた。あのとき亀太郎の目は惣右介に向けられていたからであった。


「お侍様、香取様でございますね。私は庄屋様の所で働く惣右介と言います。先程はありがとうございました」

「いや礼には及ばん。俺よりも松吉に言ってくれ。」

「いや〜、あっしは新左衛門様に稼がせて頂きましたから。しかし、亀太郎は何を見たんでしょうなあ。惣右介さん」


 にこやかな顔で松吉が尋ねる。


「蛇と言っていましたが…ただの蛇を見てああなるとは思えません。まさか大蛇が村内に入って来たのでしょうか」


 心配そうに話す惣右介を新左衛門は観察する。


「いやぁ、意外に以前から巣くっておったんかもしれんねぇ」

「それはどういう?」


 松吉の言葉に困惑する様子は嘘をついているようではない。新左衛門が割って入り話しを変えた。


「そういえば亀山の生まれと聞いたが、あちらでは案山子をあのように作るのか?」

「ああ、由来は知りませんが故里ではあのような案山子を作ります。害獣の被害に会いにくいと父母からは教わりました」

「村人たちも大層喜んでいたな。そういえば、昨夜は村の外の方から帰って来たが何処かに出かけていたのか?」


 その言葉に惣右介は露骨に狼狽えた素振りを見せた。


「あ、いえ少し夜の散歩をしておりまして…村外れを歩いてすぐに帰って参りました」

「ほぅ、大蛇の噂があるのだから控えた方がよいぞ」

「え、えぇ、そうでございますね。気をつけましょう」


 そう言うと仕事がありますので、とそそくさと背を向けた。


「あ、惣右介さん」

「なんですか。あまり油を売っていると叱られますので」

「いや、油は売らんが薬売りやからね。その左手どうなさった?怪我なら良い軟膏があるからどうやね?」


 松吉に言われ手拭いを巻いた手に右手で触って言った。


「あ、これは今朝草刈りをしているところに傷をしまして」

「それはいかんな。これを一つ使いなさい」

「いや、しかし…」

「庄屋様の娘と婚礼するんやろ?祝儀や、祝儀。その代わりまた村に来たら贔屓にしとくれ」


 松吉から軟膏を受け取ると惣右介は深々と礼をして去って行った。

新左衛門と松吉は顔を見合わせ、


「さて何故、傷のことを嘘をついたのですかね?」

「あぁ、やはり何か隠しておるな。松吉、頼みがあるのだが」


 二人はしばらくその場で言葉を交わしてから別れた。

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