Welcome to our wedding reception

安芸空希

第1話 入場

「――新郎新婦のご入場です!」

 

 お決まりの台詞のあとに流れるBGM。それはお決まりのクラシックではないが、聞きなれた旋律――最新のJポップだ。

 最近の披露宴では新郎新婦――郎婦ろうふの好みで選曲が行われる。だから結婚式に合う合わないなど関係なしに、アニソンからヴィジュアル系まで実に幅広かった。

 もっとも、著作権の問題で録音した楽曲を流すにしても、購入したCDを持参しなければならないので、今でもクラシックを流す郎婦がいないわけでもないのだが。

 

 前奏の段階でゆっくりと、会場内の照明が落ちていき、暗転。だが、カーテンはまだまだ開かない。


『十、九、八……』

 

 ミキサー〈音響機器〉の前では、この会場のFD〈フロアディクター〉がインカム〈通信機器〉で秒読みを始めていた

  今回の入場は曲の秒指定がされている。という、迷惑なこだわり。

 会場の外では誘導スタッフがFDの合図を待っている。彼の後ろには郎婦、両隣にはカーテンを開けるスタッフと準備万端。


『三、二、一、ゼロ!』


 見事なタイミングで開かれた。

 本来ならここで盛大な拍手と歓声、フラッシュが襲うのだが――絶句。およそ八十名のお客及びスタッフが呆然としていた。


『……! 何やってんだ、ばか!』

 

 インカムで静かな怒声を送るのは、いち早く我に返ったFDの熊谷くまがいである。

 誘導は目立ってはいけない。その為の黒服であるのに、沼さんはこれでもかというくらいに存在感を放っていた。


 両手を顔の前に広げ、片足もあげ……まるで見ないで! と言わんばかりのポーズ。

 

 熊谷の一声でマニュアル通りの動きに戻るも、遅い。

 会場は大爆笑に包まれていた。

 誘導がはけ、きちんと郎婦を指定の位置まで歩かせ、止まらせる。頭上のスポットが二人を照らし、祝福の拍手……のはずがここでもまだ笑いが混じっていた。

 

 ――終わった……。

 

 熊谷はクレームを覚悟する。その後はきちんと高砂たかさご席まで郎婦を誘導していたが、手遅れに違いない。



 ここはホテル・シューレのアネックス館。

 梅田駅から徒歩十分程度の立地の割には、安さが売りの結婚式場である。

 全七階で宴会場は四つ。最大百名ほど収容できるディア、五十名が限界のシオン、部屋を区切ることでそのどちらも対応できるエスメ・ラルダ。

 その他のフロアは待合ロビーや写真室、美容室や更衣室などなど……道路を挟むがチャペルも有している。

 宿泊など、ホテルとしての役割は向かいの本館が請け負っている為に披露宴に特化した造りになっていた。


 その七階、ディアの会場――

「で、沼さん。どういうことか説明して貰っていいですか?」

 従業員スペース――パントリー〈バックヤード〉で熊谷は声を怒らせる。

 

 立場は熊谷が上だが、沼さんこと沼宮内ぬまくないのほうが年長――及び、社長の従弟いとこである為に怒鳴り散らすわけにもいかなかった。


「えっと……、僕が合図を出す前に……その……カーテンが開いちゃって……」

 

 おどおどと、これで本当に三十一かとツッコミたくなる態度で沼さんは弁明を始めた。

 既に披露宴は始まっている。白のシャツに黒のベストを着た配膳スタッフたちはきびきびとパントリーと会場内を行き来していた。


「あ、秋月――」

 

 その中でも一際背の高い、真面目そうな男性スタッフを熊谷は呼びとめた。

「今、大丈夫か?」

「ちょっと待って下さい」

 配膳は二人一組。料理担当のサービスとドリンク担当のドリンカー。早くも前菜を出し終わっていた秋月は、ドリンカーに一声かけてくると姿を消した。


 相変わらず有能である。

 

 上司に呼ばれても、優先順位を間違わない。まだ二十一歳だというのに……比べてこの男は、と熊谷は内心で溜息を重ねる。

 誘導を終えた沼さんは、呼んでもいないのに言い訳をしに来た。その後すぐに郎婦の二人紹介が行われ、椅子引きをしないといけなかったのに。

 しかも、インカムで言っても聞きはしなかった。

 結局、新郎の椅子引きは秋月が言うまでもなくやってくれ助かったのだが……


「とりあえず落ち着いてください。このくらいで慌ててたらFDなんてできませんよ」

 

 沼さんはすぐにパニックに陥る。

 予定通りいかないだけで貧乏ゆすりが始まり、物や人に当たりだすという始末におけないタイプ。社長の従弟でなければ、今すぐにでもお引き取り願いたい部下だった。


「え! あ、はい……すいません」

 

 謝るが、彼の震えは止まらない。

 溜息を吐いていると、「熊谷さん」秋月が戻ってきた。


「カーテンの子に聞きましたけど、なんでもインカムの音が漏れてたそうです」

 

 聞くまでもなく、秋月は察していた。手間が省ける。


「それで熊谷さんの合図で開けたらしいですよ」

 

 どおりでタイミングが合いすぎていたわけだと、熊谷は合点がいく。

 しかし、音漏れとは……?


「沼さん、ボリュームどれくらいにしてます?」

 

 ズボンの後ろポケットからインカムの本体を取り出し、確認させると案の定だった。


「あのね、沼さん……」

 

 ただちにボリュームを十ほど落とさせる。


「だって、聞き逃したら困るし……もう一度言って下さいって頼むのも悪いんで……」

 

 耳にかけるイヤホンタイプとはいえ、インカムは聞き取り辛い。会場内で喋る以上はボリュームに限りがあるし、音楽が鳴っている時はかき消されてしまう。

 しかし、インカムの声をお客様に聞かせるのは迷惑以外のなにものでもない。現に先ほどのような怒声が少なくはないのだから。


「今回は優しい郎婦だったから良かったものの……」

 

 乾杯が終わったあと、熊谷は即座にお詫びに向かったが、郎婦は予想を裏切る形で気にしてはいなかった。

 逆に緊張がとけて助かったとまで笑っていたくらいだ。


「とにかく、今日はもうミスしないで下さいよ」

 

 そろそろ余興が始まるので熊谷は説教を打ち切った。FDの仕事は時間の管理。それと全責任を負うことである。

 司会者と進行スタッフに最初のスピーチを行う旨を伝えると、秋月から料理時間の変更をお願いされる。


「食べるペースが早いみたいなんで」

 

 自分でも時計と料理時間を照らし合わせ、承諾する。


『坂本さん取れますか?』

 

 インカムでランナーを呼ぶ。料理運搬係。

『どうぞー』

 と返ってきた。


『ディアのスープ・パン。でき次第上げてください』

『了解です』

 

 今のところ順調だ。

 時間も押すことなくいけそうだと、熊谷はほっと一息を吐いた。

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