第7話

 失言を恐れた職員が話そうとしなかったためか、それとも単に彼が訊くのを恐れたためか。結局、気がつくとそれから一言も話をせずに彼らは冒険者ギルドまで歩いていた。


「こちらへどうぞ」


 職員の後に続いて受付の前を横切り、脇の通路へと入る。昨日の換金の時に通ったはずの通路は、今日は嫌なほど短く感じた。

 突き当たり、換金時にお世話になった大机を右に見るようして曲がり、すぐの階段を上る。

 螺旋状の階段に、二人の足音が響く。彼の心音はそれに溶けるように重なっていき、ゆっくりと飲み込まれていった。


「この階の、一番手前の部屋です」


 職員の声に、彼の意識は一気に引き戻される。


「くれぐれも、先程のことは本人様達には伝えないようにお願いします」

「避けられる面倒事は避けてきますよ」


 職員は、微笑みながら静かに頷いた。

 彼は、踊り場から一歩踏み出す。言われた部屋の前で止まって、深呼吸をし、扉を叩いてから、静かに押した。


「おせぇんだよ、待たせるなって言っただろ!」


 突然の罵声に、彼の背筋はピン、と伸びた。驚いた拍子に思わず手放した扉はゆっくりと彼を離れていき、一瞬だけ、黒みがかった赤の上着を着た男と、水色の襟つきのワンピースを着た長髪の少女、そして紫に近い青色の、魔導師らしいローブを着た短い髪の少女が見えた。


「ダメ、ポーターのお客さん、怖がってる」


 再び彼のところへ引き返してきた扉越しに、先程の少女の一人と思われる声が聞こえる。


「入って、怖がらせてごめん」

「誰が怖いって?」


 まぁまぁ、ともう一人の少女が男をなだめるのを見ながら、彼は扉を押し開けて、部屋の中央のソファーの脇まで行った。


「まあいい、座ってくれ、チビポーター」


──チビですか。


 相手に聞こえないような小さな声でそう呟きながらも、彼は言われるがままにソファーに腰掛けた。


 彼は、テーブル越しに正面の男を観察する。背はよりかは遥かに高く、もしかしたら170くらいはあるのではなかろうか。手首の辺りにはには宝石の散りばめられた腕輪をつけており、顔立ちは予想よりもずっと子供っぽく(ひょっとしたら自分と同じくらいの歳かもしれない、と感じていた)、しかしこちらを見下してくるような目付きには、好感は持てなかった。


「んで、どこまで聞いているか?」


 男の腕輪がジャラリ、と嫌味のような音をたてる。


「バーンウルフを討伐する、という話までは」

「上等だ、それなら話が早い」


 男はソファーの背もたれに寄りかかった。


「明日、バーンウルフの群れの上位種を狩る。以上だ、分かったらこの紙に名前を書け」


 男は、依頼受領書と書かれた紙とペンを机の上に投げつけた。


「……名前もわからない相手からは依頼は受けられませんよ?」


 彼は、先程の意趣返しと言わんばかりに、少し挑発的に返してみる。すると、男は顔を赤くしながら彼を睨んだ。


「てめぇ、俺を何様だと?」


 バン、とテーブルが揺れる。


「その気になりゃ、お前の首なんか一瞬なんだぞ!」


 男は、テーブルに手をつき、前のめりになりながら彼を怒鳴り飛ばした。

 そんな男の態度を見て、彼は途端に落ち着いた様子で足をぶらぶらさせた。


「よそ者なので、ここの貴族の名前までは把握してませんよ」


 ……でしょう? と聞き返すように、彼は男の顔を見上げた。


「それに、僕はこの街の住民でも、ここの領民でもありませんよ?」


──出国さえしてしまえば、どうすることも出来ないでしょう?

 そうとでも言いたそうに、彼は首を横に捻ってみせる。

 少しの間睨み合いの後、男は舌打ちをしてからソファーに座り直した。


「……そこの紙を見ろ、全て書いてある」


 彼は受領書を手に取り、目を走らせた。依頼内容、上位種を含めたバーンウルフの討伐。難易度。報酬。……


──ポーター用の紙じゃない、明らかにバーンウルフ討伐者用の書類だ。


 彼は、ポーターに成り立ての頃に一度だけ、ポーター用の受領書を見たことがある。正確には、「見せて貰った」の方が正しいのではあるが。今後の経験になるだろうから、と良くしていただいた先輩から受領書を見せて貰ったことがあったのだ。その経験が今ここで生きることになるとは、その時の彼は思ってもいなかっただろう。

 そして、その経験があったからこそ、明らかに「違う」と彼は思った。

 そもそも、ポーターに出される依頼受領書は、依頼内容の欄に“戦闘補助”の文字が必ず入っている。これをもって、依頼者は「ポーターには戦力として期待していない」という意思表示をはっきりと示すのだ。

 難易度も書かれないことが多い。勿論、依頼料を見れば一目瞭然なのであるが、ポーター自身は安全な場所で待機していることも多く、わざわざ難易度に合わせて用意を重ねる必要もないのが理由である。


 しかし、この書類にははっきりと難易度が示されていた。加えて、この依頼の難易度はそこそこ高めに設定されており、そのために依頼を受領する最低人数が設定されていた。

 その書類によると、受領するのに必要な人数は四人である。しかし、その紙には三人分の名前しか書かれていなかった。


「……人数合わせですか」

「ああ、俺は強いからな。四人なんて必要ない」


 彼は苦い顔をしないように繕いながら頷いた。


「とすると、一番上の欄の『ザール・エストワール』というのがあなたですね?」

「ああ、偉大なるザール家の長男とは俺のことだ」


 目の前の男、ザールは子供っぽくニヤリ、と笑った。


「では、その次に書かれている『レネ』、という方は?」

「私だよ、よろしくね、アルザ君」


 彼から見てザールの右隣のワンピースを着た少女が微笑んだ。


「なるほど、とすると、あなたが『クー』さん、であっていますか?」

「うん、あってる、よろしく」


 ザールの左隣の、ローブに身をつつんだ少女が頷いた。


「……なるほど」


 彼は、再び受領書に目を落とした。


「ところで、この上位種、というのは?」

「……そんなことも知らないのか?」


 ザールは、彼を嘲るように鼻で笑った。


「ええ、幸い今までにこのような依頼を受けたことはないので」

「ふっ、まあいい。上位種というのはだな、群れの中でも格段と強いボスみたいなものだ。とにかくでかいのはもちろんだが、なんといっても特徴的なのは、長く、尖ったきばや爪だ。刺されて死ぬこともあるほどな」

「それで、飛ばしてくる炎も強い、と」

「まあな。というより、そもそも奴らは群れの中では炎を飛ばして戦わない、その度に森を焼いていては意味がないからな」

「つまり、強い、と」

「まあ、そういうことだ、わかったか、世間知らずなチビポーターさん」


 彼は、ふぅ、と溜め息ついてから、背もたれに寄りかかった。そして、目を閉じて少し深呼吸をしてから、ザールの方へ身を乗り出して言った。


「それでは、とりあえずどのように狩ろうとしているかを聞きましょうか」

「どのように?」


 男は、彼を馬鹿にするかのように鼻で笑った。


「決まっているだろう、雑魚どもを蹴散らして、上位種を狩る、それだけだ」

「では、囲まれたら?」

「同じだ、蹴散らすだけだ」


 彼は、大きく溜息をついた。……馬鹿か、と。


「やっぱり、この依頼を受ける気はありません、見合うものが得られませんので」

「報酬のことか?金だろうと、地位だろうと、なんでも好きなものをやろう、なんせ、父が貴族だもんな」

「いえ、結構です。命と引き換えになるものなんて、この世にはありませんので」


 少しの沈黙のうち、男は、彼が言わんとしていることに気づいた。


「はぁ?もしかして俺じゃ不足だっていうのかよ?」

「ええ。あなたほど金があるなら、残りの一人だって、容易に埋まるでしょうに」


 それは暗に、金を積んでも一緒に狩りに行ってくれるような人が一人もいないほど弱い、ということだ。

 彼は、ソファーの背もたれに再び寄りかかった。


「最後の一枠は、優秀な指導者がよろしいかと」


 男は、すぐさま怒りをあらわにした。


「ふざけんじゃねぇ、どいつもこいつも!」


 ザールは、腰のあたりにあった剣に手をかけ、抜いて突き出そうとした。しかし、抜き出した刀は、数センチ動いたところで止まった。


「どうかしましたか?」

「くっ……」


 彼は、男が剣を抜くよりも早く魔法銃を構えていた。銃口の先は、男の首元を向いていた。

 男の額に汗が流れる。身の危険を感じて、それを恐れて。男の体は、すっかり硬直してしまっていた。


「流石に刀を突きつけられそうになって、抵抗しないほど優しくはありませんので」

「……もういい、お前には頼まない」


 ザールは剣を戻し、テーブルを蹴りながら立ち上がった。そして、荒々しく扉を開けて部屋を出ていった。

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