二話 隠された秘密と決意

2-1 見えない接点

 もやもやした気持ちのまま女子寮に戻り、夕食を食べ、とりあえず明日の準備をするかと課題を広げた。そんな私の元にメールが届いたのは八時を過ぎてから。

 送り主は彰。タイトルはなし。本文にはシンプルに「くわしく圭一先輩のこと聞けなかったから、調べといて」の文字。


 お前のせいだからなと読むと同時に突っ込んだ。

 誰もいない自室だというのに思わず口に出してしまい、冷静になってから何をしてるんだと微妙な気持ちになる。

 こういう時、部屋が個室なのはいい。同室者がいたら、誤魔化すのに苦労したに違いない。


「調べといてって言われても……」


 またもや一人だというのに声に出たが、不満をため込むのはよくないと気にしないことにした。口に出すということは頭の整理にもちょうどいいというし、やる気がそがれた課題を閉じてシャーペンを意味もなく左右にふる。


 千鳥屋先輩に改めて聞きに行くという手もあるが、放課後になったら千鳥屋先輩の方から部室に顔を出すかもしれない。来なかったら探しにいけばいいのだし、他の人に話を聞いた方がいい気がする。

 身近で事情を知っていそうな人。となると百合先生だろうか。


 生徒指導の百合先生であれば圭一先輩の事も知っているし、客観的な意見が聞けるはずだ。尾谷先輩についても何か知っているかもしれない。

 昼休みや放課後よりは朝一番に行った方がいいかと考えていると、そういえば百合先生はいつも何時くらいに学校に来ているんだろうという疑問が浮かんだ。


 返信する必要を感じず閉じてしまった彰からのメールを開いて、返信画面を表示する。「百合先生って何時くらいに学校にくるの?」とメールを送ると、思ったよりも早く返信が来た。


『七海ちゃん。叔父さんに興味あるの?』

 というふざけた内容に携帯を握りつぶしそうになる。これで質問の答えがかかれていなかったら本気でキレるところだが、答えもちゃんと書いてあったので不問にしよう。

 

 彰からのメールに毎度律儀に返信しているわけでもないし、彰から返事が来ないと文句をいわれたこともないので、返事をせずに携帯を閉じる。

 明日は早めにいって百合先生に話を聞こうと一応香奈に事の次第を伝えると、「私もついていく」という返事がきた。


 そうなると明日の朝学校で課題を終わらせるという手は使えないので、私は仕方なしにもう一度課題を開いた。すっかりやる気は失っていたが、やらなければという義務感で無理やり手を動かす私はいい子だ。

 少なくとも堂々と宿題をやらずに、昨日は調子が悪くてと病弱イメージでごまかしている彰よりは真面目である。


 一度気持ちを切り替えれば何とかなるもので、思ったよりも早く課題を終わらせた私はやることもないのでさっさと寝ることにした。

 寝付こうとした私の頭に浮かんだのは、比呂君を抱っこして満面の笑みを浮かべる彰と意味深な笑みを浮かべた千鳥屋先輩。最後に覇気のない笑みを浮かべた彰の姿。

 こんなところまで私の世界に浸食するなと文句を言いたかったが、言える相手は目の前にいない。眠気にも勝てず、あっさりと私の意識は沈んだ。


 いつもより早く起きた私は、ふだんより早い時間に香奈と一緒に寮を出た。寮生だと山の上り下りをしなくていいうえに、学校へすぐにたどり着けるので便利だ。

 考えてみれば先生たちは教員寮がないから毎日山を上り下りしている。ガタイがよく一見体育会系に見える百合先生はともかく、ひょろない小林先生が山を登る姿を想像して大丈夫かと他人事ながら心配になってきた。


「失礼します」


 職員室のドアを開くと、早い時間のためか先生の姿はまばらだ。

 昼休みや放課後に来ると先生がいきかい、うるさくはないが落ち着いた空間ともいえない。私からすれば苦手な場所という印象が強いので、静かで落ち着いた雰囲気の職員室は新鮮な気持ちになる。

 人がいないと広い部屋なんだなと私が中を見渡していると、意外そうな顔をした先生と目があった。

 ゆるくカールのかかった髪型をした、優しいというよりはのんびりした印象の強い若い男の先生。見覚えがないからニ年か、三年担当だろう。

 とりあえず目が合ったので頭を下げると、先生は「おはよう」と和やかに挨拶してくれた。


「こんな朝早くから、何かあった?」

「百合先生に用があって……」

「百合先生に?」


 そういうとゆるい先生の表情が意外そうなものに戻る。私と香奈の顔を交互に見て不思議そうな顔をされるので、どういう反応だと私はとまどった。


「なにしてるんだ、香月、坂下」


 どうしようかと困っていたところで、給湯室らしき場所から百合先生が現れた。手にコーヒーカップをもっているので、休憩しようとしていたところだったのかもしれない。


「百合先生、おはようございます」


 香奈が頭をさげたので、私も挨拶をして頭を下げる。人見知りの香奈としては強面の百合先生でも、全く知らない先生よりは安心できたのだろう。逃げるように百合先生へと寄って行った。


「あー、もしかして百合先生が顧問している部活の子たちですか?」


 やっと謎がとけたといわかんばかりに明るい声をだして、ゆるい先生が手を叩く。その反応で先ほどの態度は「下級生の女子生徒が百合先生になんの用事だろう?」という困惑からのものだった。そう気が付いた。

 百合先生は女子生徒よりも男子生徒に好かれている印象の方が強い。女子にはどちらかといえば怖がられている。特に香奈のような大人しい感じの子には距離を取られているので、不思議に思うのも無理はない。


「そうですけど、こんな朝早くから何か用か?」


 前半はゆるい先生に対して、後半は私たちに対して百合先生は聞いた。その反応をみて彰が何も伝えていないという事実を察する。思わず、あの野郎という顔をしてしまった。

 伝えてほしいとは頼んでないが、一言伝えくれる程度の気遣いもないのかと考え、そんな気遣いが彰にあるはずもなかったとすぐさま諦めて脱力する。

 そうだ。佐藤彰といはそういうやつだ。


 私の反応を見て、何となく事情を察したらしい百合先生が「彰かあ……」と苦虫をかみつぶしたような顔をした。

 さすが叔父。


「聞きたいことがあってきたんですけど、時間大丈夫ですか?」


 話が伝わっていないとなると忙しいかもという遠慮がでてきた。

 先生というものは生徒が思っている以上に忙しいと、何かで聞いたことがある。百合先生が早い時間から来ているのも準備のためとなれば朝から時間をとるのは悪い気がした。


「あー気にしなくていいよ。百合先生が早くから学校来てるのは忙しいっていうよりは、威圧だから」


 百合先生が答える前に明るい声を出していたのは、話を聞いていたゆるい先生だ。百合先生が顔をしかめるが、全く動じていないらしく、というか気づいていないらしくニコニコしている。ある意味強い。


「威圧?」

「百合先生が朝から学校にいるってだけで、やんちゃな子たちも大人しくなるんだよね。逆にいえば百合先生が長期出張とかいっちゃうと大変なんだよ。今のうちに騒いどけってお祭りみたいになるからねえ。元気だよねー」

「いや、笑い事じゃないでしょ」


 百合先生の突っ込みに対してもゆるい先生は「そうだねえ」と愉快に返す。私はその様子を見ながら思う。やはりうちの学校の関係者は濃い。


「そういうことだから用事があるなら連れてっていいよ。こう見えて百合先生真面目だから、仕事なんかはため込まないし、朝の時間取られたくらいじゃどうってことないから」


 ニコニコ笑うゆるい先生に対して「そうですか」と返事をしながら、それは百合先生がいうべき台詞では? と私は思う。

 百合先生も私と同じことを思ったらしく、なぜお前がいうという顔でゆるい先生をにらみつけていた。それに対しても一切動じないのだから、今時風の見た目に反してかなり図太い精神の持ち主なのかもしれない。


「生徒指導室でいいか?」


 これ以上職員室にいると、いらぬちょっかいをかけられそうだと思ったのか、百合先生は少し疲れた顔でそういうと、速足に職員室を出ていった。

 一応、ゆるい先生に頭を下げると、ひらりと手を振られる。

 やっぱり言動がゆるい。先生というよりはホストって言われた方が納得いくゆるさだ。

 一見ヤクザの百合先生も採用されてるし、この学校の採用条件はどうなっているんだと私はこの先の学校生活に不安を覚えた。


「あの先生って、一条いちじょう先生ですか?」


 職員室のすぐ隣にある生徒指導室に移動すると、香奈は百合先生に質問した。

 百合先生は嫌そうに顔をしかめる。


「一年生に伝わるほどか……」

「えっと、その、独特な雰囲気の先生なので……」


 香奈が何とかフォローしようとしたようだが、失敗した。フォローしようにもできない雰囲気の人だったから仕方ないともいえる。


「うちの学校は、もう少し採用条件厳しくしてもいいと思うんだが……」


 百合先生が眉間にしわを寄せてそういったが、採用条件が厳しかったら百合先生も採用されないと思います。とは口に出せるはずがなかった。

 眉間にしわを寄せたことで、ただでさえ強面の顔が強調され、ヤクザ。しかも幹部の風格をまとっている。これで学校の先生だというのだから、世界は不思議であふれている。


「それで、結局なんの用なんだ? また彰が何かしたか?」


 世間話をしている時間もないだろう。そう切り替えた百合先生が、指導室の中央に置かれたテーブルのイスをひいて座る。お前らも座れとうながされて、私たちはテーブルをはさんで百合先生と向かい合う形になった。


 生徒指導室は広い部屋ではない。ファイルが詰まった棚とテーブルとイス。それだけで空間はほぼ埋まっているといっていい。壁や物。そして目の前にいる百合先生にも圧迫される感覚に、何もしてないのにすいませんと私は謝りたくなった。

 無罪でもこれなのだから、説教のために連れてこられた生徒の恐怖は想像したくもない。

 早く終わらせようと私は口をひらく。


「彰君がなにかしたっていうか……、先生、小野圭一先輩しってますか?」

「……小野?」


 百合先生が顔をしかめる。何でお前らがその名前をという怪訝さと、あまり名前を聞きたくないという微妙な空気を感じて、やっぱり小野先輩とうのは一筋縄ではいかない生徒なのだと察せられた。


「昨日、千鳥屋先輩が部室に訪ねてきて、小野先輩について調べてほしいって……」

「千鳥屋まで関わってるのか……」


 百合先生が頭が痛いとばかりに眉間の皺をもむ。反応から見て、千鳥屋先輩のことも知っているようだ。やはり、よくない方向で。


「何で彰は、変な奴にすかれるんだろうなあ……」


 百合先生が腕を組み、遠い目をする。その「変な奴」筆頭がリンさんなのは聞くまでもない。あれ以上に変で、厄介な存在はいないだろう。


「今回は彰君が好かれたっていうか、単純に依頼されただけというか……」

「関わったら、好かれるだろ。千鳥屋だしな」


 香奈が何とかフォローしようと口を開くと、思った以上に重苦しい口調で百合先生は言葉を吐き出した。

 千鳥屋という言葉が、花音先輩という一個人を示している以外の意味も含んでいる。なぜだか私はそう感じて、何となく嫌な予感がする。


「それで、千鳥屋はなんて依頼をしたんだ。小野について調べてほしいって、あいつ最近はおとなしくしてたと思うけどな」

「なんでも急に小野先輩と尾谷先輩が仲良くなったらしくて、千鳥屋先輩は仲良くなった理由を調査しつつ尾谷先輩を追っ払ってほしいみたいです」

「は? 小野と尾谷が仲良く……?」


 百合先生は珍しく驚いた顔で私の顔を凝視する。それからすぐに眉間にしわを寄せて腕を組み、パイプ椅子の背に寄りかかる。体重をかけられたパイプ椅子が鈍い音をひびかせ、壊れないかと少し心配になった。


「小野と尾谷が仲良く……想像つかねえな……」

「百合先生から見てもですか?」


 香奈の問いかけに百合先生はうなずいた。

 第三者である百合先生から見てもそう見えるというのなら、千鳥屋先輩が不自然と思うのは見当違いではないのだろう。そうなると余計に理由が分からない。


「小野と尾谷はタイプが全然違う。小野は不良っていわれてるが、ケンカしたくてしてるわけじゃねえ。絡まれたからこれ以上絡まれないために、徹底的に叩き潰すだけで」

「その発想が怖いんですけど……」

「お前らはケンカなんてしないだろうから分かんねえだろうけど、中途半端に情けをかけた方が面倒くさいこともあるんだ。こいつには絶対に勝てない。そういう実力差を見せつければ、不用意に絡まれる機会は減るもんなんだよ」


 体感のこもった物言いに、経験したことがあるみたいですねと聞きそうになった私は言葉を飲み込んだ。聞くまでもなく、体験したことあるに違いない。

 そして、経験による考えは彰にも受け継がれている。あの情け容赦ない態度を思い出して、本当に変なところで似ている叔父と甥っ子だと私は顔をしかめた。


「それでいうと尾谷は事を必要以上に大きくするタイプだ。祠の一件でお前らも覚えがあるだろ。そんな尾谷を面倒事をさけたい小野が相手にするとは思えないんだがな……。なにか心境の変化でもあったのか、小野にとって都合がいいことがあるのか……」


 そういうと百合先生は眉を寄せて考え込む。

 香奈も難しい顔をしているし、私も小野先輩の心情を想像してみたが、何しろあったこともない先輩だ。想像にも限界がある。

 結論からいえば、もう少し小野圭一という人物について知る必要があるという発展も進展もないものに落ち着く。


 尾谷先輩。千鳥屋先輩。小野先輩。

 方向性は違えど濃い先輩たちを思い、今回は平和に終わってほしいなと私は切実に思った。

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