第四十三話 引っ越し準備
異動の日がどんどん迫っている。
そのため、休みの日の我が家は、引っ越し準備をすることになっていた。もちろんチビスケも、もうお兄ちゃんだからと、段ボール箱に冬服を入れる任務を、嫁ちゃんから言いつけられている。俺は、チビスケの様子を見守りながら、自分の服や諸々を段ボール箱に入れる作業だ。
「パパの冬服、上着。それから、みっくんの冬服お出かけ用、と」
ガムテープでフタをして、箱の横に、マジックで大きく書く。そして部屋の隅に、積み上げた。
「みっくんや、その手袋、まだ持ってたんか?」
「うん!」
チビスケが、箱に入れようとしていた手袋に、目が止まった。それは何年か前に買った、お気に入りの手袋だ。使いすぎて指先に穴があき、そのたびに、嫁ちゃんがつくろっていた。チビスケも大きくなり、今年はもう使っていなかったはずなのだが……。
「もう、つこうてへんよな? そろそろ、さいならしたらどうや?」
「やだ! ずっと僕の!」
そう言って、段ボール箱に入れる。
「チビチビちゃんが使うわけちゃうで? そうやのうて、さいならや」
「さいなら、やだ!」
「あかんのか」
「うん!」
本人が断固たる口調だったので、それ以上はなにも言わず、箱詰めの作業を続けた。
「パパ、さいならするのある?」
しばらくして、チビスケが質問してきた。
「そうやなあ……穴のあいた靴下とか、ヘロヘロになったパンツは、さいならするで? それから、ずっとタンスで寝とったやつとか」
嫁ちゃんに渡されたゴミ袋を指でさす。そこには、ここに来てから、一度も袖を通さなかった衣類が入っていた。三年以上も着なかったら、もう諦めて捨てなさい、というのが嫁ちゃんの命令だ。ま、本当に捨てる前に、もう一度、確認はするけどな。
「てぶくろ、ずっとねてたけど、さいならしなきゃダメ?」
「……まあ、みっくんがさいならしとうないなら、一緒に連れてったらええんちゃう?」
「じゃあ、ついきに一緒に行く!」
「わかった」
そんな俺達の様子を、嫁ちゃんが見にきた。そして今の会話を聞いたのか、あきれた顔をして俺達を見おろしている。
「
「そーかー?」
「みっくんはまだ小さいから良いけど、大人の達矢君は、ちゃんと、さいならしてね?」
「俺、そんなに買うてへんやろ?」
少なくとも衣類関係は、嫁ちゃんが選んでくれたものばかりだ。俺が勝手に買ったものなんて、ほとんどない。
「そう? なんか、よく分からない置物が増えてない?」
「よく分からへんて、あれは御当地もんやで? それぞれの基地でもろうたやつ」
「基地でもらったって言えば、私が見逃すと思ってるでしょ?」
「そんなことあらへんて。ほんまにもろうたやつやし」
いやまあ、中には違うものもあると思うが、だいたいは行った先の基地や会場で、記念品としてもらったものだ。だから、そう簡単には処分できない。空自基地は全国にあるが、陸自や海自に比べると場所がかなり限定されてくる。それをプレゼントしてくれた人間と、どこで再会するかわからないのだ。
「観艦式での記念品は、喜んでたやん」
「あれはなかなか趣味が良いなって感心したし。でも他のはさあ……」
「ちょ、それって、差別やで。なんで海自さんのはほめるんや、納得いかへん」
嫁ちゃんの意見に反論をする。
「だって、カレーのレトルトは美味しくいただけたし、あの錫のタンブラーは本当に綺麗だもの。少なくとも、受けを狙ってない」
「受け……」
「他のところからもらってくるの、だいたい笑いを誘うものばっかなんだもん」
「なんでやねん。大事な記念品やのに」
まあ嫁ちゃんの意見は否定しない。たしかに中には、「なんや、これ」というものも多々あったからだ。
「それと、この箱と中身は絶対に捨てへんで」
本棚の一段目に片づけてある、
「そっちのは捨てろなんて言わないわよ」
あの箱の中には、ここにいる三年ちょっとの間に届いた、全国のブルーファンからの手紙が、大事に保管してあるのだ。航空祭で並んで撮った写真や、飛んでいる五番機の写真など、手紙と一緒に、様々な写真も送られてきていた。どれもこれも見事に撮られていて、プロも真っ青やなと本当に驚かされる。
「それより、チビ姫ちゃんはどないしたん、めっちゃ静かやん?」
「おなかいっぱいで満足して、ただいまお昼寝中。箱詰め、手伝えるよ?」
「こっちは大丈夫やし。チビ姫と一緒に昼寝でもしとり。夕飯の準備も、今日はわいがするさかい」
最近ようやく、チビ姫の昼夜逆転がなくなってきた。だが、嫁ちゃんが大変なのには、変わりはない。
「ってことは、お好み焼きだね!」
「別に、お好み焼きでのうてもええけど? 俺が作れる範囲で、リクエストしてくれても、ええんやで?」
お好み焼きしか作れないわけやないし?と言ったが、無視された。
「達矢君が用意するなら、そこはお好み焼きでしょ! みっくん、今日の晩御飯、久しぶりにパパのお好み焼きだって」
「パパのやきそばも食べたーい!」
「ママもさんせーい! あ、キャベツ、使い切ったかも」
「ほな、買い物もいくわ。ついでに買わなあかんもん、メモくれたらええで?」
そういうわけで、今日の晩飯は、
+++++
「あー、うちの娘もそうですね。わかります」
週明け、俺が休みの日のチビスケの話をすると、
「ボロボロになって使えなくなった、お気に入りのタオルがあるんですが、捨てるのを断固拒否してて。タンスの中にしまってありますよ」
「あー、やっぱり、それぞれであるんやな」
「妻が勝手に捨てないか警戒しているみたいで、たまにチェックしてますから」
「それはまた、用心深いこっちゃ」
ということはあの手袋も、本人が処分する気になるまで、そのまま手つかずにしておくほうが良さそうだ。
「忘れてしまっているだけで、影山さんにも、そういうものが存在していたと思いますよ。母に娘のことを話したら、俺も弟も、そういうのがあったって言ってましたから」
「ほーかー? わいは、そこまで物に執着した記憶はないんやけどなあ……」
「子供の頃のことなんて、忘れちゃってるでしょ? 一度、ご両親に聞いてみると良いですよ。忘れているだけで、意外な物に執着していたかもしれないですから」
そんなものかと考えながら、いつもの場所へと向かう。
今日の朝一メトロは、
「ほんまに、なんで悪天候にならへんねん」
イヤになるほどの青空が頭上にひろがっている。
「こっちとしては、アクロの訓練がしやすくて、ありがたいですけどね」
俺の言葉に、葛城は空を見上げながら笑った。
「カッパかて、結局あの一回しか着られてへんねんで。おかしいわ」
「あ、だったら、ラストの時に着たらどうですか、カッパ。バケツシャワーされるわけですし」
「そんな時に着たら、無理やり引っぺがされて、背中に氷入れられるだけやんけ」
「誰にですか」
「隊長と班長や」
「あー……」
たしかにと笑っている。
「
「ま、無理でしょうね」
「……そんな断言することないやん」
「だって、どう考えても晴れそうですから」
ま、困ったことに、俺もそんな気がしないでもないんだな……。歩いていくと、いつものようにフェンスの向こう側には、カメラを構えた人々が立っている。
「なんや、多ない?」
「そりゃあ、お天気に恵まれる日ばかりですからね。遠征してくる人もいるでしょう。影山さんが異動になったら、どうなるんですかね。反動で雨ばっかりになったりして」
「それはそれで、ブルーとしては困るやんな」
「ですよね。一応、頼んであるんですよ、班長に。影山さんの身代わりの
「……それ、ほんま?」
「ええ」
葛城は、しごく真面目にうなづいた。そして、カメラを向けている人達に手を振ってから、整列をする。
「ほな今日も、よろしゅうやで。飛びたないけど」
「それを聞けるのも、あとちょっとかと思うと、寂しいですねえ」
葛城が笑い、全員が横一列にならんだ。
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