第三十三話 海自カレー

「カレーは金曜日の昼なんですよ」

「それはショックや~。海自カレー、今度こそ食べられる思うてたのに」

「すみません。お知らせしておけば良かったですね」

「しゃーないわ、こっちも予定がずれこんで到着が遅れたんやし」

「どうしたんですか?」


 俺が部屋で広報担当の隊員と話していると、葛城かつらぎがやってきた。


「いやな、海自のカレーが食べられるかと思ってたんやけど、カレーは昼間に出たんやと」

「あー……なるほど、そういうことですか」


 ここは海上自衛隊の岩国いわくに航空基地。


 俺達が展示飛行をする基地のほとんどは航空自衛隊の基地だ。だがその中に岩国いわくに航空基地と鹿屋かのや航空基地が含まれている。この二つは航空自衛隊ではなく海上自衛隊の施設。つまり、金曜日はカレーの日。普通に飛んでくることができていたら、昼のカレーが食べられるはずだった。


 だが、松島まつしまを出る直前になって天候が崩れて出発が遅れ、浜松はままつでも天候が回復せず、さらに離陸が遅れた。そのせいで岩国に到着した時には、すでに昼をまわっていたのだ。


「鹿屋ではどうだったんですか?」

「鹿屋、到着が土曜日でなあ。あかんかってん。こっちは金曜日に到着やから、今回は絶対に食べられると期待してたんやけどなあ……無念や……」


 金曜日なら朝昼晩関係なくカレーが食べられると思っていただけに、ガッカリだ。


「そうだったんですか。楽しみにしてもらっていたのに、申し訳ありません」

「まあ、それが決まりなんやからしゃーないわ。しかしがっかりやで。がっかりすぎて飛びたくなくなってきたわー……」

「えー?」


 広報の隊員が目を丸くすると、葛城が慌てた様子で口をはさんできた。


「ああ、気にしないでください。今のは三佐のいつもの口癖くちぐせですから。こんなこと言ってますが、本気で飛びたくないわけではないんですよ」

「ですよねー」

「そんなことあらへん。本気で飛びたないんやで。カレーが食べられへんくてがっかりすぎや。ほんま、飛びたないで」

「えーー?!」


 広報の隊員は、葛城に助けを認めるような視線を向けた。葛城は隊員の顔を見て、小さく溜め息をつく。


「なに言ってるんですか。三佐には奥さんのおにぎりがあるでしょ? カレーを食べなくても飛べるじゃないですか」

「あの、おにぎりって……?」

「あ、そこはこっちの話なので気にしなくても良いですから。とにかくカレーは今回はあきらめましょう。おにぎりだけで飛んでください」


 葛城は広報の隊員の疑問に答えることなく、俺にそう言い放った。


「それとこれとは別なんや。あー、飛びたないでー、カレー食べられへんなんて。海自のカレーやで? テレビでもしょっちゅう出てるやん? 有名やん? 食べたいやん?」

「しかたないでしょ。カレーは昼間に出てしまったんですから。あきらめてください」

「はー、つれないわあ、オール君。ほんま、君はいけずやな。そんないけずな子には歌ったらなあかんな、きゅっきゅっきゅーーって」

「!!!」


 葛城は息をつまらせると、そのまま走って部屋を出ていった。


「あの……?」

「ああ、気にせんといて。いつものことやし。それとな、実は持ってきたおにぎりを、冷蔵庫で預かってほしいんやけど大丈夫やろうか? 一応、こうやって名前を書いておいたし、誰のモンかてわかるやろ?」


 そう言いながら、持ってきた保冷バッグを差し出す。


「かまいませんよ。自分が調理場の隊員に言っておきますので、三佐はそれを持って調理室に行ってください。……俺のおにぎり食ったら雨ふらす? なかなか強烈なフレーズですね……」


 保冷バッグに結んであるタグを見て笑った。


「このぐらい書いておかんと油断がならんねん。大事なおにぎりやからな」

「雨がふったら大変です。ここまで書いておいたら、三佐のおにぎりは安泰あんたいだと思いますよ」

「せやったら安心やな」

「ですがなんでおにぎり……」

「おい、影山かげやま


 部屋に青井あおいと隊長が入ってきた。二人は基地司令のところへ、到着の報告をしに出向いていたのだ。


「葛城が変な顔して走っていったけど。どうしたんだ?」

「なんや急にトイレに行きたくなったらしいわ。途中で迷ってへんかったらええんやけどなあ」

「そうか……」


 隊長も青井も納得してはいないようだが、それ以上の追及はなかった。それは多分、目のまえに身内ではない海自の広報君がいるからだろう。


「まあ、おにぎりのことは良いとして、カレーの件なんですけどね」

「ん?」

「用意できないことはないんです、カレー」

「そうなんか?」

「はい。ただ、三佐の思っているようなカレーではないんですが」


 俺の考えているのとは違うカレーってなんだ? カレーはカレーしかないやん?


「実は、フレンドシップデーの物販で売られる、くれ佐世保させぼの海自カレーのレトルトがあるんですよ。それぞれの総監部から正式に認定されたものなので、味は保証付きです。ああ、今年は横須賀よこすかからも届いてたかな」

「でも、いきなりそんなことはできないだろ?」


 航空祭やフレンドシップデーでは、事前に様々な打ち合わせがされている。だから、いきなりカレー出します!というのはなかなか難しい話だ。それがわかっているので、青井は心配そうに広報君に言った。


「ええ。ですからレトルトで我慢してくださいってことです。種類が多いので、皆さんで一口ずつ試食って形にさせていただけたらと思うのですが。どうでしょう? もちろん、それを広報として取材させていただきたいというのが、希望なんですが」


 なかなか抜け目のない広報君だ。


「おもろそうやん? 色んな種類をいっぺんに試食なんて、なかなかできひんことやし」

「問題ないのか?」


 さらに隊長が確認をする。


「今から許可はとりますが、問題ないと思います。広報として取材をすることになれば、今回の目玉イベントの一つになりますし、協賛しているお店の人も喜ぶと思います。ブルーのみなさんが問題なければ、許可をとって用意しますが」

「ここは海自の施設だ。海自のカレーを食べるのは当然のことで問題はないだろう。ここの基地司令の許可つきならば、俺達は問題ない」


 隊長の一言で、試食会が開催されることが決まった。



+++



 そんなわけで、予行を終えて戻ってきた俺達の食事は、通常のメニューとは別に、カレーのルーがテーブルにずらりと並んだものだった。それぞれの皿の横に護衛艦や潜水艦、そして航空基地の名前が書かれてた名札が置かれている。つまりそれぞれが、そこで食べられているカレーということだ。


「めっちゃあるやん、これ」

「一口ずつ食べてもこれだけで腹がいっぱいになりそうだ」


 青井が並んでいるカレールーの皿を見て笑う。


「物販のほうに声をかけたら、大湊おおみなと舞鶴まいづるのもあるって持ってきてくれたんですよ。つまり、皆さんは今日ここで、全国の海自カレーを制覇せいはできるってことです」

「そう言えば、すべての海自カレーを制覇せいはしたら、スプーンやプレートがもらえたりするって聞いたことがありますよ」


 葛城の言葉に、広報君がうなづいた。


「ええ。それぞれの総監部のお膝元で独自にやってるんです。残念ながら今回は、その景品については用意できませんでしたけど」

「そんなんやってるんや」

「最近は、テレビで取り上げられて知名度が上がりましたけど、けっこう前からやってるんですよ。なにせ、海軍カレーが始まりですから」


 広報君は少しだけ誇らしげに言う。空自にくらべると海自の歴史は長い。もちろん海軍と自衛隊は別組織だが、その伝統は様々な形で、しっかりと受け継がれているらしい。その一つがカレーということだ。


「ええよな、海自カレー」

「空自さんでも最近やってますよね、唐揚げ。そらあげでしたっけ?」

「あー、たしかにな。あれがカレーみたいに定着するまで、どれぐらいかかるんやろうなあ」


 しかも唐揚げは今のところ月に一度だ。カレーのように毎週になるのはいつになることやら。


「さあ……もともと海軍がカレーを作るようになったのは、航海中の栄養不足からくる脚気かっけの予防をするためですからねえ」

「それっていつの時代なん?」

「明治時代だったと思います」

「明治!!」


 その答えに全員が驚きの声をあげた。


「明治て江戸時代の次やんな? めっちゃ元号またいでるやん。世紀もまたいでるやん。なんなん、海自カレーて」

「まあそれは海軍カレーの話ですけど。今だと、カレーのおいしさで乗艦する護衛艦を決める隊員がいるとかいないとか、そんな話がありますよ」

「恐るべし海自カレーやな……」

「レシピの公開を認めない護衛艦もありますからね。なかなか奥が深いです」


 そして俺達は、それぞれのカレーを味見していくことした。ブルーが選ぶ海自カレーベスト7を作るらしい。どうしてベスト7かといえば、俺達が一番機から六番機までを飛ばしていて、予備機の無印が通称七番機と呼ばれているからだ。


「影山だと、やっぱりおにぎりに合うというポイントが基準なのか?」


 俺のとなりで、横須賀の潜水艦のカレーを味わっている青井が聞いてきた。


「そんなことあらへんで。それにやな、おにぎりの具にカレーはちょっと無理があらへん?」

「ドライカレーにしておにぎりにするとか?」

「なるほど。それはええかも。ただ味が変わりそうやな、それすると」


 一口ずつ食べながら、それぞれ自分の感想を書いていく。味が違ってもどれもカレーだ。味なんてそんなに変わらないだろうと思っていたが、とんでもなかった。


「カレーて一言でいうても、なかなか奥が深いで……お、これは……」

「どうした?」


 呉の某護衛艦のカレールーを口にした俺は、その味に驚いてその場で立ち尽くす。そんな俺の顔を、不思議そうに青井がのぞきこんだ。


「これ、うちの嫁ちゃんが作るカレーと似た味がする……」

「そうなのか?」


 全員がゾロゾロと集まってきて、そのカレーを試食した。


「なるほど、これが影山家のカレーの味か」

「いや、似ているってだけで、まったく同じってわけやないんや。でも食べてから後味までよう似てるわ。なになに、呉の護衛艦? 一度お取り寄せして、嫁ちゃんに食べてもらわなあかんな」


 どんな意見が飛び出すか今から楽しみだ。


「海自カレーにはまった人間が一人また増えたな」


 隊長の言葉に、広報君はニッコリと微笑んだ。もしかしたらそれが目的だったのか? だとしたら、ますます抜け目がないな、この広報君は。



 試食をしているブルーのメンバーの写真と、俺達が選んだ海自カレーベスト7は、基地のイベントブースに展示されることになった。そのおかげか、カレーの売り上げは例年以上に良かったとか。


 商売繁盛しょうばいはんじょう、けっこうなことやんな?

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