第十四話 師匠

『あっかーん! あかんあかんあかんあかん! なにちんたらまわっとんねん、そんなもたついた旋回を本番でしたら、全員のタイミングがずれてなんもかんもがばらんばらんやで! 展示飛行大失敗で隊長のお仕置き待ったなしや、お尻ペンペンと伝説のかかと落しやで!』


 無線をその場で聞いていたライダー全員が、とうとう爆笑した。隊長も口元をゆがめているところをみると、面白がっているらしい。


『わかってますよ』

『わかってんなら、そんなおっかなびっくり回らんと、いっきに旋回せんかいせんかい、ってこれはダジャレちゃうで、真面目に言っとるんや笑うな!』


「今日の影山かげやまは絶好調だね」


 俺の隣に立っていた青井あおい班長が、スピーカーから流れてくる、指導というには若干難ありな影山三佐の声に笑う。


「まったくです。ところで隊長の伝説のかかと落しってなんですか?」

「え? ああ、なんていうか沖田おきたも、昔はヤンチャだったってことかな。どうして影山がそのことを知っているのか、わからないけど」

「おい、青井」


 その〝昔〟の部分を詳しく聞きたかったが、地獄耳の隊長が俺と班長の会話に気がついて、こっちに目だけをむけてきた。その顔は「余計なこと言うな」だ。残念だが、この話の続きは聞けそうにない。


 そうこうしているうちに、五番機が旋回して滑走路上に進入してきた。そして管制塔の前で一気に上昇すると、高度をあげながら機体をロールさせる。これは五番機のソロ課目のバーティカルクライムロールだ。そこでまた、影山三佐の腹立たしげな声が流れてきた。


『ああああっ、だーかーらー! なんで上がる前にためらうんや、男なら一気に操縦桿引いてさっさと上がらんかい! クルクルより上がるんが先やて、なんべんも言ってるやろ! 降りたら俺もトーダのお尻をペンペンや! はー、男のケツなんてさわりとうないのになんでやねん!』


 指導というか愚痴りというか。今日は朝から、五番機の後藤田ごとうだ一尉はローアングルキューバンテイクオフを中心に訓練中だった。ローアングルキューバンテイクオフは、五番機にとっては展示飛行一発目の課目。最初が肝心とばかりに、影山三佐の指導にも熱が入っていた。関西弁のせいでマイルドな印象になっているが、急上昇するソロ課目を連続で何度もさせているところからして、かなり厳しい指導の部類だと思う。だが、いつにも増して強烈なその影山節に、後藤田一尉には申し訳ないが、俺達だけではなく管制隊のメンバーもずっと座ったまま肩を震わせていた。


「これを聞いていて、あらためて思ったんですが」

「なんだい?」


 班長が首をかしげる。


「影山三佐って、完全に耐G呼吸法を無視してしゃべっているような気がするんですが、大丈夫なんでしょうか?」

「んー? ああ見えて影山は、ちゃんとアクロと呼吸のタイミングをはかりながら、しゃべっているよ。なあ、沖田?」


 班長が隊長に声をかけると、隊長はうなづいた。


「ああ。だから影山の愚痴りがないと、飛行の調子が狂うというのはある意味、間違ってはいない」


 意外な答えに驚く。今まで、影山三佐は好き勝手に愚痴っていると思っていたからだ。


「そうでなかったら訓練中とはいえ、飛行中の愚痴りを沖田が認めるわけないじゃないか。葛城かつらぎだってデュアルソロの時、あの愚痴りでタイミングとってないか?」

「え、いやあそんなことないと思いますが……」


 そう言われて考えてみる。今まで意識していなかったが、もしかしたらそんなことはあるのかもしれない。


「思い当たる点があるだろ? つまり影山の愚痴りは、アクロに合わせて発せられているってことだ。ま、本人がそれを意識しているかどうかは、わからないけどね」

「え、そうなんですか?」 

「もしかしたら自分では、好き放題に愚痴ってると思っているかもしれないな」

「なんと……」


「影山三佐、そろそろ時間です」


 基地上空での訓練終了時間が迫ってきたので、管制隊の隊員が呼びかける。


『了解やで。今の訓練ちゃんと映像に撮ったか?』

「はい。指示通りの場所で録画しています」

『おおきにな。トーダ、昼飯食ったら予習復習や』


「影山」


 腕時計を見ていた隊長が、ヘッドホンをつけて呼びかけた。


『なにか?』

「あと2分ある。訓練の締めに、師匠として後藤田に、バーティカルクライムロールの手本とやらを見せてやれ」

『さっさと降りたいのにまた無茶なことを。了解です、隊長。ほな行くで。トーダ、俺ハブコントロールや、操縦桿さっさとよこせ』


 後藤田一尉の返事が返されたと同時に、五番機の動きが変わったのがここからでもわかった。影山三佐が操縦する五番機が大きく旋回すると、真っ直ぐ滑走路へと向かってくる。


『ほないくで、05、バーティカルクライムロール、レッツゴー!』


 管制塔の前を通りすぎたところで、機体が一直線に上昇し、さきほどと同じように高度をあげながら機体をロールさせた。さきほどとはまったく動きが違う。やはり影山三佐の機動はすごい。なにがどうすごいのかうまく説明できないが、今まで見たブルーのライダーの中でも、三佐の操縦技術は抜きん出ていると思う。


「隊長はどうして最後に三佐にアクロを?」


 流れてくる影山三佐のアクロに対する文句を聞きながら、隊長の真意を知りたくて班長に質問をした。


「前に、葛城が影山と一緒にメトロを飛んだ時のことを覚えてるか? あの時と同じことさ」


 班長がニコニコしながら俺の問いに答える。


「三佐は飛びたくないんですよね?」

「本人はそう思っているみたいだけどね」


 そう言った青井班長は、相変わらずのニコニコ顔のままだった。



+++



「あっつ!」


 滑走路に降りて、キャノピーをあげたところで思わず叫んだ。バイザーをあげて空を見上げれば、雲一つない青空がひろがっている。季節はもう夏。最近はこのあたりでも、気温が30度をこえる日が珍しくなくなってきていた。


「はー、終わった終わった、後藤田、お疲れさん」

「お疲れ様でした」

「午後からももうひとっ飛びあるから、きばらなあかんで」

「わかってますよ。ですがその前に、今の訓練映像を見るのが楽しみです」


 後藤田の訓練が始まって一週間。区分ごとのアクロの流れは、すでに頭の中に入っているようで安心した。問題はやはり難易度の高いアクロ。通常の防空任務ではありえない機動をするのだ。そりゃあ、恐ろしくて腰が引けるのも無理はない。事実、俺だって訓練を始めたころはそうだった。


「自分のへっぴりごし飛行に、ショックをうけたらあかんで?」

「大丈夫です。自分でもどんなありさまで飛んでいるか、想像はついてますから」


 後藤田が笑った。


「おっかないのはわかってんねん。俺かて、こんなん考えたヤツは頭わいとるに違いないって、思ってるんやからな。せやかて、この機動を身につけへんかったら、展示飛行は任せられへん。なにがなんでもモノにしてもらわなな。デッシーとしてもう顔が知られているのに、本番に出ずに卒業なんてことになったら、恥ずかしいやん?」

「あの機動をしてもこの機体が平気だってことは、わかっているんですけどね。頭でわかっていても、気持ちがついていかないんですよ、今までの機動とブルーのアクロが違いすぎて。本当におっかないです」


 機体が神森かみもりの指示で、ハンガー前にピタリと止まる。


「せやかて俺としたら、おっかなびっくりで飛ばれたら、そっちのほうが怖いわ。今は、千歳ちとせにいた時のことは頭から消しておかなあかんで。あれとこれとは、まったくのベツモンやと割り切らな」

「わかっています。一日でも早く師匠に合格点をもらえるよう、鋭意努力えいいどりょくします。もたもた飛んでいたら、そのうち後ろから影山さんのドツキがくるんじゃないかって、気が気じゃないですから」

「心配せなあかんのは、俺のドツキより隊長のかかと落しやろ」


 タラップが設置されたので、二人で機体から降りた。


「とにかくや。今日の映像を見たら、自分でどこを改善すべきかはっきりするやろ。後藤田がはよう脱デッシーしてくれな、いつまでたっても俺が飛ばんならんやん。きばらなあかんで」


 俺がそう言うと、後藤田は疑わしげな顔をする。


「本当に飛びたくないんですか? 俺は絶対、影山さんは飛びたがりに見えるんですけどね」

「冗談やろ。俺は飛ばんでええなら、ずーっと飛ばへんで」


 そう返事をすると、いつものフェンス向こうに視線を向けた。いつのようにマニア君達が何人か立っている。こんな暑い中ご苦労さんやで。そう思いながら手を振った。後藤田も俺にならって手を振る。


「せやけど、人に教えるって難しいもんやな。お手本みせて、ほなやってみようかだけでは終わらんところが、難しいわ」

「影山さんの指導はわかりやすいですよ」

「それやったらええんやけどな」


 俺の師匠も、こんなふうに悩みながら俺を指導したんだろうか? 当時は、そんな師匠の心の内のことを考える余裕さえなかったが。


「影山三佐、さっきの訓練を録画した機材、全部集めてきましたよ」


 坂崎さかざきが、ゴロゴロと機材を乗せた台車を押してきた。


「おおきにな。せやけど坂崎、さすがに三脚はいらんで?」

「こっちは、俺が片づけておきますから大丈夫ですよ。SDカードだけ渡しておきますね」


 それぞれのビデオカメラから抜かれたSDカードを受け取る。


「そう言えば先輩、訓練中の管制塔が大変だったらしいですよ?」

「そうなんか? もしかして訓練を見ていた隊長が、腹を立ててかかと落しを連発したとか?」

「違いますよ。俺は聞きそびれましたけど、先輩の愚痴りがすごいことになってたって話です。ほとんどの隊員が呼吸困難を起こしていたみたいで」

「こっちは真剣に指導していたというのに、失礼なやっちゃな」


 こっちは、一日でも早く後藤田に脱デッシーを果たしてもらいたくて、厳しく指導しているというのに。


「そもそも俺はそこまで愚痴ってへんやろ」

「……」

「なんや坂崎。異論でもあるんか?」

「え、いやまあ……知らぬがほっとけかなあと?」


 坂崎はアハハと笑いながら、台車を駆け足で押しながらその場を離れていった。


「なにがほっとけやねん」



+++



「なあ、後藤田……」

「はい?」


 昼飯後、録画した映像を見ながらつぶやく。


「この録画、俺の音声をかぶせて撮る必要があったんやろうか」

「さあ、どうなんでしょうね」


 午前の訓練飛行の映像は、なぜかすべてに俺の無線音声が入っていた。自分で話しておいてなんだが、かなりうるさい。こんなにしゃべっていたか?と思うぐらい、しゃべりまくっている。青井を後ろに乗せて飛んだ時に「やかましい」と言ったが、これは人のことを言えないかもしれない。


「でもこの声のおかげで、訓練時の機動のタイミングがはかれるので便利ですよ」

「便利……」

「ほら、最初のターンですが、この〝あっかーん〟〝ん〟の部分でターンしたら、遅すぎと言われたんですよ。なので次は〝か〟の部分のタイミングでターンしました。それでOKが出たので、そのタイミングがベストだということがわかりました」


 後藤田は、わざわざ映像をコマ送りしながら俺に説明した。


「……そんなふうにタイミングをはかっとったんか」

「もちろん、そのたびにわざわざ影山三佐に叫んでもらう必要はありませんよ。もう頭の中にインプットしてますから」

「なにを?」

「三佐の叫びのタイミング」

「……」


 こっちはどう指導したら良いのか悩んでいたというのに、後藤田は俺の愚痴りを物差しにして飛んでいたのか。しかも頭の中にインプットしたとか。


「タイミングはそれではかれるようになりましたが、機動に関してはどうしようもないですね。何度もトライするしかないみたいです。あれ? 影山三佐?」

「悩んだ自分がアホらしゅうなってきたわ……」

「なんのことです?」


 不思議そうに首をかしげている後藤田の前で、俺は溜め息をついた。

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