第三話 築城へ


「ああああ、晴れてるやん、飛ばなあかんやん、行かなあかんやん……」


 本日も晴天、風は静穏。まさに飛行日和びよりの朝だ。


 ブリーフィングを終えてエプロンに出ると、すでに青い機体が整列していた。両翼下には、普段はない増槽ぞうそうがつけられている。今日の朝一発目は訓練飛行ではなく、それなりの距離を飛ばなくてはならないものだった。


 今回の目的地は九州の築城ついき基地。


 目的は、明後日開催の築城基地航空祭での展示飛行。築城は松島まつしまに配属されてくる前に、俺が所属していた飛行隊がある基地であり、ここの任期が終わったら戻る予定の場所でもある。


「しかも嫁ちゃんのおにぎり、二日も食われへんやん。めっちゃテンション下がるわーー……」

影山かげやま三佐!」


 溜め息をつきながら一歩踏み出したところで、普段は管制室からなかなか出てこないお嬢さん達二人に呼び止められた。彼女達は立ち止まって振り返った俺の前で、おはようございますと頭を下げてから敬礼をすると、きちんと折りたたまれた紙切れを差し出す。


「遅れて申し訳ありません。管制隊のお土産リストがやっとまとまりましたので、お願いします!」

「あー、はいはい。……せやけどなんでおみやげ係が俺なん? これが大阪のおみやげって言うんなら、わかるんやけど」

「それは行き先が築城で、三佐がここに来る前にいた基地だからです!」

「まあ、あっちには知り合いがよーさんいるから、物資調達は他の連中より簡単やけどなあ」


 ニコニコしながらリストを渡されては「そんなヒマも余裕もあらへんからあかーん」とは断れない。折りたたまれた紙を受け取ると、念のためにとリストを確認してみる。

 

「なになに? イワシ明太に、明太子パイ、明太マヨに高菜明太? もののみごとに明太ばっかやな」

「そりゃあ福岡ふくおかですからね、やっぱり明太子ははずせないですよ。あ、ちなみに私達は、ここにある明太子シリーズは全部希望です!」

「もしかして皆、酒呑みなん?」


 そりゃあ白ご飯で食べるイワシ明太はうまいが、どう考えてもノンベエのチョイスだよな、これ。


「そんなことないですよ。ですけど、せっかく築城に行った時のおみやげなんですから、やはり本場の明太子が食べたいじゃないですか。去年買ってきてもらったイワシ明太がとても美味しかったので、今年もブルーが行くならお願いしようと決めていたんです」

「なるほどなあ。そやけどめっちゃ多ない? これ、管制隊全員分だけなん?」

「これでもかなり皆で吟味ぎんみしたんですが……」


 申し訳なさそうに笑うお嬢さん達。前日に渡された他の連中のおみやげリストも、かなりの量だった。そしてこの管制隊の希望数量も、人数にしてはかなりの量となっている。どう考えも五番機の後ろに乗りそうにない。こいつももれなくハーク行きだな。


「明太マヨは俺も初めて見たわ。買ってみるかなあ……」

「それいいですね。三佐の朝の飛行前おにぎりにピッタリかも!」

「そうやなあ……」


 ん? ちょい待ち。


「なんで、俺が飛ぶ前におにぎり食ってんの知っとるんや?」


 うちの飛行隊の連中ならともかく、なんで管制隊の人間が知ってるんだ?


「だって、いつもモグモグしながらハンガーから出てくるのを、上から見てますから!」

「なんとまあ」


 いやはやこれは油断した。マニア達のカメラに写されないようにと気をつけていたが、まさか離陸前に頭上の管制塔からチェックされていたとは。


「……飛ぶ前に食ってるなんて、偉い人には内緒やで?」

「はーい、了解してます!」


 そろって敬礼をすると、そろそろ先発の四機が離陸するので戻りますねと言って、自分達の持ち場へと足早に帰っていった。それを見送りながら、渡されたリストを自分の小物入れの中にしまいこむ。


「ま、これも景気回復の一助ってことやね。しゃーない。浜松はままつに到着したら、あっちに連絡して追加注文せな」


 エプロンでは、中継地の浜松に向けて先発する、一番機から四番機が離陸の準備が完了していた。エンジンにがはいり、その場では、戦闘機とは違う甲高いジェットエンジンの音が響き渡っている。それぞれの後席には、同じ機体を担当しているパイロットや機付長が乗り込んでいた。ちなみに今日の俺のお供は、初めて後席に座ることになるキーパーの坂崎さかざきだ。


「うなぎパイ、うなぎパイ、うなぎパイ、と。途中の休憩タイムにうなぎパイを食べられると思えば、この程度の飛行なんてなんのそのやんな」


 自分にそう言い聞かせながら、滑走路に出ていく四機を見送る。タキシングの先頭をいく隊長が俺を見て、人差し指でこっちをさしてきた。あれは「六番機と予備機を頼むぞ」の合図だ。


「へいへい。途中で逃げたりせーへんのでご安心を」


 相手には聞こえないだろうが、そう言って敬礼をかえした。そして自分達の離陸準備に取り掛かる。本日も当然のことながら突然のハプニングもなく、無事に準備が完了した。そしてコックピットに座ってからふと我にかえる。あかん、やっぱり飛びたないわ。


「さっきは逃げへんゆーたけど、やっぱりあかんわ~、飛びたないわ~~」

「では三佐、また後ほど築城基地で。お待ちしております」


 神森かみもりが俺の肩をつかんでグッと力をこめてからそう言うと、機体から離れていった。今のはなんなんや?


「あれ、絶対に隊長から言われてるよな、影山を逃がしたらあかんでーって」

「でしょうねえ」


 後ろで坂崎が笑った。


「ほなそろそろ出発や。坂崎君、準備はええか?」

「いつでもどうぞ、三佐」


 キャノピーを閉じると滑走路に出る。


 いつも俺達をひきいる一番機の隊長は先に離陸した。ということは、今日は俺が六番機と予備機である通称無印君をひきいて浜松基地、そして築城基地へと飛ばなくてはならない。つまりは三機編隊の頭ってことだ。しかも六番機は、今回の航空祭が展示デビューとなる若い葛城かつらぎが操縦桿を握っている。責任はそれなりに重大だ。


『松島管制塔、こちらブルーインパルス05、離陸準備よし』

『こちら松島管制塔、ブルーインパルス05、06、00、上空はクリア、順次離陸してください』

『了解、松島管制』

『いってらっしゃい、影山三佐』


 最後は英語ではなく、日本語でいってらっしゃいと言われた。この声から察するに、さっきのお嬢さん達のどっちかだな。


「まずは無事に浜松基地に到着して、おやつのうなぎパイが食べられますように!」


 滑走路に出たところでいつものように柏手かしわでをうつと、ランディングギアのブレーキを解除する。


「ほな、行くで、オール君」

「了解です、シャウト」

「ほんま、クールやなあ、葛城君や。こういう時ぐらい、もうちょっとテンションあげた受け答えでけへん? おっしゃどこまでもついて行きまっせシャウトさん! ぐらい」

「そんなこと言われても無理です。大阪弁キャラは僕のキャラじゃありませんから」

「僕のキャラて。悪かったなあ、大阪弁キャラで。ほな、行くで」


 レッツゴーと掛け声をあげてから、いつもの調子で離陸した。後ろに乗っていた坂崎が、慌てた様子でシートの横にあったグリップにしがみついたのが気配で伝わってくる。


「三佐、飛ぶのイヤだとか言いながら、めちゃくちゃ飛ばしてるやないですか!」

「やかましいわ、さっさと飛んでさっさと浜松に降りたんねん。後ろのお二人さんも遅れるんやないでー? 長尾ながおも無印だからって気ぃ抜くなやー?」


 俺の耳に、相変わらず冷静な葛城と笑っている長尾の「ラジャー」と返す声が聞こえてきた。



+++++



「影さん、久しぶり!」


 浜松基地に降りた俺達を出迎えた、整備班の中の一人が声をかけてきた。五年前まで築城の整備班にいた内村うちむらだ。


「おお、久しぶりやな。元気にしとったか?」

「お蔭様で……って後ろのヤツ、大丈夫か、あれ」


 コックピットから出てくる坂崎に気がついたらしく、心配そうな顔で俺の後ろを見ている。振り返れば、少しばかりふらついている坂崎がちょうど降りてくるところだった。


「あん? だいじょーぶやろ、見たところまだ生きとるみたいやし」

「ここまで飛ぶだけで、どうしてあんなことに?」

「なんもしてへんで俺は。テイクオフの時だけいつもみたいに飛んだだけや。ああ、下で見送ってくれている連中へのあいさつ代わりに、一回だけ回ったかもな」


 俺の言葉に、内村が呆れたように笑う。


「キーパー相手に大人げない」

「あいつが乗りたいゆーんや、しゃーないやろ」

「わかったわかった、おい、キーパー君。いまさらだが、酔い止めの薬かなにか飲むか?」


 なんとか地面にまっすぐ立った坂崎は、首を横に振った。


「ありがとうございます。ですがまずはトイレに行ってきます。グルグル回った遠心力で、体の中の水分が下がってきたみたいで」

「気ぃつけてな~~」


 手をヒラヒラさせて見送ってやる。


「グルグル? 一回転しただけじゃないのか、まったく……それで飛ぶのが嫌いだって?」

「ああ、嫌いや。今でも俺は飛びたくない男やから」

「そんなヤツがブルーの五番機っておかしいだろ」

「ほんまやで」


 どうして訓練中に技術屋の道に戻れなかったのかはいまだに謎だ。当時の教官を引っ捕まえて、そのへんの事情をきちんと問い詰めたいのだが、俺が顔を出すといつの間にか逃げ出していて、まともに話を聞くことができないでいた。そんなこんなでもう十年。いつのまにか俺はブルーの五番機だ。まったくもってせない。


「ああ、そうだ、忘れるところだった。給油の間にこれ食っとけ」


 そう言って渡されたのは浜松名産のうなぎパイと、なぜか全国チェーンのコンビニのツナマヨおにぎりだった。うなぎパイは頼んでいたが、ツナマヨおにぎりなんて頼んでいなかったはずだが。


「もしかして、嫁ちゃんが電話してきてなんか言ったんか?」

「いや。うちの嫁が、電話の向こうでみっくんがツナーって叫んでたって言ってたんでね。もしかしたらと思って、基地前のコンビニで買っておいた」

「そうやねん、ここ最近うちの坊主はツナマヨ推しですごいんや。そのうちツナマヨ博士になるかもしれん」


 これはこれで海苔がパリパリでおいしいが、やっぱり一番は嫁ちゃんが握ってくれたやつだな……なんてことを考えながらおにぎりにかぶりつく。トイレにいっていた坂崎が戻ってきて、俺の隣に立つと給油作業を見守り始めた。


「食うか?」

「あざっす」


 うなぎパイを差し出すと、坂崎は受け取って封を切る。ちょっとしたおっさんのもぐもぐタイムってやつだ。坂崎も普通に食べられるってことは、ひどく酔っているわけでもなさそうだな。


「どや? 俺が飛びたないっていう気持ち、少しはわかったやろ?」

「きらいやゆーてんのにグルングルン回るってどうなんですか、信じられませんわ」

「飛びたくないからゆーて技量がないとは言ってへんやん」


 それとこれとは別なんやでと言ったら、坂崎は目をくるんと回して空をあおぐ。


「あっかんわー……先輩、信じられへん」

「まあ初っ端にしてはほめたるわ、あれだけ回ってゲロらんかったんは大したもんやし」

「ほめられてもうれしゅうないですわ」


 給油作業が完了し、離陸時間がやってきた。


「帰りにはうなぎパイの箱を用意しておくから、いつもの焼酎しょうちゅう頼むな?」

「任された。都合によってはおりてこられへんかもしれんけど、そん時はごめんやで?」

「おう、その時は定期便に乗せてくれ」


 内村達に見送られて滑走路に出る。


「今度は大人しく飛んでくださいよね」

「そうなんか? てっきり回るのがお気に召したと思ったんやがなあ……」

「あの、先輩、飛ぶの嫌いなんですよね?!」

「きらいやで?」


 ほんまに俺は飛びたない男やねんから。



+++++



 そして久し振りの築城基地。


 着陸すると、基地司令の狭山さやま一佐がハンガー前で俺達を出迎えてくれた。一佐はファイター出身で、俺もここにいる間は随分と可愛がってもらっている。機体から降りると、変わらない笑みを浮かべながらこちらにやってきた。


「影山、久しぶりだな! あっちでも元気に飛んどるか?」

「もう毎日が最悪ですわ。バーティカルクライムロールを考えたヤツを絞めてやりたい」


 俺がそう言うと、司令がガハハハハといつものように豪快に笑った。


「そうか、毎日元気に飛んでいるようで安心した。明日の予行が楽しみだな。杉田すぎたも、お前の飛行を見るのを楽しみにしているそうだ。久し振りに顔を見るのを楽しみにしているようだったから、あとで声をかけてやれよ?」


 杉田とはこの基地の飛行隊の隊長で、俺がここにいた時の直属の上官だ。


 そして元ブルーの五番機ライダーでもある。そのせいもあってか、杉田隊長のチェックは、うちの飛行隊長のチェックより厳しかった。毎度毎度、どこで展示飛行の映像を手に入れてくるのか知らないが、気になるところがあると、必ずその日のうちにメールで伝えてくるほどだ。まあそのお蔭もあって、五番機としての技に磨きがかかるんだが、今回はメールではなく直々のチェックが入るのか。それはそれで怖いんやけどな……。


「杉田隊長のチェック、怖いですわ」

「心配するな。あいつはいつもお前のことを大したヤツだとほめている。それとだ、お前が帰ってくるってんで、喜んで集まってくる連中が基地の外にもたくさん現われそうだぞ。警察が駐禁のパトロールを強化すると言っていた」

「目当ては俺やなくてブルーの予行でしょ」

「んなわけあるか、地元住民の空自愛をなめんなよ?」



 そんなわけで明日と明後日は古巣の築城基地で飛ぶ予定。天気予報を確認してみたら案の定向こう一週間は快晴、降水確率0%。……あかんやん。



■補足■


こちらに名前だけ登場の「杉田隊長」は『今日も青空、イルカ日和』と白い黒猫さんが書かれている『イルカカフェ今日も営業中』に登場する杉田一尉です。

https://ncode.syosetu.com/n7277er/

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