3話 帰る場所(6)

 イルケトリは息を切らして駆けてきたヒフミの手から、荷物を取った。

「ヒフミ、ありがとう。助かった。大丈夫か?」

 ヒフミはかすかに微笑んで、頷いた。ヒフミが笑ったところを初めて見て、ヒフミもイルケトリのことは信頼しているのかもしれない、と思う。

「あ、えっと、ご迷惑おかけしました」

 エミリーは申し訳ない気持ちでヒフミに向き合う。ヒフミはもう真顔に戻っていたが、「よかった」とつぶやいた。

「でも、よくここにいるって分かったね」

 エミリーはイルケトリに視線を移す。たまたま脇道にいたからかもしれないが、広いコムセナで、あんなにもたくさんの人の中からよく居場所が分かったものだと思う。

 イルケトリが「そうだな」と気のない返事をしたので、エミリーは思い当たって手を打った。

「分かった。『直感』? イルキの魔法の」

「『直感』は人捜しの能力じゃない」

「え、そうなの? じゃあヒフミさんの魔法?」

 さっきイルケトリがヒフミに礼を言っていたから、不思議に思っていたのだ。人捜しのような魔法もあるのだろうか。

 けれどイルケトリはなぜか迷うような目をして黙っている。

「言えない。魔法」

 ヒフミがエミリーのほうを見つめていた。

「悪い人たち……ええと……どーんだから、言えない」

 言葉が難しかったのか、ヒフミは眉間にシワを寄せていた。努力してくれたのは伝わってきたが、残念ながら意味が分からない。

「自分の魔飾ましょくの魔法は基本的に人に話さない」

 イルケトリが言葉を継ぐ。

「装縫師は誘拐や脅迫の自衛として自分の作った魔飾をひとつだけ持ち歩ける。けど俺みたいに攻撃手段じゃない魔飾もあるし、貴重な魔法の魔飾もあるから、話す必要のある相手にしか話さない」

 装縫師を脅迫して、作らせた魔飾を密輸するということだろうか。

「何で攻撃手段の魔飾を持たないの?」

 イルケトリは今気付いたというように「ああ、そういえばお前知らないのか」と呟く。

「魔飾は作れるのも使えるのもひとり一種類だ。適性みたいなものだ。自分の適性以外の魔飾を身につけても使えない」

 エミリーはそうなのかと頷く。ということは自分がどういう魔法を使えるか秘密にしておいたほうが、誘拐や脅迫の危険性が低くなるということか。

「そうなんだ。分かりました。じゃあ言わなくて大丈夫です」

 エミリーがヒフミに笑いかけると、ヒフミはわずかに表情を曇らせた。

「ごめんなさい。悪い思い」

 悪い思いをさせている、ということだろうか。それとも悪いと思っている、ということだろうか。思いがけずヒフミが表情を変えて喋ってくれたので、エミリーはそれで充分だった。

「でも、イルキは知ってるんだよね? 雇い主だし」

 イルケトリをうかがうと、「そうだな」と当たり前のように返ってくる。

 エミリーはミス・ドレスに来てまだ日が浅い。仲間として認められて、秘密を話してもいいと思われるには、絶対的に信頼が足りない。

 当然だと分かっている。けれど、細い針が刺さったように胸が痛むのは、ごまかせない。


 意外にもイルケトリには怒られず、エミリーはミス・ドレスに帰ってきた。夕食も終わり、自室に戻って白い綿のナイトドレスに着替え、ベッドで髪をとかしていた。

 クロゼットの隣に目をやると、赤いケープがトルソに飾られている。トルソは古いものをイルケトリに頼んでもらってきたのだ。

 ケープを見つめていると、早く着たくて、可愛くて、胸の中がきらめきで満たされたように思わず口元が緩んでしまうのだが、今は少し幸せに染まれない部分がある。昼間言われた言葉と、思い出してしまった昔の感情で、素直に服のことだけを考えることができなかった。

 小さなノックの音が聞こえて、エミリーはドアに目をやった。体を伸ばしてデスクの置き時計を見ると午後十時で、そもそも部屋に誰かが訪ねてくること自体、初めてだ。ミス・ドレスでエミリーに用事があるのはヒフミくらいなので、ヒフミだろう。明日の朝食のことで何か伝え忘れたのだろうかと、ベッドを下りてドアを開けにいく。

 開いたドアの向こうを見上げて、エミリーは言葉をなくした。

 不機嫌そうな顔立ち。黒のウエストコートは着ているが、シャツの首元はボタンが外されて首筋と胸元が見えている。何か作業していたのか、カフリンクスもなく袖がまくり上げられていて、ひじ下がむき出しになっている。

 イルケトリが、いた。

 エミリーは瞬間的に沸騰した湯のように熱くなった体で、とっさに胸の前をかばう。今、ナイトドレス一枚だ。コルセットもドロワーズもつけていない。

(そうだドア閉めればよかった! 何やってるのあたし!)

 ナイトドレス一枚など下着姿も同然だ。混乱して泣きそうな気持ちになりながら思いきりドアを閉めようとしたら、イルケトリが慌てた様子でドアを押さえてきた。

「ちょ、待て! その……非常識なのは分かってるがお前に変な気を起こすつもりはない。色気が足りない」

「何その言い草!」

「変な気起こされたいのか?」

 イルケトリはあきれた顔をしていて、エミリーは力いっぱい首を横に振った。墓穴を掘ってしまった。

「な、な、何の用?」

「ちょっと話があっただけだ」

 そうしてイルケトリは不機嫌そうな顔に戻ってそっぽを向いてしまう。こんな時間にわざわざ押しかけてきてまでする話とは何なのだ。

 とりあえずエミリーは一声かけて、クロゼットから大判のミントブルーのショールを取って戻ってきた。肩からかけて腰まで届くショールを胸の前で握り合わせる。これで少しはましだ。

(もしかして昼間のこと怒りにきたのかなあ……でもそれなら帰りの馬車で怒ればよかったし、根に持ちすぎ!)

 エミリーがこわごわ顔を上げると、ふてくされた顔のイルケトリと目が合った。

「その……すまなかった」

 予想だにしない言葉が飛んできて、エミリーはけげんな顔をしてしまった。

「な、何が?」

「昼間の、既製服のことだ。お前があんなに思い入れがあるとは思わなかった。すまなかった」

 どうやら、謝られているらしい。けれどイルケトリがそれ以上何も言わないので、エミリーは探るようにうかがう。

「え、それだけ?」

「足りないのか?」

「いや、そうじゃなくて、もしかしてこのために来てくれたの?」

 イルケトリはふてくされた顔のまま「そうだ」と言いづらそうに口を動かす。もしかして馬車の中で謝ろうかずっと考えていて、結局言えずにこんな時間になってしまって、意を決してここまで来てくれたのだろうか。そう思うと、初めてイルケトリの違う一面が見えた気がして、エミリーは小さく吹き出していた。

「何で笑う」

 イルケトリは不服そうに口を曲げる。ずっと不機嫌な顔をしていたのも、謝りづらくてそうなっていたのかもしれない。不器用だなと、エミリーは重ねて笑う。

「何でもない。分かってくれたんだったらいい。たしかに既製服は誰かと同じになるし、直さないと綺麗に着られないから」

 エミリーは既製服の基準より身長が低いので、いつも肩や袖を自分で上げて縫っている。緩すぎる身頃をかがってつめることもある。

「でも自分で手を加えて初めて着られるようになるのも愛着がわくから、好きなの。自分でレースを付け足したりとか」

 思わず微笑んでいた。言葉を続けそうになったが、語り始めると止まらない自分のくせを思い出して、話を飲みこむ。

 いつの間にか、イルケトリは真剣な表情でエミリーを見つめていた。

「お前に言ったこと、既製服と注文服を比べたことは謝るが、ああ言ったのは注文服にはそれくらいの気持ちをこめないとこれから先、生き残っていけないと俺が思ってるからだ」

「どういうこと?」

「今は注文服の需要があるからまだいい。けどいずれは既製服が台頭してくる。品質が上がって、安い既製服が出回るようになれば、注文服は必要とされなくなる。同じくらいの品質なら安くて手間のかからない既製服が選ばれるに決まってる。それでも、高くて手間がかかってもほしいと思える注文服は何かと考えたときに、俺は気持ちをこめたいと思った。依頼主にぴったり合った、依頼主のほしいものを形にした服だ。依頼主のことを考えて、依頼主が本当に望んでいることを服にする。その考え抜いた気持ちが、それをこめた服が、既製服の時代になっても生き残っていく唯一のすべじゃないかと思ってる」

 力を抜いたように、イルケトリは微笑む。

「まあ、要は理想だ。そうやって服を作っても既製服に押されて売れなくなるかもしれない。ただ、こめた気持ちは誰にも負けない。そういう話だ」

 エミリーはゆっくりと頷いた。イルケトリがそういう気持ちで服を作っているとは、意外だった。

「あたしはシャーメリーの服が好きだから謝れないけど、考えてることは、分かった」

「謝るな。お前はそれが好きで、俺は自分の作った服が好きだっていうだけだ」

 時代の流れで生き残るか、淘汰とうたされるか、そのうえで考えて服を作っていたことなど、知らなかった。エミリーは神妙に頷いた。

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