第四話 やっとたどり着きました

 一年前、プロジェクトの開始から三年が経った頃、ボクは制作会社を退職した。そしてウエブマーケターとして、結理恵の居る宝飾店に迎えられた。

 当初三名でスタートしたプロジェクトも今ではスタッフが二十人を超え、安定した成果を上げ続けている。

 移籍後の最初の仕事として、ボクはオーダーメイドジュエリーの新ブランド立上げに着手し、チーフデザイナーとして結理恵を推薦した。社で一番若いデザイナーをメインに据える大胆な推薦だったが、新しい感性の必要性を認めて承認された。

 この頃のボクは結理恵の存在を、一人の女性として意識し始めていた。結理恵の部屋に招かれたのは、気持ちが惹かれている事に気付き始めた頃だった。チーフデザイナーに決まったお祝いにと夕食に誘ったのだけれど、「私の部屋に招待しますから、一緒にお祝いしてください」と、逆に誘われてしまった。


 土曜の夜、ワイン片手に結理恵の部屋を訪ねると、今までに見たことのない笑顔で出迎えてくれた。

「狭いけど、ゆっくりしてください。すぐにお料理できますから」

 結理恵は一歳だけ歳上だけど、なぜかボクには敬語で話す。

 1LDKの部屋は木目を活かした家具で統一され、シンプルにまとめられていた。部屋の中央にはローテーブルが置かれ、すでに食器が用意されている。部屋の奥の机にはスリ板がセットされ、沢山のヤスリやヤットコなど、彫金の道具が整然と並べられていた。

 ベッドを背にローテーブルの前に座った。すぐに、ガーリックとオリーブオイルの香と共に、パスタの皿が運ばれてきた。

「今日はイタリアンというか、パスタにしました。ごめんなさい、簡単な料理で。手の込んだ料理は、失敗が怖かったから」

「簡単だなんて、とんでもない。すごく美味しそうだ」

「春を意識して、春キャベツとベーコンのパスタです。サラダは、菜の花と生ハムを手製のドレッシングで和えました」

 結理恵のチーフデザイナー就任を祝って乾杯し、フォークにパスタを巻きつけて口へと運ぶ。料理の出来ははなかなかのもので、キャベツやベーコンの持ち味が十分に引き出されているし、何よりも味のバランスが良かった。サラダのドレッシングだって粒マスタードが利かせてあり、菜の花のほろ苦さを巧く包み込んで引き立てていた。

「職人気質なのかしら。料理でもジュエリーでも、変にこだわっちゃうんですよね」

「仕事でも、妥協しないもんね」

「今回チーフデザイナーに起用してもらって、すごく嬉しいんです。会社に推してくれたんでしょ? ありがとう。感謝しています」

 面と向かって礼を言われると、思った以上に恥ずかしい。「礼を言われるような事ではない」と真面目に返そうか、それとも「どんどん感謝してくれ」と冗談にして返そうか決めかねていると、結理恵が唐突に笑い出した。

「やっぱり会社と、雰囲気違いますよね。うふふ……ごめんなさい、笑ったりして。ふふ……」

「そ、そんなに違うかな。雰囲気……」

「ほら、狼狽えちゃって。会社じゃそんな姿、絶対に見せないですよね」

「そんなつもりは無いんだけど……。会社では、どんな感じに見えてるの?」

「いつも無言で、難しい顔してパソコンを睨んでるじゃないですか。クールと言うか、悪く言っちゃえば冷たい印象ですよ。それが今日は……ふふ……」

「今日は?」

「今日は何だか、可愛いですよ。可愛いなんて言うと、怒られそうだけど……。クールに振舞ってるけど、本当はもっと優しくて、可愛い人なんだろうなって思ってました」

 そう言うと、照れくさそうに俯いた。長い髪がさえぎり表情が見えないけど、隙間からのぞく頬が紅潮しているのが判る。

「クールなのも良いけど、私の前ではもっと、力を抜いてくれると嬉しいな……なんて。何を言いたいのか、もう解ってるでしょうけど……これから先、二人で同じ時間を過ごして行くことができたら嬉しい……なんて思ってます」

 結理恵は、頬だけじゃなく耳まで真っ赤になっていた。

 好きになってくれて嬉しい事、ボクも結理恵の事が気になっていた事、そしてその感情を押し殺していた事を伝えた。彼女は何度も頷きながら、ボクの話を聴いていた。

「これって、両想い……ですよね?」

「まだ少し、自分の気持に自信がないけどね」

「大丈夫ですよ。きっと私のこと、好きになります」

「え? 言い切るの?」

「気持ちが同じ方向を向いていれば、大丈夫です。私たち、きっと巧くいきます」

 結理恵の表情は、自信に満ちていた。あんなにも不安を抱きながら、告白を始めたというのに。

「そろそろ、片づけますね」

 結理恵は、空になった食器をキッチンへと運び、洗い物を始めた。水が流れる音、スポンジが食器をこする音、食器と食器が重なりあう音……手慣れたリズムに心地よさを感じていると、不意にすべての音が止まった。

「今夜は、泊まっていきますよね?」

 少しの沈黙の後「そうするよ」と答えると、再び水の音が流れ、食器がリズムを刻み始めた。


     ◇


 シャワーを勧められ、着替えがない事に気付く。下着で寝れば良いかと思っているところに、新品のパジャマと下着を手渡された。泊まっていくことを想定して、用意しておいたのだそうだ。

 ボクがシャワーを浴び、次に結理恵がシャワーを浴びて、二人してパジャマ姿で向きあうと、照れくさくて会話が続かなくなってしまった。そんな時に「ベッド一つしかないんですけど……」なんて言うものだから、思わず「ボク、床で寝るから」と答えてしまい後悔した。「一緒に寝ればいいじゃないですか」と言って口を尖らせる結理恵の表情が可愛くて、思わず「嫌だよ。恥ずかしいもん」と本音混じりに答えてしまい、もう一度後悔した。

 結理恵がベッドへ滑り込んで、「可愛いこと言ってないで、早く来てください」とシーツを叩くけど、そんな風に言われると余計に誘いに乗る事ができなくなってしまう。何とかベッドに潜り込んだのだけれど、その後も照れ隠しにふざけてしまうボクを結理恵はきちんと受け止めてくれて、じゃれ合いながら少しづつ距離を縮めていった。やがて二人の距離がゼロになって唇を重ねた後、「やっとたどり着きました」と言って結理恵が笑った。

「いつも沢山の鎧を着てるから。でもやっとたどり着きました、本当の貴方まで」


 何度も唇を重ね舌を絡ませながらパジャマのボタンを外し、愛撫を重ねながら全てを脱がせていった。肌と肌を合わせぴったりと隙間なく抱き合うと、二人の間でじっとりと汗が絡みあう感触や、上気した熱がじんわりと伝わってくる。指先でそっと体のラインをなぞると、指の動きに合わせて熱く切なげな吐息が漏れ、大きく躰が波打つ。荒い吐息に合わせ上下に揺れる乳房も、背筋を滑る指先に反応して艶かしく動く腰つきも、薄闇の中ではどこか作り物のように感じられて現実感を失ってしまう。

 二人とも既に準備が整っていて、もう痛いくらいに固くなってしまい、もう太ももまで濡れてしまい、早く交わりたいのに核心を避けてしつこく愛撫を続けるものだからもう切なくて切なくて仕方がない様子で、体中を舐めたり舐められたりしている間もずっと爪を立てて懇願し続けるのだけれどそれでも聞き入れずに焦らしていると、堪えきれないほどに切なくなってしまったようで「お願い……早く!」と大きな声をあげるものだから、その叫びに応えるように腰骨同士が当たるまで一気に奥まで挿し入れた瞬間に、結理恵は悲鳴にも似た大きな喘ぎ声をあげて一気に達してしまった。彼女の余韻が引いてしまう前に、ゆっくりと前後に動き出すと両脚がボクの腰に絡みつき、背中に爪を立てていたはずの両手も腰に絡みつき、下半身同士を擦り付けるようななまめかしいうごめきに誘われるがままに抗いもせず合わせていると、ゴム一枚を隔てているにも関わらずあっという間にボクまで達してしまった。


 ベッドへと倒れ込み、荒々しい呼吸が幾分か落ち着いた頃、結理恵の首下へ左腕を差し入れ腕枕をすると、彼女は両方の手でボクの左手をそっと包んだ。

「好きなんです、手を繋ぐの。安心する……」

 そう言って、指先でボクの掌や指の間をくすぐる。

「私の指先、硬いでしょ?」

 手首から肘のあたりへと結理恵の指先が滑り、そして手首へと帰り再び掌が繋ぎ合わされる。

「ジュエリーを作る時にね、金やプラチナの部品を左の指先でつまんで固定するの。小さな金属を強くつまみ続けるから、だんだんと皮膚が硬くなるんです。右の指だって、ヤスリが当たる所が硬くなっちゃうし……ほら、ギターを弾く人も、弦を押さえる指が硬くなるんでしょ? きっとそれと一緒です」

 結理恵の指先に触れると、ゴツゴツとした感触が伝わってくる。皮膚が硬く、そして分厚く変化している。何年もの間、ジュエリーを作り続けた職人の指だ。

「ちょっと不恰好だけど、私の自慢なんです。この指で素敵なジュエリーを、たくさん作るの……」

 そう言うと結理恵は右手を自らの眼前にかざし、お気に入りの指輪を愛でるかのように眺めた。

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