第205話 十種

「ただいま!」

「お帰りなさい」

 ホームルームが終わってダッシュで部室に帰って、朝比奈さんとそんな挨拶を交わしてしまった。

 部屋着の白いワンピースの上に、エプロンを着けている朝比奈さん。

 その朝比奈さんが、玄関で僕を迎えてくれる。


「今日も学校お疲れ様」

 朝比奈さんはそう言って僕からバッグを受け取った。


 嗚呼、ここが桃源郷か……


 新婚の夫婦ってこんな感じなんだろうか。

 仕事帰りに新妻が迎えてくれる感じ。

 朝比奈さんが髪をゴムで緩くまとめてるところとかが、すごく生々しい。

 部屋着っていうフラな感じが、普段雲の上の存在の朝比奈さんを、ぐっと近付けてくれていた。

 いや、今だって朝比奈さんは雲の上の存在なんだけど。



 僕がしばらく朝比奈さんに見とれていると、

「ねえねえ、馨君、味見して」

 朝比奈さんとまったく同じ服装の香が台所から出てくる。


 二人並ぶと本当にそっくりだ。


 僕は、その数秒の間に、双子の彼女と同棲するドタバタコメディーのライトノベル十万字分を心のノートに書いて妄想した。


「ほら、味見してみて」

 香が小皿に魚の煮物を一切入れて持ってくる。

「これなに?」

「うん、カサゴの煮付け。花圃かほちゃんから教えてもらったの」

 香がニッコニコの顔で言った。

 僕は香から小皿と箸を受け取って食べてみる。


「うん、美味しい」

 それはお世辞じゃなく、甘辛の加減が丁度良いし、生姜しょうがも適度に効いていた。

 カサゴの身がホロホロしてて、口の中でふわっとほどけるし。


「どう西脇君? 香ちゃん料理上手くなってるでしょ」

 朝比奈さんが言った。

「うん、すごいよ」

「ホント? 馨君ありがとうー」

 香が無邪気に言う。


 香が出場する東京アンドロイドオリンピック「総合十種競技」には、料理の種目もあるから、朝比奈さんが付きっきりで特訓をしていた。

 合宿の食事はほとんど香が作ってくれていて、僕達はその成長ぶりを体感している。

 もう、香は普通のレシピの料理だったらなんでもこなせると思う。

 だけど、オリンピックでは、当日発表される食材を使った創作料理を作らなければならないから、ここからさらにステップアップしないといけない。

 自分でレシピを作ることが求められているのだ。


「料理もいいけど、夕飯の支度が終わったら、彫刻の方をやるよ」

 スモッグを被った綾駒さんが言った。


 「総合十種競技」には、「絵画または彫刻」っていう芸術種目もある。

 今のところ、香は、フィギュア職人の綾駒さんから習って、彫刻で挑むつもりでいる。

 元美術部だった綾駒さんには彫刻の基礎があるから、香の指導者にはぴったりだ。


「じゃあ、馨君、またモデルお願いね」

 香が言った。


 僕、また半裸になるのか……


 昨日の夜は、僕が香の彫刻のモデルになって、もう少しでパンツまで脱がされるところだった。

 僕の彫像なんか彫ってもしょうがないと思うんだけど。



 こうして、朝比奈さんによる料理指導、綾駒さんによる彫刻の指導でオリンピックに向けた準備は進んでいる。


 十種のその他の種目は、


・100メートル走

・10000メートル走

・走り高跳び

・砲丸投げ

・競泳100メートル自由形

・ゴルフ

・大学入試センター試験相当の学力テスト

・歌、ダンス、楽器演奏などのパフォーマンス


 これらがあった。


「運動系に関しては、柏原さんと千木良にハードとソフトの両面から頑張ってもらうとして、『大学入試センター試験相当の学力テスト』はどうですか?」

 丁度、職員室から帰って来たうらら子先生に訊いた。

 香の勉強は、先生が見てくれている。


「ええ、模試の結果、香ちゃんは850点代だね。まだ、読解力の点で不安があるかも」

 900点満点で850点か。


 先生によると、香は優秀な生徒なのだけれど、細かい設問のニュアンスが分からなくて、人間なら簡単に解けるような問題を間違えてしまうことがあるらしい。


「あんた、香にボロ負けしてるじゃない」

 千木良が憎まれ口を叩いた。


 そんな、真実を言わなくても……


 セーラーカラーのブラウスに紺のショートパンツで、今日の千木良はボーイッシュだ。

 千木良が僕に手を伸ばしてきたけど、悔しいから今日は抱っこしてあげない。


「でもまあ、それも学習を続けてれば克服こくふくできるわ。料理とか彫刻をしながら、別のタスクで香は模試を解きまくってるし」

 千木良が言った。

 こうやって、何気なく僕達と話している瞬間も、香はどんどん賢くなってるってことか。


「それならあとは、『歌、ダンス、楽器演奏などのパフォーマンス』ですね」

 滝頭さんが言う。


「香ちゃんは、ピアノが弾けてフルートも吹けるけど」

 香は朝比奈さんからピアノを習ってたし、フルートの演奏も覚えた。

 この種目は自由演技だから、制限時間内ならどんなパフォーマンスをしてもいい。


「でも、歌とかダンスで勝負したほうがよくないか? 歌とダンスは、普段から『ミナモトアイ』でやってるし、観客も盛り上がるから、審査員の審査にも影響するだろ」

 柏原さんが言う。

 採点競技だから、観客を味方に付けるのも必要だ。


「うん、香、お歌もダンスも大好き!」

 香がくるっと一回転して、軽くステップを踏んだ。


「そうね、そこで先生、助っ人を呼んでおいたよ。もう来る頃だから、千木良さん、セキュリティを外して」

 うらら子先生が言う。

 千木良がノートパソコンを開いて一時的に林全体を覆っているセキュリティシステムを止めた。


 しばらく待っていると、獣道を通って林の外から誰かが歩いてくる。

 それは、手に大きな荷物を持っていた。


「西脇君久しぶり!」

 部室の玄関に、古風なグレーのセーラー服を着た女子が立っている。

 ペロッ、これはいばら学院女子の制服。


 そこに立っているのは、棘学院女子新体操部の烏丸さんだ。


「お泊まりセット持ってきたよ。今晩からよろしくね」


 お泊まり、だと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る