第184話 魂

 僕は人込みの中に消えようとする香の背中を追った。


 普通に競走したら絶対に追いつかないけど、たくさんの観客や、埼玉スタジアムがある公園に遊びに来た人達がいて、香はその人達の間を縫って走るから、なんとかその背中を見失わずにすんだ。

 人間を傷つけてはいけないと、アンドロイドとしての香にはその命令が組み込まれている。だから、人込みを行くには慎重になるのだ。



 僕は公園の端でやっと香に追いついた。

 香も、それ以上逃げるのをやめたらしい。

 そこにはたくさんの木が植えてあって、木陰ができてる。

 人の目から逃れられる場所だった。



「香ちゃん、どうしたの?」

 僕は、息を切らせながら訊く。


「馨君は、あの、ちまちゃんっていうアンドロイドが好きなんでしょ?」

 香はねたように言った。

 もちろん、香に呼吸の乱れなんてない。


「そんなことない。そんなことないから」

 僕は、なんて言ったらいいのか分からなくて、ただ言葉を重ねた。


「だって、馨君、いつも里緒奈ちゃんを抱っこしてるし、ほっぺたスリスリとかしているし、スカートめくってパンツ見たりしてるし。ああいう、小さい子が好きなんでしょ?」

 香が言った。


 僕は、香にもロリコンって勘違いされていた(口を酸っぱくして言うけれど、僕はロリコンじゃない)。



「それに、馨君、香のことあんまり好きじゃないみたいだし」

 香がそんなことを言い出す。


「えっ? どういうこと?」


「馨君って、花圃かほちゃんの前だといつでも顔が真っ赤になるし、唯ちゃんのおっぱいばっかり見てるし、背が高いつみきちゃんを上目遣いで恥ずかしそうに見詰めてるし、うらら子先生にはずっと甘えてばっかりだし、新人の凜ちゃんのこともっと知りたいみたいで、いっぱい質問とかしてるでしょ」

 香が言った。


 香は、見ていないようで、僕達のことをずっと見ていた。

 ずっとそばにいて、僕達人間の営みを観察していたらしい。


 はたから見ると、僕は周囲の女子達に対してそんな態度を取っているように見えるのか(それにしても、色々とひどい…………)。



「馨君、他のみんなといると楽しそうなのに、香には全然ちょっかい出してこないし、香の前ではいつも緊張してるみたいなんだもん」

 香がそう言って目を伏せる。


「香のこと、嫌いなの?」

 香が目を伏せたまま言った。


 香は、ちまちゃんのことだけじゃなくて、普段から不満をつのらせていたのだ。


「ううん、それは違うから!」

 僕は、思わず声を大きくしてしまった。


 僕が香の前で緊張してるように見えたり、香にちょっかい出したりしないのは、それは香が僕の彼女になるかもしれないからだ。


 朝比奈さんとか、綾駒さんとか、柏原さんとか千木良とかうらら子先生は、僕にとっては住んでいる世界が違うのだ。

 僕なんかにはもったいない素敵な女子だし、絶対に僕の彼女になってくれることはないって思っている。

 もちろん、香だって僕にはもったいない女子だ。

 でも、僕にとって香以外のみんなは、アイドルを見てるような感覚なのだ。

 それで現実感がないから、却って普通に話したり出来てる感じだ。


 香とは、なまじ、僕の彼女になるかもしれないって思ってるから、すごく意識してしまうのだ。



「私は、馨君の彼女になるために作られたんだから、もっと、色々お話とかしてほしいのに……」

 そう言ってチラッと僕の様子をうかがう香は、もう、人間にしか見えなかった。

 僕はその時、そこに魂があるって思った。

 それは、千木良が作ったAIを越えたものだと思う。

 今の香の表情は、天才の千木良にも分析できないと思った。

 香は、僕に魂を感じされるくらい、進化している。



「うん、分かった。それじゃあ、これからは香にもっと話しかけるから。抱っこしたり、ほっぺたスリスリしたり、スカートめくってパンツ見たりするから」

 勢いに任せて言ってから、僕はなにを言ってるんだって後悔した。


 周りに人がいなかったのが、せめてもの救いだ(いたら確実にお巡りさんを呼ばれている)。


「これからは、香にもっとちょっかい出すから」

 僕が言うと、香がハッとした顔をした。



「スカートはめくらいでほしいな」

 そして、恥ずかしそうに言う。


「パンツ見られるのは恥ずかしいけど、他のことはしてほしい」

 香が言った。


 パンツ見るの以外っていうと、抱っこしたり、ほっぺたすりすりしたりはいいのか……


「分かった、これから少しずつ、色々していこう」

 僕が言った途端、香が僕に手を差し出してきた。


「まずはじめに、手をつなごう」

 香が言う。


「いいの?」

「うん」


 僕は、香のお許しを得て、手を繋いだ。


 香の手は柔らかかった。

 柔らかくて温かい。

 これは、体中を巡っている冷却液の温度だとか、そういう野暮やぼなことを考えるのはやめた。


 手を繋いで、二人でしばらく木陰を歩いた。

 香が、自然な感じでスッと体を寄せてくる。

 僕達が手をつないだ方の肩と肩がくっついた。

 香の顔が近付いて、その長いまつげが風に揺れるのが見える。


 彼女がいる人は、いつもこんなふうに彼女のまつげが揺れるところを見てるんだって、僕はそんなことを考えた。


 僕達は、手をつないだまま、みんなのところに戻る。

 ミナモトアイのファンに見られたらヤキモチ焼かれるかもしれないって、ちょっとドキドキした。




 僕達が手をつないだまま戻ると、みんなが笑顔で迎えてくれる。


「仲直りしたんだね」

 朝比奈さんが言った。

 そして、僕達のつながれた手を一瞬見る。


「お似合いだよ。お二人さん」

 綾駒さんがいやらしい笑い顔で言った。


 柏原さんが、無言で僕を肘でつつく。


「仕方がないわね。今日はこいつを香に貸してあげるわ」

 千木良が言った。

 いや、僕は千木良の所有物じゃないから。



 とにかく、香の機嫌が直って良かった。



 そのあと、陸上種目最後の持久走で、香は全出場アンドロイドの中で7位に入る記録を出して堂々と予選通過記録を突破した。


「愛の力はすごいね」

 うらら子先生にそんなふうに言われて茶化される。



 これであとは、最後のダンス審査だけだ。

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