第164話 母子

 合宿最終日の三日目。


 香のゴルフの腕前は確実に上達していた。

 パー4のホールではほとんどホールインワン出来るようになっていたし、それ以外のホールでも二打でのカップインは当たり前になっていた。

 飛距離も伸びたし、パッティングも完璧だ。


 これもしーちゃんと一緒の自主練があったからだと思う。

 二人は、今朝も僕達が一つのベッドで寝ている間に練習してたらしい。


 水泳のほうも、しーちゃんほどではないにしても、100メートルで25秒台はコンスタントに出せるようになった。


 成長がはっきりと見て取れるくらい早いのも、アンドロイドならではなのかもしれない。




「じー」

 最終日の午後、最後にみんなとプールで遊んでたら、しーちゃんが、僕の顔を見詰めてくる。

 その大きな目をぱっちりと開けて、僕の目を覗き込むようにしていた。


 僕の顔としーちゃんの顔の距離は20㎝くらいしかない。


「なに、かな?」

 僕は恐る恐る訊いた。


「いえ、なんでこんな普通のオスに、人間達のメスがたくさん群がってるのかと思って」

 しーちゃんが言った。

 別に茶化してるとか、あおってる感じじゃなくて、平板な声で。


 それにしても、オスとかメスって……


「ここにいるどのメスも優秀だし、それを独り占めしているあなたにどんな魅力があるのか、分からないわ」

 しーちゃんが続ける。


「いや、みんな、部活の関係で僕に付き合ってくれてるだけだから。みんな、アンドロイド作りに興味があって集まってるんだよ。それに、僕が独り占めしてるわけじゃないし」

 僕が答えると、しーちゃんは、

「ふうん」

 って、まったく納得してないみたいだった。



「そして、彼女はなんでいつもあなたにくっついてるの?」

 しーちゃんが、僕に抱っこされている千木良を指して言った。


 ビキニ姿の千木良は、いつものように僕に張りついている。

 しーちゃんが僕に顔を近づけてるから、千木良は僕としーちゃんに挟まれて、サンドイッチの具みたいになっていた。


「なんでというか、なんとなく……」

 千木良が当たり前のように僕に抱っこを求めてくるから、僕も自然に抱っこしていて、意味なんて考えたことなかった。

 千木良を抱っこしてると苺シロップみたいな良い匂いがするし、手持ち無沙汰ぶさたなときに脇腹とかぷにぷにするのが心地よくて、普通に抱っこしている。


「こいつはなんのもないけれど、幼女の抱き方だけは心得てるからね。こいつに抱かれてると、安心できて思考が深まるのよ」

 千木良が答える。


「いや、幼女の抱き方を心得てるって……」

 知らない人が聞いたら確実に誤解される。


 即逮捕クラスの言動だから、やめてほしい。



「あなたも一度抱かれてみる? 理由が分かるかもしれないわ」

 千木良がしーちゃんに訊いた。


「そうね」

 しーちゃんが言って、千木良が僕の腕から降りる。


 僕の首に躊躇ちゅうちょなく腕を回したしーちゃんを、僕はお姫様抱っこした。

 香と同じで、しーちゃんも人間の女子を抱っこしてる感じと変わらない。

 肌の柔らかさとか、中に骨が入ってる感じとか、同じだ。

 本物の女子を抱っこしてるみたいで、ドキドキした。


 しーちゃんからは、ほんのりとトニックウォーターみたいな、薬品っぽい匂いがする。



「あー! 楽しそうなことやってる!」

 僕がしーちゃんを抱っこしてることに綾駒さんが気付いた。

 ワンピースの水着の綾駒さんが、大きな胸を揺らしながらプールサイドを走ってくる。


「西脇君、部外者を抱っこして、部員を抱っこしないってことはないよね」

 綾駒さんがそんなことを言い出した。


「さあ、私もお姫様抱っこして」

 綾駒さんに言われて、お姫様抱っこする。

 綾駒さんの立派なものが僕の胸に触れて、一瞬気が遠くなった。


「綾駒さんだけズルい! 次は私ね」

 白いビキニの朝比奈さんが、いつもより甘えたような声で言う。


「まさか、顧問の私をのけ者にはしないわよね」

 うらら子先生まで言った(それにしても、やっぱり先生の開いた胸元は刺激が強すぎる)。


「よし、僕は、反対に西脇をお姫様抱っこしてやろう」

 オレンジのビキニの柏原さんが言って、力こぶを見せた。



「やっぱり、人間って分からないわ」

 僕達の様子を見て、しーちゃんが頭を抱える。





 夕方、僕達が帰り支度したくをしていると、千木良のお母さんのヘリコプターが飛んで来る音が聞こえた。


 僕達は支度を中断して、ホテルの脇にあるヘリポートへ急ぐ。



 千木良のお母さんが、秘書の女性と一緒にヘリコプターから降りてきた。


「ママー!」

 しーちゃんが弾けた声を出しながらお母さんに抱きつく。


「あらあら、どうしたの?」

 千木良のお母さんは、びっくりした様子でしーちゃんを抱きとめた。


 相変わらず、グレーのピシッとしたパンツスーツのお母さん。


 しーちゃんは、千木良のお母さんに抱きついて甘える。



「ありがとうございました。おかげさまで、いい練習ができました」

 うらら子先生が深く頭を下げて、僕達もそれに従う。


「練習場所を提供して頂いて、素敵なホテルに泊まらせて頂いて」


「いえ、みなさんには、いつも娘がお世話になっているのだし、これくらいのことは当然です」

 お母さんが言う。


「それに助けられたのは私達のほうですよ」

 千木良のお母さんはそう言って微笑んだ。


「このシホちゃんが、こんなふうに笑うことなんて、今までなかったんです」

 お母さんがしーちゃんの頭を撫でながら言う。


「オリンピックには芸術種目もあるし、こんなふうに自然に笑えるようになったのは、こちらとしても収穫なんです。私達のスタッフがどんなに教えても、この子は今までこんなふうに笑えなかったから」

 確かに、ずっと無表情だったしーちゃんは、ここに来たときとは比べものにならないくらい表情豊かになっている。

 話していると、アンドロイドだってことを忘れるほどだ。


「実は、感情豊かな香ちゃんを作ったあなた達といれば、この子にも何か変化が起きるんじゃないかって考えて、この子をここに残したんです。でも、まさかこんなに早く結果が出るとは思わなかった」

 お母さんが言うのを、しーちゃんは不思議そうな顔で聞いていた。


「香ちゃんの素晴らしいところを、こちらも学ばせて頂けたみたいですね」

 お母さんが言う。


 世界的な企業を率いるお母さんが、香のことを認めてくれたのが嬉しかった。



「香ちゃんのような素晴らしい子を作って、里緒奈ちゃん、あなた頑張ったわね」

 お母さんが言って手を差し伸べると、千木良も「ママ!」って叫びながらお母さんに抱きついた。

 お母さんは、千木良としーちゃんの二人を抱き止めることになる。


 瞳をうるませてお母さんに抱きつく千木良。

 千木良が、僕達の前でこんなふうに子供っぽい表情を見せるのは珍しい。


 いつもツンツンしてる千木良だけど、忙しいお母さんには自由に会えないし、ずっと我慢していた感情が、そのまま吹き出したのかもしれない。

 飛び級しちゃうような天才でも、感情はまだ小学5年生なのだ。


 それを見てたら、僕の涙腺も緩んでしまった。

 女子達も目を潤ませている。



 しばらく千木良を抱きしめたあと、秘書の女性に促されて、母さんは千木良を放した。


「それじゃあ里緒奈ちゃん。ママ行くけど、頑張りなさいね」

 お母さんが言って、千木良がコクリと頷く。


「シホちゃんも、皆さんにさよならを言いなさい」

 お母さんに促されて、しーちゃんが頭を下げた。


「みなさん、ありがとうございました。また会いに行くので、その時は遊んでください。さようなら」

 しーちゃんが言って、香が寂しそうに「ばいばい」って言った。



「みなさん、ごきげんよう」

 お母さんがそう言い残して、ヘリコプターが飛び立つ。


 千木良は、ヘリコプターが飛び立って、点になって空に消えるまで、それをずっと見ていた。




「さあ、私達も帰りましょうか。課題も見つかったし、新学期から、やることいっぱいだよ」

 うらら子先生が言って、手を叩いて僕達を追い立てる。

 みんなが、「はーい!」って返事をして、ホテルに向けて歩き出した。


 それでもヘリコプターが消えた空を見ていた千木良が、やがて、「んっ!」って言いながら僕に抱っこをせがむ手を伸ばしてくる。


 僕は千木良を抱っこした。


 千木良が僕の体をつかむ力が、いつもより強い気がする。

 僕は、千木良の背中を優しくさすった。


「ママにもめてもらえたし、あなた達がいてくれて良かったわ」

 いつもより殊勝しゅしょうな感じの千木良。



「……あっ、ありがと」

 千木良がぽつんとこぼした。


 そのあと、千木良がいきなり僕のほっぺたにチュってして、僕は一瞬、何をされたか分からなかった。

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