第103話 里芋
「馨、なに考えてんだ?」
雅史が訊いた。
「なにって?」
「お前が、ミスター是清学園にエントリーしたことだ!」
雅史が、イライラした感じの早口で言う。
雅史が僕の机の前に立ったとき、当然、そのことを言われるって分かってた。
エントリー以降、廊下を歩いてるとすれ違う生徒からの視線を感じるし、クラスの中でも、男女問わず、みんなが僕をチラチラ見てるのは知っていた。
ただそれは、僕が自意識過剰なだけかもしれないけど。
「成り行きでこうなっちゃった」
僕は、雅史に対してそう答えるしかなかった。
香が朝比奈さんのふりをしてミスコンに応募することは内緒だし、その香が後夜祭で踊るダンスの相手になるために僕がミスターにエントリーしたってことは、なおさら言えない。
「あの、『彼女をなんとか部』といい、お前は、時々びっくりさせるようなことするよな」
雅史が呆れ顔で言った。
それについても言い訳のしようがない。
「でも、知ってるか? エントリーしてるサッカー部キャプテンの上条先輩は、生徒会長の御所河原さんの彼氏だぞ」
雅史が周りを見ながら声を潜めて言った。
「そうなの?」
僕は、校内のゴシップに、まるで
「だから、御所河原さんが上条先輩をミスターにするために、今度のコンテストには全力で
あの御所河原会長なら、そんなこともあり得ると思った。
生徒会室での僕に対する態度には、そんな事情もあったのか。
「お前が上位に食い込むことはないし、ふざけてエントリーしただけなのかもしれないけど、
雅史が忠告してくれる。
「うん、分かった」
どうせ、会長も上条先輩も僕なんて眼中にないと思う。
「俺は、お情けで馨に一票投票してやるからさ」
そう言って肩をポンと叩く雅史。
「ありがとう」
一票でも入ることが分かって嬉しい。
でも、雅史が言ったように、校内で僕が悪目立ちしてしまったのはいなめなかった。
部室に帰ると、庭の真ん中には焚き火があって、その上に大きな鍋が据えられている。
柏原さんが庭の隅の方で、
その乾いた音が林に響いている。
玄関から、切った野菜が乗ったざるを抱えた朝比奈さんと綾駒さんが出てきた。
千木良が庭にレジャーマットを敷いている。
「なにが始まるの?」
僕は訊いた。
僕をミスター是清学園にするために、庭で妖しげな儀式でも始まるんだろうか?
「連日の特訓で疲れるでしょうから、体力つけるために、今日は
朝比奈さんが言った。
「うん、いいね。それ!」
思わず大きな声を出してしまう。
秋も深まってきて、庭で芋煮会やるって、なんだか、すごく楽しそうだ。
「ほら、あんたも手伝いなさい」
千木良に言われた。
「ああ、うん」
僕もお椀や箸の配膳を手伝う。
鍋には、大根に人参、ごぼうに里芋、こんにゃくが投入された。
その上に、牛肉がどっさりと乗る。
朝比奈さんが醤油と料理酒、砂糖で味付けをした。
目分量で大胆に注ぐから、朝比奈さん、ベテランの料理人みたいだ。
柏原さんが薪で焚き火を調節して、あくを取りながらじっくりと煮込む。
鍋から沸き立つ甘辛い匂いが食欲をそそった。
みんなで、鍋を囲んで見詰めてるだけでも楽しい。
千木良が鍋の中を見たがるから、僕は抱っこして見せてやった。
「ところで、このピアノの音はなに?」
千木良を抱っこしながら僕は訊く。
さっきから、芋煮会にはふさわしくない、激しいメロディーが林に流れていた。
「うん、香ちゃんが弾いてる、ショパンの
朝比奈さんが言う。
部室の中を見ると、香が一心不乱に居間の電子ピアノを弾いていた。
白いワンピース姿の香が、体全体を使って叩くように弾く。
速い曲なのに、ミスタッチの一つもないし、その鬼気迫る演奏には迫力があった。
「香ちゃんって、昨日ピアノ始めたんだよね」
僕は訊く。
昨日は確か、子供バイエルを弾いていた。
「うん、そうだよ」
朝比奈さんが笑顔で答える。
昨日ピアノを初めて、一日でこんなに速くて激しい曲が弾けるようになったのか……
「香には私のAIが入ってるんだもの、当たり前よ」
抱っこした千木良が言う。
千木良のAIおそるべし。
ピアノを弾く香を見てたら、深夜、月を見上げていた香のことが思い出された。
自分がなんなのか、悩んでいた香。
香って、もう、明日には僕なんか越えちゃうんじゃないだろうかって、そんなふうに思う。
「おお、やってるね!」
芋が煮えたのに合わせるように、うらら子先生も帰ってきた。
朝比奈さんが仕上げに長ねぎを入れて、調味料で味を調える。
「先生が差し入れてくださった牛肉、たっぷり入れておきました」
綾駒さんがそれをお椀によそって先生に渡した。
この大量の牛肉は、うらら子先生が差し入れてくれたのか。
先生、車を出してくれたり、なにかと僕達のために
「クククッ、西脇君にたっぷり食べさせて、立派に育ててから食べちゃおうかと思ってね」
先生が言った。
先生は、僕に心配かけないように、わざとふざけてそんなことを言ったんだと思う。
僕達にお金を使ってること気にしないように、言ってくれてるんだ。
目が本気だけど、たぶんそうだ。
たぶん……
暮れて寒くなってきたから、僕達は焚き火を囲んで芋煮を味わった。
よく煮えた里芋がとろとろで美味しい。
先生が差し入れてくれたお肉は柔らかいし、脂が甘くて絶品だった。
少ししたらうどんも入れて、みんなで鍋が空っぽになるまで
ピアノの練習を止めた香が、芋煮を食べる僕達を不思議そうに見ていた。
食べることが出来ない香には、僕達の食事光景が不思議なのかもしれない。
「さあ、たっぷり栄養つけたし、これで残りの文化祭準備期間も乗り切ろう!」
先生が言った。
「絶対に香ちゃんと西脇君を、ミスとミスターにしよう!」
朝比奈さんが言う。
僕達は、「おー!」って、空になったお椀を掲げて答えた。
香も「おー!」って続く。
僕は声を出しながら、ホントはいつまでもこの文化祭準備期間が続けばいいと思った。
部員やうらら子先生と、いつまでもこうしていたいって思った。
だけど、こんな幸せな時間を過ごしていた僕の耳に次の日の朝飛び込んできたのは、サッカー部の上条先輩が何者かに襲われたっていう、
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