第29話 永遠の5分

「ああもう、見てられない!」

 うらら子先生が立ち上がって、隣の八畳間に行ってしまった。

 綾駒さんは、僕の右腕に大きなものを押し当てたまま固まっている。

 朝比奈さんは僕の左腕に手をからませていた。

 千木良は俺に抱きしめられたまま、大好きなキャベツ太郎をつまむ手を止めて、ノートパソコンの画面に見入っている。

 柏原さんは僕の背中に寄りかかって、手持ち無沙汰ぶさたなのか、トルクレンチをいじっていた。



 オークションの締め切り時間まで、あと10分を切っている。

 入札価格は17万で止まったままだ。

 この値段で押し切れそうな気もするけど、落ち着かない気持ちはみんな一緒らしい。

 僕だって、考えすぎて知恵熱が出そうだ。



 この部室は森の中にあるから、午後七時を前に、もう、窓の外は真っ暗だった。

 天井からぶら下がった白熱電球が、ぼんやりと居間を照らしている。

 古い壁掛け時計の、秒針が進む音が、コチコチと大きく響いて聞こえた。



「よし! これで大丈夫」

 隣の八畳間に逃げていたうらら子先生が、ふすまを開けて戻ってくる。

 見ると、先生は白衣しらぎぬ緋袴ひばかまの、巫女みこさんの衣装を着ていた。

 コスプレーヤーの先生にとって、巫女さんの衣装は必須ひっすで、当然、持っているものらしい。

 髪をポニーテールにしたうらら子先生が、静々と歩いてきて正座した。


「私の魅力で、神様も味方でしょ」

 先生が言ったけど、誰も突っ込まない。

 全然、そんな雰囲気じゃなかった。



 そうしているうちに、締め切りまであと5分になる。

 まだ、動きはなかった。

 17万円で、僕達が最高額入札者のままだ。


「もうこれで決定じゃない? 余った4万円で、豪勢な打ち上げしようか?」

 うらら子先生がおどけた瞬間、表示が変わって、20万500円って画面に出た。

 すぐに、「高値更新」っていうメールが送られてくる。


「なんか、ゴメン」

 うらら子先生のせいじゃないけど、タイミングが良すぎて先生が謝った。


「よし、これからが本番だ」

 柏原さんが僕の肩をポンと叩く。

 入札があったことで、残り時間が自動延長されて、5分に戻った。


 僕達の予算の上限は、22万8680円だ。


「それじゃあ、21万で再入札するよ」

 僕が言って、みんなが頷く。

 21万で入札すると、相手は間髪かんぱつ入れずに21万500円で入札してきた。


 どうやら、僕達とこの相手、競り合うのは二組に絞られたみたいだ。


「それじゃあ、次は21万5000円で」

「いや、5000円で刻むと、資金切れが近いことが分かっちゃうから、22万にした方がいいんじゃないか?」

 柏原さんが言う。

 確かに、刻んでたら、こっちに後がないことがバレるかもしれない。


「じゃあ、22万で」

 僕は22万と打ち込んで、入札ボタンを押す。


 祈るように画面を見ていると、相手はさっきみたいにすぐには入札してこなかった。

 5分に自動延長された時間が、刻々と進む。


 これであと5分耐えれば、あの骨格は僕達の物だ。

 お願い、もう入札しないでって、画面に念を送った。


 抱っこしてる千木良の鼓動が伝わってくる。

 綾駒さんと朝比奈さんの両側からの圧力が強くなった。

 後ろからは、柏原さんとうらら子先生が、僕にほっぺたとほっぺたをくっつけるようにして、画面を覗き込んでいる。


 あと3分。


 反応はない。

 相手はもう降りたんだろうか?


 ところが、そう思った途端、22万500円での入札があった。


 僕を囲む女子達が、一斉に溜息を吐く。



「よし、予算は22万8680円だけど、切りのいいところで、23万で入札していいよ。端数は私が出す」

 先生が言った。


「その代わり、これが最後だからね」

 先生の言葉に、僕達は無言で頷く。


 僕は23万円と入力して、一息置いて、入札ボタンを押した。


 価格は22万1000円に上がって、残り時間も5分に戻る。


 千木良の鼓動が速くなった。

 綾駒さんと朝比奈さんが、僕の手を握ってくる。

 柏原さんとうらら子先生は僕の背中にピッタリとくっついていた。



 しかし、無情にも、あと1分を残して、23万500円の表示と共に、僕達のオークションは終わった。

 次の自動延長、5分のカウントダウンが始まったけど、もう、僕達にこれ以上の資金はない。





「いさぎよく、諦めるしかないね」

 静まり返った居間で、最初に沈黙を破ったのはうらら子先生だ。


「よく頑張ったよ。オークションには負けちゃったけど、先生、ご飯おごるから」

 先生が、僕達の頭を順番にくしゃくしゃってする。


 柏原さんが、目をつぶって頷いた。

 綾駒さんと朝比奈さんが、僕の手を握っていたことに気付いて、静かに放す。



「いえ、まだお金はあるわ」

 千木良が言った。


「さあ、24万円って入力しなさい」

 膝の上の千木良が、僕の顔を見上げる。


「ダメだよ。千木良のお小遣いはもらえない。それだと意味がないって、話し合ったじゃないか」

 僕が言うと、千木良は首を振った。


「あなた達、生配信の投げ銭のことに気をとられて、もう一つの収入を忘れてない?」

「もう一つの収入?」

 僕はオウム返ししてしまった。


「私達が今まで作った『ミナモトアイ』の8本の動画、それに広告を付けてあるのよ。月末締めで、そっちからも収益があるわ」

 そうか、スーパーチャージの収入のことばかり考えてたけど、投稿した動画からは広告収入も入るのだ。

 

「いくらになる?」

 僕が訊くと、千木良が僕からキーボードを奪って、動画投稿サイトのアカウント管理ページを開いた。


「8本の動画の合計再生回数が、大体35万再生くらいよ。その動画の推定収益が………………1万437円!」

 キーボードを叩いて画面を見せる千木良。

 35万再生で1万円か。

 それが高いのか安いのか分からないけど、とにかくお金はあった。


「先生、いいですか?」

 僕は、うらら子先生に確認を取る。

 オークションのカウントダウンは進んでいて、もう、残り1分を切っていた。


「ええ、入って来るって分かってる収入なら、いいわ」

 先生が頷く。


 僕は、震える手で24万円と打ち込んで、入札ボタンを押した。

 ギリギリ、あと14秒のところで間に合った。

 23万1000円で、僕達が最高額入札者になる。



 その後の5分のことはよく覚えていない。


 永遠にも感じる時間を過ごしたあと、


(おめでとうございます! あなたが落札しました)


 そんなメッセージがノートパソコンの画面に流れて、女子達の真ん中にいた僕は、もみくちゃにされていた。


 不特定多数の柔らかいモノが、僕の体の至る所に当たる。

 せっかく正気に戻ったのに、また、気を失いそうになった。

 綾駒さんと朝比奈さんは泣いてるし、柏原さんも、ぴょんぴょん跳ねて喜んだ。

 白衣がはだけた先生は、腰が抜けたみたいに、畳にお尻をつく。 



「千木良、ありがとう」

 一頻り喜んだ後で、僕は抱いている千木良にお礼を言った。

 千木良が動画に広告を付ける設定をしてくれて、その収入に気付かせてくれたから、落札できたのだ。


「べ、別に、あんたのためにやったんじゃないんだからね! 私は、OP PAIのアンドロイドが作りたいだけなんだから」

 千木良がツンデレのテンプレみたいなセリフを言った。

「それでもやっぱり、ありがとう」

「こら、普通に幼女を抱きしめるな! ポリスメン呼ぶぞ!」

 千木良は口ではそう言ったけど、抵抗しなかったから、僕はそのまま抱きしめ続ける。



「それじゃあ、ご飯食べにいきましょう! 寿司でも焼き肉でも、なんでもおごるよ! 何食べたい?」

 うらら子が景気よく訊いた。


 僕達は顔を見合わせる。


「わたし、ラーメンが食べたいかな」

 そして、綾駒さんが言った。

「あ、それいいかも、私もラーメンが食べたい」

 朝比奈さんも乗る。

「僕も、ちょうどラーメンの腹になっていたところだ」

 柏原さんが言った。


 三人とも、先生に気を使っている。

 休日を僕達のために潰してくれた上に、高い夕飯代を払わされる先生が可愛そうだって、みんな考えたんだろう。


「私は、フレンチ……」

 千木良が余計なことを言いそうだったから、僕が口をふさいだ。


「千木良も、ラーメンが食べたいそうです。僕も、みんなと一緒でいいです」

 千木良の分まで僕が言っておく。



「あなた達……」

 うらら子先生が、ちょっと涙目になった。


「いいわ。ラーメン食べにいきましょう! よし、ギョウザと、チャーハンも付けちゃう!」

 先生が言って、僕達は「やったー!」ってはしゃぐ。


 部室を片付けて、先生の車でラーメンを食べにいった。



 その日食べたラーメンは、僕が今まで食べた中で一番美味しい、勝利の味がするラーメンだった。

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